この記事を読めば7月1日が「EF71の日」とされる理由と、国鉄EF71形電気機関車の歴史や魅力がまるごとわかります。
鉄道好きなら「EF71の日って何?」と気になりますよね?
実は「71」という数字をそのまま「7月1日」に当てはめた、語呂合わせ的な記念日なんです。
せっかくなのでこの日をきっかけにEF71形の知られざる話をまとめてみました。
EF71の日とは?
7月1日が「EF71の日」になった理由
「EF71の日」は国鉄EF71形電気機関車の形式番号「71」を、そのまま「7月1日」に当てはめた語呂合わせによる記念日です。
鉄道ファンの間では機関車や車両の形式番号を日付に読み替えて記念日として愛でる文化があります。
EF71という響きは、それ自体が「7」と「1」に分解できるので、7月1日に自然と結びつく。そういうシンプルな発想から生まれた記念日といえるでしょう。
公式に制定された記念日ではなく、鉄道ファンのあいだで語り継がれてきた非公式なお祭り的な日付です。
ただ、これをきっかけにEF71形に興味を持つ人が増えるとしたら、それはすごく素敵なことだと思います。✨
EF71形とはどんな機関車か?
EF71形がどんな機関車なのかまずは基本からおさえておきたいところです。
1968年に誕生した板谷峠専用機
EF71形は、1968年(昭和43年)に日本国有鉄道(国鉄)が製造した交流電気機関車です。
奥羽本線の福島~米沢間に横たわる「板谷峠」という急勾配区間のために特別に設計されました。
板谷峠は平均33‰(パーミル)、最大38‰という急勾配が続く難所で碓氷峠や広島の瀬野八(セノハチ)と並ぶ国内屈指の厳しい峠です。
33‰というのは、1,000メートル進むあいだに33メートル高さが変わるという意味で、一般的な鉄道路線ではほとんど見かけないほどの急坂なんですよね。
1968年10月1日のダイヤ改正(通称「ヨンサントオ」)に合わせて、この区間が直流電化から交流電化に切り替えられ、それに対応する機関車としてEF71形が開発されました。
F級交流機として異例の6動軸構造
EF71形の最大の特徴は交流電気機関車としては珍しいF級(6動軸)構造を採用した点です。
当時の国鉄交流機のほとんどはD級(4動軸)で、F級はEF70形とこのEF71形くらいしかありませんでした。
なぜここまで大がかりな構造にしたかというと、重い貨物列車が連続する急勾配を下るときに必要な「回生ブレーキの熱容量」が、D級機では足りなかったからです。
主電動機はMT52A形を6基搭載し、総出力は2,700kW。これは国鉄の交流電気機関車の中で最高の出力値です。車体全長は18,500mmでこれも国鉄交流機の中で最長でした。
サイリスタ位相制御と回生ブレーキという最新技術
1968年当時、サイリスタ位相制御と交流回生ブレーキを組み合わせたのは非常に先進的な技術でした。
回生ブレーキとは下り坂でモーターを発電機として使い、発電した電気を架線に戻しながら速度を落とす仕組みです。
急勾配の板谷峠を下る際、エアブレーキだけでは制動力が不足する可能性があるので、この技術が必要不可欠でした。
ちなみに豪雪地帯を走ることになるので、パンタグラフ周辺を除く高圧機器類はすべて車体内部に収めているのも面白いポイントです。
屋根上がすっきりして見えるのはそのためなんですね。
どんな列車を牽引したのか?
特急「つばさ」補機から寝台特急まで
EF71形は補機専用機として生まれましたがのちに様々な列車の牽引を担いました。
最初の大役のひとつが、キハ80系特急「つばさ」の補機です。
気動車(ディーゼル車)なのに電気機関車が補助するという組み合わせは、一般的にはあまりないものでそれだけ板谷峠がきつかったということ。
その後、大出力エンジンを積んだキハ181系に車両が変わり、一度は補機運用が解消されました。
ところが今度はキハ181系がエンジントラブルを頻発させて結局またEF71形の補機運用が復活するという経緯があります。
なんというか…山はやっぱり甘くなかった、ということですね。
1970年からは寝台特急「あけぼの」の牽引も担当。20系客車を引いて夜の板谷峠を越える姿は多くの鉄道ファンの記憶に刻まれています。
全機が福島機関区に配置
EF71形は全15両が製造され、全機が福島機関区(のちの福島運転所)に所属しました。
「板谷峠専用機」という位置づけだったので、全機を一か所に集中させた運用体制が取られていたわけです。
製造は1968年から1973年のあいだに分けて行われ、1次形(1〜13号機)と2次形(14・15号機)に分類されます。
EF71形の引退と保存の経緯
山形新幹線の建設で消えた板谷峠の電機
EF71形の引退は山形新幹線の建設工事と深く結びついています。
1990年より福島〜山形間の標準軌化(山形新幹線建設)が始まり、それに伴って板谷峠越えの在来線運用が大幅に縮小されました。
1991年8月26日をもって定期運用が終了し、EF71形は静かにその役目を終えます。
運用終了後、2〜8号機・10・14・15号機の10両は福島運転所に留置されましたが、1993年以降に順次解体
。廃車となった1号機だけが解体を免れ、長らく福島運転所で保管されたのち、2002年から宮城県の新幹線総合車両センターで静態保存されていました。
ただ、2019年12月、この1号機も他の保存機とともに解体されてしまい、現在EF71形の現存機はゼロという状況です。
そのことを知ったとき、ちょっとさみしいなと感じました。
鉄道模型で今も生き続けるEF71
実機は現存しないものの、EF71形の人気はいまも根強く、TOMIXやKATOなどの鉄道模型メーカーが精密なNゲージやHOゲージの製品を発売し続けています。
TOMIXの完成品Nゲージ(品番7151)は2021年に発売されており、ED78形との重連セットも展開されています。
手元に実物がない分、模型で記録を残し、あの板谷峠越えの光景を再現しようとするファンは今でも多い。
EF71形を知るうえで欠かせないポイント
「ヨンサントオ改正」という転換点
1968年10月1日の「ヨンサントオ改正」(昭和43年10月のダイヤ改正)はEF71形誕生と切っても切れない出来事です。
この改正で奥羽本線の板谷峠区間が直流から交流に切り替えられ、EF71形とED78形がセットで投入されることになりました。
それまでEF64形が担っていた板谷越えの仕事を引き継いだわけで、技術面では大きな世代交代でもありました。
ED78形との相棒関係
EF71形はいつもED78形とセットで語られます。
ED78形が本務機的な役割をもつD級機で、EF71形がより牽引力を必要とする場面での補機や重連要員というイメージです。
両形式には機器の共通化がなされていて、KE77形ジャンパ連結器で互いに重連総括制御が可能でした。いわば「二人三脚」で板谷峠に挑んでいたわけです。
まとめ
- EF71の日は7月1日。形式番号「71」を「7月1日」に当てはめた語呂合わせによる、鉄道ファン発信の非公式記念日
- EF71形は1968年に板谷峠用として誕生した交流電気機関車で、F級(6動軸)・出力2,700kWは国鉄交流機の最大値
- サイリスタ位相制御と電気回生ブレーキを採用した、当時の最新技術を結集した機関車
- 特急「つばさ」補機から寝台特急「あけぼの」牽引まで、板谷峠越えのあらゆる運用を担った
- 山形新幹線建設によって1991年に引退。最後の保存機(1号機)も2019年に解体され、現存機はなし
- 鉄道模型として人気が続いており、TOMIXやKATOから製品が展開中

コメント