ED77の日とは?由来や歴史を解説【7月7日】

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7月7日って聞くと七夕を思い浮かべる方が多いと思うんですが実は鉄道ファンの間では「ED77の日」として語られることがあるんです。

この記事を読めばED77の日の由来やED77形電気機関車そのものの歴史、磐越西線での活躍ぶりまでまるごとわかりますよ。

鉄道好きの方はもちろん、たまたま「ED77の日って何だろう」と気になってこのページに来た方にも、しっかり満足していただける内容にしたつもりです。

目次

ED77の日の由来と現状

まず結論からお伝えすると「ED77の日」は日本記念日協会などに公式登録された記念日ではないということが調べていてわかりました。

語呂合わせから生まれた愛称的な記念日

とはいえ、鉄道車両の型式名「ED77」の末尾の数字「77」を「7月7日」に当てはめる発想は鉄道ファンの間でよくある語呂合わせの発想だなと感じます。

ちょうど「ナナナナ」と読める並びなので、ファンの間で自然と7月7日に紐づけられていったのではないかと思っていて、これはあくまで自分の見立てというか憶測です。

公式な由来資料が見つからなかったぶんこの部分は「ファンコミュニティ発の記念日っぽい」というくらいの温度感で受け止めていただけたらと思います。

記念日として広まっていない理由

日本記念日協会に登録されている記念日を見ても鉄道車両の形式名がそのまま記念日になっている例はかなり珍しいんですよね。

ED77自体が1993年までに全車廃車となっていてすでに現存する車両もゼロという状況なので、記念日として大々的にPRする企業や団体が存在しないというのも、広まりにくかった一因かもしれません。

ED77形電気機関車が生まれた背景

ここではそもそもED77とはどんな車両だったのか、なぜ生まれたのかを解説しますね。

軸重制限という課題への対応

ED77形は日本国有鉄道(国鉄)が1967年(昭和42年)から製造した交流用電気機関車です。

当時、交流電気機関車の標準機だったED75形は性能面では優れていたものの、軸重が重いために軌道の弱い線区には入線できないという課題があったんです。

この問題を解決するために開発されたのがED77形で、動輪の軸重を14.0トンから16.8トンまで4段階に調整できる機構を持たせているのが特徴です。

サイリスタ位相制御という新技術

もう一つの大きな特徴がサイリスタ位相制御という当時の最新技術を採用した点ですね。

従来の主磁気増幅器とタップ切換器を組み合わせた方式に比べて、機器の減少や軽量化、故障の防止につながる利点があったそうです。

1965年に試作機ED93形として製造され、仙山線での試験運用を経て量産化されたという流れになっています。

個人的にはこうした試作から量産までのプロセスを知ると、単なる型式番号の裏に技術者たちの試行錯誤があったんだなと感じて、けっこう印象深かったです。

ED77が走り続けた磐越西線での活躍

ED77がどこでどんな役割を担っていたのか具体的な運用を見ていきましょう。

郡山と喜多方を結ぶ電化開業とともに

ED77形が本格的に投入されたのは磐越西線の郡山から喜多方間の電化開業がきっかけでした。

1967年に日立製作所、東芝、三菱電機・三菱重工の3社によって合計14両が新製配置され、1970年には増備車として15番も製造されて、最終的に15両が福島機関区に配置されました。

会津若松運転区に常駐して客車や貨物列車の牽引を担っていたようです。

磐越西線を象徴した交流機関車

磐越西線は1967年7月に電化開業したという記録が残っていてこの点はED77と鉄道ファンとの間で密かに語呂合わせの妄想を膨らませる要因になったのかもしれないなと思います。

だって開業月が7月というのも、なんとなく7月7日との相性を感じさせるじゃないですか。

もちろんこれも確たる根拠があるわけではなくあくまで自分の想像の範疇であることは断っておきますね。

お召し列車を牽引した特別な機体

ED77の中でも特に注目したいのが皇室専用列車を牽引した実績です。

ED7712がお召し機として指定

15両の中でもED7712はお召し列車牽引の指定機として運用されていました。

実際に昭和天皇と香淳皇后のフルムーンご旅行の際、磐越西線の翁島まで運転されたお召列車をED7712が牽引した写真が今も残っているんです。

10番機はその予備機だったという記録もあり、こうした特別な運用があったこと自体、地味な地方線区用の機関車としては意外と華やかな一面だなと感じました。

ED77の引退から保存の行方まで

ED77がどのように歴史を終えたのかをまとめておきます。

1993年までに全車廃車

1987年の国鉄分割民営化の際には9番から15番までの7両がJR東日本に承継されましたが磐越西線の軌道強化によってED75形が入線できるようになったため、1993年までに全車が運用を終了し廃車になっています。

JR貨物やJR東日本といった民営化後の会社に長く残ることはなく、比較的早いタイミングで姿を消した形式だったんですよね。

保存機は現存せず

かつてはED771、2、8の3両が静態保存されていましたがいずれも解体されてしまい、現在ED77は1両も現存していません。

特にED771は2002年のFIFAワールドカップに合わせて整備され利府駅に展示されていたものの、その後整備が滞り2019年に解体されたという経緯があります。

実車が残っていないぶん、記念日として盛り上げようにも展示イベントなどが組みにくいという事情もあるのかもしれないですね。

まとめ

この記事の要点を整理しておきます。

  • ED77の日は日本記念日協会などに登録された公式記念日ではなく、型式名の「77」を7月7日にかけたファン発の呼び方とみられる
  • ED77形電気機関車は1967年から製造された交流電気機関車で軸重可変機構とサイリスタ位相制御が特徴
  • 磐越西線郡山から喜多方間の電化開業に合わせて投入された
  • ED7712はお召し列車牽引の指定機として運用された実績を持つ
  • 1993年までに全車廃車となり、保存機もすべて解体済みで現存する車両はゼロ
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