ネオンサインの日とは1926年に日本初の国産ネオンサインが点灯した出来事にちなんで作られた記念日で、7月15日がその日にあたります。
この記事を読めば記念日が生まれた由来や当時の歴史的背景、そして令和の今ネオンサインがどう変わってきたのかまでまとめて分かるようになっています。
「今日は何の日?」と気になって調べている方はもちろん、昭和レトロな雰囲気に惹かれる方にも楽しんでもらえる内容になっていると思います。
ネオンサインの日とは?7月15日に制定された基本情報
まずはこの記念日の骨格を押さえておきましょう。制定した団体と日付の意味を知っておくと、あとの由来の話がすんなり理解できると思います。
制定したのは公益社団法人日本サイン協会
ネオンサインの日は東京都港区に本部を置く公益社団法人日本サイン協会が制定した記念日です。
ネオンサインやエレクトリックサインに関わる全国の企業が集まった団体で業界としてネオン技術を次の世代に残していきたいという想いから生まれたんですね。
実はこの記念日、日本記念日協会にも正式に認定されていて、2023年に登録が完了したという経緯があります。
2026年は制定100周年という特別なタイミング
ちょっと驚いたのがまさに今年2026年がネオンサインの日の100周年にあたるということです。
日付の元になった出来事から数えてちょうど100年目という、なかなか記念日としては珍しい巡り合わせだなと感じています。
この節目を機に業界団体側でも記念イベントや広報活動を強化しているみたいですよ。
ネオンサインの日の由来は1926年の東京・日比谷公園
ここでは記念日の核となった出来事について、当時の状況も含めて深掘りしていきます。日付そのものに込められた意味が分かるはずです。
幅11メートルの国産第一号ネオン
日付の由来は1926年(大正15年)7月15日に東京の日比谷公園で開催された納涼大会にあります。
会場の入り口ゲートに幅11メートルという大きさの国産初のネオンサインが飾られ、点灯したことが記念日の元になったそうです。
デザインも凝っていて、男の子と女の子が向かい合ってシャボン玉を吹いていて、その輪の中に「東京市納涼大会」という文字が浮かび上がる仕組みだったとのこと。
9ミリ管の赤色ネオンが使われていたという記録も残っていて、当時としてはかなり手の込んだ作りだったんじゃないかなと思います。
7月15日は #ネオンサインの日 💡
— トンボ鉛筆【公式】 (@tombowpencil) July 15, 2025
1926年に初めて点灯した国産のネオンサインにちなんだ日です。
今日はネオンサインの日にぴったりな、ネオンカラーの文具を集めてみました!
色鮮やかに煌めくカラーが魅力的ですね✨ pic.twitter.com/4Ruoqx82J7
東京市納涼大会というビッグイベントだった
このネオンが点灯した会場は東京市(現在の東京都)が主催した納涼大会でした。
約1カ月間にわたってゲートに飾られていたようで、当時のカフェや簡素な遊園地くらいしか娯楽がなかった時代に、きらめくネオンサインは相当なインパクトを持っていたはずです。
個人的には電気の明かりそのものが珍しかった時代に、色付きで動くように見える光を初めて目にした人たちの驚きは、今のプロジェクションマッピングを見るよりも大きかったんじゃないかなと感じています。
そもそもネオンサインの起源はフランスにあった
日本での話に入る前に、ネオンサインという技術自体がどこから来たのかも知っておくと理解が深まりますね。
ジョルジュ・クロードの発明とパリ万博
ネオンサインの発明者はフランスの化学者ジョルジュ・クロードとされています。
空気を液化する産業用システムを作る過程で副産物として出てきたネオンガスの使い道を探していたところ、電気を流すと白熱電球より明るく発光することを発見したそうです。
1912年のパリ万国博覧会で公開されたのが世界的に知られるきっかけになったとされていて(理容店の看板だったという説もあり、この部分は諸説あるようです)、1915年にはクロードネオン社を設立してヨーロッパやアメリカへビジネスを広げていったと言われています。
日本に渡来したのは大正時代
日本にネオンが渡ってきたのは大正時代のことです。
ソースによって1918年(大正7年)と記載しているものもあれば、単に「大正初期」としているものもあり、正確な渡来年については資料によって表現が少し揺れている印象があります。
国産のネオンサイン自体が初めて公開されたのは先ほど紹介した1926年の日比谷公園での出来事で、その制作を担ったのは東京電気株式会社の技術者たちだったとされています。
東芝の前身にあたる会社なので日本の電機メーカーが早い時期からネオン技術に関わっていたのは、なかなか興味深いポイントだと思います。
昭和から令和へ、ネオンサインが辿ってきた変化
記念日の由来だけでなくその後ネオンサインがどう発展していったのかも気になりますよね。ここでは時代ごとの変化を見ていきます。
昭和の繁栄期とネオン街
ネオンサインはその後、商店や企業広告の分野で一気に普及していって、日本の都市景観や経済発展に大きく貢献してきました。
昭和のある世代にとっては繁華街を彩るネオンの明かりが夜の街を象徴する存在だったんじゃないでしょうか。
アメリカではユタ州の看板業者トマス・ヤングがネオン管を使った看板業を展開し、ラスベガスの都市景観に大きな影響を与えたという話もあるのでネオンサインは日本だけでなく世界中の都市文化を作ってきた技術と言えそうです。
LEDの普及とネオン職人の減少
ここは自分の見立てになってしまうんですが近年はLEDサインの普及によってガラス管を曲げる本来のネオン職人さんが減っているという話をよく耳にします。
ネオン管はガラス職人が一つひとつ手作業で曲げて作る工芸品のような側面があるので、技術継承が大きな課題になっているのではないかなと思っています。
だからこそ日本サイン協会が「技術の継承」という目的を記念日に込めているのは、けっこう納得できる話だなと感じました。
昭和レトロブームが若い世代にも広がっている今、ネオンサインが再評価されるタイミングが来ているのかもしれませんね。
ネオンサインの日をどう過ごす?楽しみ方のヒント
記念日を実際に楽しむためのアイデアを紹介しておきます。知識だけで終わらせず、体感してもらえたら嬉しいです。
街のネオンサインを写真に撮ってみる
7月15日の夜、近所の商店街や繁華街を歩いて、ネオンサインを探してみるのも面白いと思います。
今はLED製品が主流になっているので昔ながらのガラス管ネオンを見つけられたら、それはちょっとラッキーかもしれません。
撮った写真をSNSにアップして「ネオンサインの日」のタグをつけてみるのも、記念日らしい楽しみ方だなと思います。
ネオン職人の技術に触れるイベントをチェック
100周年という節目の年なので日本サイン協会や関連団体が特別なイベントや展示を企画している可能性は高いと感じます。ネオン管の制作工程を実際に見られる機会があれば、記念日の由来をより身近に感じられるはずです。
地域のサイン協会や商店会のサイトをチェックしてみると思いのほか近くでイベントが開催されているケースもあるかもしれませんね。
まとめ
ネオンサインの日について、要点を整理しておきます。
- ネオンサインの日は7月15日で公益社団法人日本サイン協会が制定した記念日
- 由来は1926年(大正15年)に東京・日比谷公園の納涼大会で幅11メートルの国産初ネオンが点灯したこと
- ネオンサイン自体の発明者はフランスのジョルジュ・クロードで、1912年のパリ万博が世界的な公開の場になったとされる
- 日本への渡来時期は資料によって表現が異なり、大正初期から大正7年ごろという説がある
- 2026年はこの記念日の100周年にあたる特別な年
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