初のコンクラーヴェの日とは?由来や歴史を解説【8月11日】

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8月11日と聞いて「あ、コンクラーヴェの日だ」とすぐわかる人は、正直かなり少ないと思います。

でも実はこの日、カトリック教会の歴史にとってわりと大きな意味を持つ日なんですよね。

この記事を読めば8月11日がなぜコンクラーヴェの日とされているのか、そしてコンクラーヴェという制度そのものの由来や歴史がすっきりわかります。

教皇選挙のニュースを見て「コンクラーヴェって結局何なの」と思った方や、雑学好きの方にはちょうどいい内容になっていると思います。

目次

8月11日がコンクラーヴェの日と言われる理由

まず結論から言うと8月11日は1492年にコンクラーヴェが行われ、アレクサンデル6世が教皇に選出された日として紹介されることが多いんです。

ただ、これには少しややこしい背景があって後半でしっかり解説していきますね。

1492年8月11日に起きたこと

1492年8月11日、コンクラーヴェによってロドリーゴ・ボルジアという枢機卿が教皇に選出され、アレクサンデル6世となりました。

この年は歴史の教科書的にもコロンブスの新大陸到達と同じ年で、なんだか印象深いなと個人的には思います。

なぜ「初の」と呼ばれているのか

ここがちょっと不思議なポイントなんですが、コンクラーヴェという制度自体は1492年よりずっと前から存在していました。

なので「初のコンクラーヴェ」という表現は厳密に言うとやや誤解を招く言い方だったりするんですよね。

コンクラーヴェという言葉の由来

コンクラーヴェの語源を知ると、この制度がどれだけ強引な形で生まれたのかがよくわかります。

ラテン語「鍵をかけて」が語源

コンクラーヴェはラテン語の「cum clave」、つまり「鍵とともに」あるいは「鍵をかけて」という言葉が語源です。

教皇を選ぶ会議室に鍵をかけて枢機卿たちを閉じ込めて選挙をさせたことから、この名前がついたんですね。

きっかけは民衆の怒りだった

これが意外と知られていない部分なんですがコンクラーヴェが生まれたきっかけは、教会側の意向というより民衆の怒りだったんです。

1268年、教皇クレメンス4世が亡くなった後、イタリアのヴィテルボで行われた教皇選挙が派閥争いで長引いてしまい、なんと3年近くも決まらなかったんですね。

食事などの世話をしていた地元の人たちがさすがに我慢の限界に達して、枢機卿たちを宮殿に閉じ込めて鍵をかけてしまったと言われています。

しかもそれだけじゃなく食料の差し入れを減らし、最後には屋根まで剥がしたという話も残っていて、なかなか壮絶な逸話だなと感じます。

史上本当に「最初」だったコンクラーヴェはいつか

先ほど触れた通り、制度として正式に確立した意味での初のコンクラーヴェは、実は1492年ではありません。

1274年、ウビ・ペリクルムの制定

長引いた選挙にうんざりした新教皇グレゴリウス10世は、1274年の第2リヨン公会議で「ウビ・ペリクルム(危険あるところに)」という教令を発布しました。

この教令が枢機卿を一室に閉じ込め、期限を過ぎると食事を制限するという、コンクラーヴェの具体的なルールを定めたものなんです。

1276年、アレッツォで行われた最初の正式コンクラーヴェ

このルールに基づいて実際に行われた最初のコンクラーヴェは、1276年1月、イタリアのアレッツォで開催されたものでした。

ここでピエール・ド・タランテーズという枢機卿が選ばれ、教皇インノケンティウス5世となっています。

しかも新しいルールはかなり効果があったようで、次の選挙はたった2日で決着したそうです。

この事実、あまり日本語の記事では触れられていないんですがコンクラーヴェの歴史を語るならここが本当のスタート地点だと言えると思います。

1492年のコンクラーヴェとアレクサンデル6世

では8月11日に選ばれたアレクサンデル6世はどんな教皇だったのでしょうか。

ボルジア家出身の教皇

アレクサンデル6世はロドリーゴ・ボルジアという人物で、あのボルジア家出身の教皇として知られています。

歴史的にはかなり評価が分かれる教皇で、政治的な手腕には長けていたものの、私生活や権力の使い方については批判の声も多かったようです。

詳しくは分からない部分もあるんですがこの時代の教皇選挙は宗教的な意味合いだけでなく、イタリア諸都市の政治力学が絡む場でもあったみたいですね。

コンクラーヴェが持つ二面性

こうして見るとコンクラーヴェという制度は「不正を防ぐための仕組み」であると同時に、「政治的な駆け引きの場」にもなっていたことがわかります。

ちょっと矛盾しているようにも感じますがこれがまさに歴史の面白さなんじゃないかなと個人的には思います。

現代のコンクラーヴェとの違い

最後に現代のコンクラーヴェが当時とどう変わったのかも簡単に触れておきますね。

秘密投票の導入は1621年

1621年、教皇グレゴリウス15世が秘密かつ記名式の投票を導入しました。

それまでは口頭での投票もあったらしく圧力や忖度が生まれやすかったんだろうなと想像します。

システィーナ礼拝堂が定番の会場に

1492年のコンクラーヴェは実はミケランジェロの天井画があるシスティーナ礼拝堂で初めて開催された年でもあります。

1878年以降、あらゆるコンクラーヴェがこの礼拝堂で行われるようになりました。

あの荘厳な空間で今も教皇選挙が続いているというのはちょっと感慨深いものがありますよね。

まとめ

8月11日のコンクラーヴェの日について要点を整理しておきます。

  • 8月11日は1492年にコンクラーヴェが行われ、アレクサンデル6世が選出された日として紹介されている
  • コンクラーヴェの語源はラテン語の「鍵をかけて」で13世紀の民衆の怒りが制度化のきっかけになった
  • 制度として本当に最初のコンクラーヴェは1274年のウビ・ペリクルム制定を受けた1276年のアレッツォでの選挙
  • 秘密投票は1621年から、システィーナ礼拝堂での開催は1492年以降に定着した

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