8月14日は「専売特許の日」です。
この記事を読めばなぜこの日が特許にまつわる記念日になったのか、その由来や当時の歴史的な背景まで、しっかり理解できると思います。
「専売特許ってそもそも何?」
「発明の日と何が違うの?」
そんな素朴な疑問を持っている方、けっこう多いんじゃないでしょうか。
この記念日を知ったときに「へえ、そうだったんだ」と素直に驚いた記憶があります。
そのときの気持ちも交えながら、丁寧に解説していきますね。
専売特許の日の由来
まずはこの記念日がどうして生まれたのか、そのルーツから見ていきましょう。ここを押さえておくと、あとの歴史の話もすんなり頭に入ってくると思います。
1885年8月14日に何があったのか
専売特許の日は1885年(明治18年)8月14日に、日本で初めての特許が交付されたことに由来しています。
特許第1号を取得したのは、彫刻家であり漆工芸家でもあった堀田瑞松という人物です。
取得したのは「堀田錆止塗料及ビ其塗法」という発明で、簡単に言うと錆止め塗料とその塗り方に関する特許でした。
この日を記念して、8月14日が「専売特許の日」とされたわけですね。
ちなみにこのとき、堀田氏だけでなく他にも7件の特許が同時に受理されていたようです。
第1号だけがぽつんと生まれたわけではなく、複数の発明が一斉にスタートラインに立ったという点、個人的にはけっこう印象深かったです。
専売特許条例との関係
この特許制度の土台になったのが「専売特許条例」です。
1885年4月18日に公布され、同年7月1日から施行されました。
つまり、条例そのものは4月に生まれていて、実際に第1号の特許が交付されたのがその1か月半後の8月14日、という流れなんですね。
ここでちょっとややこしいのが、4月18日は「発明の日」として別に制定されているという点です。
日付が近いので混同しがちですが専売特許の日はあくまで「特許が実際に交付された日」、発明の日は「条例が公布された日」という違いがあります。
名前も由来も似ているので、調べていて自分も一瞬こんがらがりそうになりました。
発明者・堀田瑞松とはどんな人物か
特許第1号を取得した堀田瑞松について、もう少し掘り下げてみたいと思います。
この人物像を知るとただの年号の暗記では終わらない、発明の背景がぐっとリアルに見えてくる気がします。
刀鞘塗師から発明家へ
堀田瑞松は1837年、兵庫県豊岡市の生まれです。
日本刀の鞘に漆を塗る職人、いわゆる鞘塗師の家に生まれ、16歳という若さで家業を継いだと伝わっています。もともと漆の技術に長けていた人物だったんですね。
出身地については但馬国とする説が有力ですが、越前国出身とする説も存在するようです。
このあたりは資料によって記述が分かれていて、正直はっきり断定できない部分だと感じます。あくまで一つの説として捉えておくのがよさそうです。
錆止め塗料が生まれたきっかけ
きっかけは、政府要人たちが
「鉄製の船は海水で船底が浸食されるので、半年ごとに塗り直さないといけない。もっと強力な防錆塗料があれば大きな利益になるのに」
と話しているのを堀田が偶然耳にしたことだったそうです。
この話を聞いて、堀田の探求心に火がついたと言われています。
漆工芸家として鎧兜や南部鉄器に塗られた漆の防錆効果をよく知っていた堀田は、そのノウハウを鉄船の塗装に応用することを思いつきました。
試行錯誤の末に完成した塗料は漆に加えて鉄粉や鉛丹、油煤、柿渋、酒精、生姜まで含んでいたそうで、伝統的な国産素材をふんだんに使ったものだったようです。
西洋の技術を輸入するのではなく、日本にある材料と知恵で世界水準の発明を生み出したという点、これはなかなか誇らしいエピソードだなと思いました。
発明の評価と晩年
この錆止め塗料は日本海軍だけでなくロシア海軍の軍艦や、アメリカのガス会社のタンクにまで使われるほど評価されたそうです。
日本初の世界的な発明だったと紹介されることもあります。
とはいえ経営面では、リピーターがあまり来ない性質の商品だったこともあり、事業としては苦戦したという記述も見られます。
発明としては成功しても、ビジネスとしてはまた別の難しさがあったのかもしれませんね。
堀田自身は1916年、79歳でその生涯を終えています。
専売特許条例が制定された時代背景
なぜこの時期に日本で特許制度が整えられたのか、その社会的な背景も見ておきたいと思います。
ここを知ると単に「特許ができました」で終わらない、明治政府の必死さみたいなものが見えてくる気がします。
福沢諭吉の紹介と模倣品の増加
日本の特許制度の源流をたどると、福沢諭吉が1867年(慶応3年)に発表した自著の中で欧米の特許制度を紹介したことが始まりとされています。
とはいえ、それからすぐに制度化されたわけではありません。
明治になり多くの人が優れた発明をするようになった一方でアイデアを勝手に真似される、いわゆる模倣品への苦情も増えていったそうです。
これに対応するために生まれたのが専売特許条例だった、という流れですね。
実は専売特許条例より前、明治4年に「専売略規則」という制度もあったのですが、審査する人材が不足していて翌年には執行停止になってしまったという経緯もあります。
一度失敗した制度を立て直し、明治18年にようやく形にしたというわけです。
高橋是清の尽力
専売特許条例の制定にはのちに首相にもなる高橋是清が深く関わっています。
高橋は初代の専売特許所長として、農商務省工務局の立場から条例の公布・施行に尽力しました。
「ダルマ宰相」の愛称で知られる政治家が、若い頃に日本の特許制度の礎を築いていたというのは、あまり知られていない意外な一面かもしれません。
世界の特許制度との比較
日本の専売特許条例は世界的に見るとどのくらいの位置づけなのか、ここも気になるポイントだと思うので触れておきますね。
世界最古とされるベネチアの特許法
世界で最初の成文化された特許法は、1474年にベネチア共和国の元老院で制定された「ベネチア特許法」だとされています。
賛成116票、反対10票、棄権3票という圧倒的多数で可決されたそうで、新しく創意工夫された装置を発明した者に対して10年間の独占権を与えるという仕組みでした。
この法律のもとで、1474年から1788年までの間に約2000件の特許が付与されたという記録もあります。
日本の専売特許条例が生まれたのは1885年ですから、ベネチアの制度からは実に400年以上あとの話になります。
世界的に見ると日本の特許制度はかなり後発だったんですね。
ただ、明治政府がこれだけのスピード感で欧米の制度を取り入れて自国の法律に落とし込んだこと自体は、当時としてはそれなりに評価できる動きだったのではないかと個人的には感じます。
専売特許条例のその後
専売特許条例は制定された当初、内容にいろいろと課題があったようで、3年後には改正されて「特許条例」という名称に変わり、専売特許局も特許局へと改称されています。
つまり「専売特許」という呼び方自体は、実はそれほど長く使われていた言葉ではなかったということになります。
現在の「特許法」に至るまでには、その後も何度も改正や制度の見直しが重ねられてきました。
まとめ
最後にこの記事のポイントを整理しておきますね。
- 専売特許の日は1885年8月14日に日本初の特許が交付されたことに由来する記念日
- 特許第1号は堀田瑞松の「堀田錆止塗料及ビ其塗法」で鉄船用の防錆塗料に関する発明だった
- 制度の土台となった専売特許条例は1885年4月18日公布、7月1日施行で、4月18日は別に「発明の日」とされている
- 制定の背景には福沢諭吉による欧米特許制度の紹介や、模倣品増加への対応、高橋是清の尽力があった
- 世界最古の特許法は1474年のベネチア特許法とされ、日本の制度は世界的にはかなり後発だった
- 専売特許条例は3年後に「特許条例」へ改正され、現在の特許法へとつながっている
こうして振り返ってみると、8月14日というたった一日の出来事の裏に、明治政府の試行錯誤や堀田瑞松という一人の発明家の情熱が積み重なっていたことがよく分かりますよね。
普段何気なく使っている「特許」という言葉、その始まりに思いを馳せてみるのも、なかなか良い機会かもしれません😊


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