エドレッド戴冠式の日とは?由来や歴史を解説【8月16日】

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エドレッド戴冠式の日は946年8月16日にイングランド王エドレッドがキングストン・アポン・テムズで戴冠式を行ったことに由来する記念日です。

この記事を読めばエドレッドという王様がどんな人物だったのか、そしてなぜ8月16日が戴冠式の日として語り継がれているのか、細かいところまでわかると思います。

歴史の話ってちょっと難しく感じる方も多いかもしれませんがなるべくかみ砕いて書いていくので気軽に読んでもらえたら嬉しいです。

目次

エドレッド戴冠式の日とは何か

まずはこの記念日がどういうものなのか基本のところから整理していきますね。

記念日の基本情報

エドレッド戴冠式の日は946年8月16日にイングランド王エドレッド(Eadred、Edredとも表記されます)が正式に王として戴冠された出来事を指しています。

彼はすでに同年5月26日の時点で王位には就いていたのですが、正式な戴冠式は約3か月後の8月16日に行われたということですね。

この期間の差、意外と気にしたことなかったんですけど当時のイングランドでは王位継承の宣言と戴冠式が別の日に行われるケースがけっこうあったみたいです。

戴冠の場所はキングストン・アポン・テムズでした。

戴冠式が開催された場所と日付

キングストン・アポン・テムズは当時のアングロサクソン王たちが戴冠式を行う伝統的な場所だったようです。

テムズ川沿いのこの町は複数の王の戴冠式が行われた記録が残っていて、いわば当時の王権の象徴的な舞台だったんだろうなと思います。

ちなみに戴冠式が行われた8月16日は日曜日だったという記録も残っていて、日曜日に戴冠式を行うこと自体に宗教的な意味合いがあったのかもしれません。

この辺りは自分の見立てですがキリスト教の安息日である日曜日を選ぶことで、王権が神から授かったものだという印象を強めたかったのかなという気もします。

エドレッド戴冠までの道のり

ここではエドレッドがどういう経緯で王になったのかを見ていきます。

兄エドマンド1世の非業の死

エドレッドが王になったきっかけは兄であるエドマンド1世の突然の死でした。

946年5月26日、エドマンド1世はグロスターシャーのパックルチャーチで宴を開いていた際、レオファという名の追放されていた盗賊に刺殺されてしまったんです。かなり衝撃的な最期ですよね。

エドマンドには2人の息子、エドウィとエドガーがいたのですが二人ともまだ幼かったので、王位を継ぐことができませんでした。

そのため、弟であるエドレッドが貴族たちの会議(ウィタン)で選ばれて王位を継承することになったんです。

若きエドレッドが選ばれた理由

エドレッドが王に選ばれた時の年齢はだいたい23歳くらいだったとされています。若いといえば若いですが、当時としては十分に王としての責任を担える年齢だったのでしょう。

実は彼、エドマンド1世の治世の時点ですでに王位継承権者としての地位を与えられていたという記録も残っていて、突然のピンチヒッターというよりは、ある程度準備されていた継承だったと考えられます。

とはいえ兄の死は予想外の出来事だったはずなので心の準備という意味ではかなり大変だったんじゃないかなと想像してしまいます。

戴冠式当日の様子

戴冠式当日、いったい何が起きていたのかちょっと詳しく見ていきましょう。

カンタベリー大司教オダによる戴冠

エドレッドの戴冠式を執り行ったのは、カンタベリー大司教のオダでした。

中世ヨーロッパの戴冠式では王を任命するのが教会の重要人物であることが多く、王権と教会権威が密接に結びついていたことがよくわかる場面だと思います。

オダによる戴冠はただの儀式というより、エドレッドの王としての正統性を宗教的に裏付ける意味合いが強かったんでしょうね。

参列した諸侯たち

この戴冠式には南ウェールズのデハイバース王ハウェル・ダ、ヨーク大司教ウルフスタン、バンブルフ領主オスルフといった有力者たちが参列していました。

個人的にはここが結構印象的だなと感じていて、

ウェールズやノーサンブリア方面の有力者たちがわざわざ参列していたということは、彼らがエドレッドを自分たちの上に立つ王として認めていた、もしくは認めざるを得ない状況だったことを示しているように思います。

実際、戴冠式の場でノーサンブリア人やスコットランド人からの服従の誓いを受けたという記録も残っているんです。

つまりこの戴冠式は王位の確認というより、イングランド全土への支配を再確認する政治的な場でもあったということですね。

エドレッド王の治世と功績

戴冠後、エドレッドはどんな王として振る舞ったのでしょうか。

ノーサンブリア統一への道

エドレッドの治世で特に大きな出来事といえば、ノーサンブリアが最終的にイングランドの一部として恒久的に組み込まれたことです。

エゼルスタン王の時代(927年)にすでにノーサンブリアの服従は一度あったものの、その後何度も反乱や独立の動きが起きていたようで、エドレッドの時代になってようやく安定したかたちになったといわれています。

952年頃には独立ノーサンブリア王の脅威が終わったという記録もあり、ここに至るまでに約30年近くかかっていることを考えるとなかなか根気のいる統一作業だったんだろうなと感じます。

病弱だった王としての素顔

エドレッドについて意外と知られていないのが彼が生涯を通じてかなり体が弱かったという点です。

食事を満足に摂ることすら難しかったという記録もあって、王として軍事的な成果を上げながらも、実は体調面ではずっと苦労していたみたいですね。

それに彼は生涯結婚しなかったことでも知られています。

信仰心の厚い人物だったとも伝えられてい、政治的な手腕と信仰、そして病弱さが同居する複雑な人物像だったんだろうなと個人的には思っています。

エドレッドのその後と最期

最後にエドレッドのその後の人生についても触れておきます。

30代前半での死

エドレッドは946年から955年までの約9年間、王として在位しました。

そして955年11月23日、サマセットのフルームという場所で亡くなっています。

享年は32歳ほどだったとされていて、当時の平均寿命を考えても決して長い人生ではなかったといえます。

長年の病弱さが最終的に影響したのだろうと考えられていますが、詳しい死因については史料が限られていてはっきりしたことはわかっていません。

後継者への継承

エドレッドの死後、王位は甥にあたるエドウィが継承しました。

エドウィはエドマンド1世の息子であり、エドレッドが王位に就く直前は幼すぎて王になれなかった人物です。

エドレッドは埋葬されたのはウィンチェスターのオールド・ミンスターで、これは当時のイングランド王家にとって重要な宗教施設のひとつでした。

エゼルスタン大王ほどの知名度はないかもしれませんがノーサンブリアの統一という点でエドレッドが果たした役割は、イングランドの歴史においてかなり大きな意味を持っていたと思います。

まとめ

エドレッド戴冠式の日について要点を整理しておきますね。

  • 946年8月16日、エドレッドがキングストン・アポン・テムズで戴冠式を行った
  • 兄エドマンド1世が刺殺されたことがきっかけで王位を継承した
  • 戴冠式はカンタベリー大司教オダによって執り行われ、ウェールズやノーサンブリアの有力者も参列した
  • エドレッドの治世でノーサンブリアが恒久的にイングランドの一部となった
  • 生涯病弱で結婚もせず、955年に32歳ほどで亡くなり甥のエドウィが後を継いだ

10世紀のイングランドという遠い時代の出来事ではありますがこうして掘り下げてみると、若くして重責を担った王の人間らしい一面も見えてきて、なかなか奥が深い記念日だなと感じました。

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