パーフェクトの日とは?由来や歴史を解説【8月21日】

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この記事を読めば8月21日の「パーフェクトの日」がどうして生まれたのか、その由来から当時の社会的な熱狂まで、まるっとわかります。

なんとなく「今日は何の日」で見かけて気になった人も、ボウリング好きで由来をしっかり知りたい人も、この記事を読めば納得できるはずです。

個人的には調べていて思った以上にドラマチックな背景があって驚きました🎳

目次

パーフェクトの日の基本情報

まずはこの記念日がいつ、誰によって制定されたのか基礎からおさらいしていきますね。

制定日と記念日の概要

パーフェクトの日は毎年8月21日です。

1970年(昭和45年)のこの日に起きたある出来事を記念して作られた日で、一般社団法人日本記念日協会にもきちんと認定・登録されている記念日なんです。

日付そのものに特別な語呂合わせがあるわけではなく実際に出来事が起きた日をそのまま記念日にしているところがポイントですね。

制定した団体について

この記念日を制定したのは東京都港区赤坂に本社を置く株式会社マザーランドという会社です。

プロボウラーの中山律子さんのマネジメントを手がけている会社で、彼女の功績を後世に伝えるために記念日として登録したそうです。

芸能事務所やスポーツ選手のマネジメント会社が記念日を制定するケースはけっこう多いですが、これもその一つと言えそうですね。

パーフェクトの日の由来となった出来事

ここでは記念日のもとになった実際の出来事を詳しく見ていきます。

1970年8月21日の伝説的な試合

1970年8月21日、東京・府中スターレーンで開催されたプロ月例会の優勝決定戦で、プロボウラーの中山律子さんが海野房枝さんとの対戦の中で、女子プロボウラー史上初めて公認パーフェクトゲームを達成しました。

パーフェクトゲームとは12回連続でストライクを決めて満点である300点を出すことなんですが、これがどれほど難しいかは、プロでも一生に一度も出せない人が多いことからも分かると思います。

この試合はテレビで生中継されていて「日本の放送史上、女性が初めて300点満点を達成した」という記述があるくらい当時としては歴史的な瞬間だったようです。

中山律子選手とはどんな人物か

中山律子さんは1942年生まれ、群馬県出身で、1969年に女子プロボウラー1期生として須田開代子さんらとともにデビューしました。

公式戦優勝は33回にのぼり、パーフェクトゲームはこの1970年を含めて生涯で2回達成しています。

ちなみに本名は小田律子さんだそうです。2004年には女性として初めて日本プロボウリング協会の会長になったという記録もあって、選手としてだけでなく業界の顔として長く活躍された方なんですね。

なぜこの快挙がそれほど大きな意味を持ったのか

ここでは一つの試合結果がどうして社会現象レベルの話題になったのか、その理由を掘っていきます。

パーフェクトゲームの難しさ

ボウリングにおいて300点を出すには、10フレームすべてでストライクを決めきる必要があり、しかも10フレーム目はボーナスとしてさらに2回投げてすべて決めないといけません。

つまり実質12回連続でノーミスという、かなり過酷な条件なんです。

プロでも一生に数えるほどしか出せないと言われていて、それを女子プロとして史上初めて成し遂げたというのが、この出来事の重みだったんだと思います。

テレビ放映と社会的インパクト

この試合が全国にテレビ放映されたことが、話題を一気に広げた大きな要因だったようです。

当時のボウリング番組は最高視聴率が30%を超えることも珍しくなかったそうで、パーフェクトゲームの瞬間は多くの視聴者の目の前で起きた「ライブの奇跡」みたいなものだったんですね。

ざっくりした感じで言うと、今でいう大きなスポーツイベントの決定的瞬間がそのまま国民的な話題になったようなイメージに近いのかもしれません。

パーフェクトの日が生んだボウリングブーム

この一件がきっかけで日本社会全体を巻き込んだボウリングブームについて紹介します。

全国のボウリング場数の推移

ブームのピークは1972年で全国に3,697センター、レーン数は12万本以上まで増えたと言われています。

市場規模は約5,600億円、年間の延べ利用人口はおよそ7億2,000万人にのぼったという調査結果もあるくらいです。

休日には3時間待ち、4時間待ちが当たり前で、マイボールやマイシューズを持つことが一つのステータスだったというのも、今の感覚からするとちょっと想像しづらいですよね。

現在のボウリング場数はおよそ600件程度とされているので当時がどれほど異常な熱気だったか分かります。

参考:https://www.jstage.jst.go.jp/article/sposun/19/1/19_1_55/_pdf/-char/ja

さわやか律子さんブームと流行語

中山律子さんは1971年から花王フェザーシャンプーのCMに出演し、「律子さん、律子さん、中山律子さん」というフレーズと共に「さわやか律子さん」という言葉が流行語になりました。

パーフェクトゲームの快挙と、爽やかな容姿でボウリング界のアイドルになったことが重なって、中山律子さん自身がブームの象徴的な存在になっていったんだと思います。

それに、中山律子さんの活躍に憧れてボウリング場に通う若者や女性がどんどん増えていったというのも、今考えるとすごい社会的な影響力ですね。

中山律子さんのその後の活躍

パーフェクトの日の由来を知る上で、その後の中山律子さんの歩みも欠かせない情報だと思うので触れておきます。

2度目のパーフェクト達成とキャリア

中山律子さんは生涯で2回、公認パーフェクトを達成しています。

一度目のブレイクスルー的な快挙のあとも第一線で活躍を続け、1979年には現役に復帰したという記録も残っています。

2024年にはプロ生活50周年を記念したパーティーも開催されていて、業界の「生きる伝説」として今も知名度が高いんだそうです。

長く一つの道を極め続けている姿は、正直かっこいいなと感じました。

中山律子さんの立場

日本プロボウリング協会と日本レジャーボウリング場協会連合会の名誉会長を務めているとされ、選手時代だけでなく業界全体の発展にも長く貢献されてきた方のようです。

パーフェクトの日という記念日が今も語り継がれているのは単に一度の記録というより、彼女自身の一貫した業界への関わりが大きいのかもしれませんね。

パーフェクトという言葉の意味も知っておきたい

最後に、少し視点を変えて「パーフェクト」という言葉そのものの由来にも触れてみます。

語源はラテン語のperficere

英単語perfectはラテン語のperfectus、さらにperficere「完成させる」という動詞から来ていて、per-「完全に」とfacere「作る」が組み合わさった言葉なんだそうです。

つまり「最後まで完全に作り上げた状態」というのが原義で、そこから「完璧な」「申し分ない」という意味が生まれたとされています。

ボウリングの300点がまさに「完全に作り上げた」記録そのものだと考えるとパーフェクトゲームという呼び方にもしっかり意味があるんだなと、あらためて納得しました。

まとめ

最後にこの記事のポイントを整理しておきますね。

  • パーフェクトの日は8月21日で、中山律子さんのマネジメント会社である株式会社マザーランドが制定した記念日
  • 1970年8月21日、中山律子さんが東京の府中スターレーンで女子プロ史上初の公認パーフェクトゲームを達成したことが由来
  • テレビ放映によって一気に話題が広がり、1970年代の空前のボウリングブームの発火点になった
  • 「さわやか律子さん」のCMなど、社会現象レベルの流行語も生まれた
  • パーフェクトという言葉自体は、ラテン語で「完全に作り上げる」という意味の言葉から来ている

一つの試合の一投一投がこんなに大きな社会現象につながっていたというのは、記念日を調べてみるまで自分もあまり知らなかったです。

8月21日にはそんな昭和のボウリング熱をちょっと思い出してみるのも面白いかもしれませんね。

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