日本に原子の火がともった日というのは、1957年8月27日に茨城県東海村で日本初の原子炉が臨界に達したことを記念する日なんです。
この記事を読めばその日に何が起きたのか、そしてなぜ原子の火と呼ばれているのかがしっかりわかると思います。
8月27日ってカレンダーで見かけたけど詳しくは知らないという方、けっこう多いんじゃないでしょうか。
私も最初に調べたとき、意外と奥が深いテーマだなと感じました。
日本に原子の火がともった日とはどんな記念日なの
まずは8月27日という日付が何を指しているのか、基本的なところから整理していきますね。
1957年8月27日に起きた出来事
昭和32年、つまり1957年の8月27日午前5時23分、茨城県那珂郡東海村にあった日本原子力研究所の実験用原子炉に、初めて原子の火がともりました。
これが日本で最初に核分裂の連鎖反応が起きた瞬間でいわゆる臨界に達した出来事なんですね。臨界というのは、核分裂反応が一定のペースで自律的に続く状態のことを指します。
この原子炉の名前はJRR-1、Japan Research Reactor No.1の略称です。
米国ゼネラル・エレクトリック社製で、ウォーターボイラー型と呼ばれる小型の研究用原子炉でした。
出力はわずか50キロワットほどで家庭用の電力を大量に供給できるような規模ではなかったんですが、それでも日本の原子力史における最初の一歩として、とても大きな意味を持つ出来事だったと思います。
なぜ原子の火と呼ばれるのか
原子の火という表現、ちょっと詩的な言い回しだなと感じませんか。これは核分裂によって発生する熱やエネルギーを火に例えた呼び方なんです。
実はこの表現には「第3の火」という別の言い方もあって、燃料を空気中で燃やす通常の火を第一の火、電熱線などによる発熱を第二の火とした上で、核分裂による発熱を第三の火と呼ぶんですね。
当時の報道機関もこの臨界成功を「わが国に初めて第3の火が灯された」と大々的に報じたそうです。
プロメテウスの火からの延長線上にあるエネルギーという捉え方、なんだかロマンを感じる部分もありますよね。
JRR-1という原子炉の詳しい歩み
日本最初の原子炉であるJRR-1がどのように作られてどんな経過をたどったのかを詳しく見ていきます。
建設から臨界までの流れ
JRR-1の起工式は1956年8月10日に行われました。
原子炉本体の据付工事は1957年4月末にほぼ完了し、その後はヘリウムガスを使った配管系統の漏洩試験や、制御機器および中性子計測装置の調整試験が8月中旬まで続けられたとされています。
そして8月26日から翌朝にかけて燃料溶液の注入がおこなわれました。
これが7回目の注入に達したところで制御棒を半分ほど抜いた状態で、1957年8月27日午前5時23分にようやく臨界に達したんです。
臨界に達したときの出力は60ミリワット、臨界量はウラン235に換算して1170グラムだったと記録されています。
深夜から関係者や報道陣が見守る中での作業だったようで想像するとかなり緊張感のある現場だったんだろうなと思います。
臨界後の運転と原子炉の最後
臨界成功のあと燃料が追加投入されて出力が高められ、9月以降には実験孔での中性子分布やX線強度の測定、炉の動特性試験などがおこなわれました。
同年9月1日には完成式も執り行われています。11月26日には全出力運転に入り、本格的な稼働が始まりました。
JRR-1はその後、1969年11月21日まで運転が続けられ、1970年3月31日に解体が完了しています。
長い間、原子炉技術者の教育訓練や各種実験に役立ってきた炉だったんですね。
現在は記念展示館として1978年8月から公開されていて、当時の姿を今も見ることができるみたいです。
実際に見学した方の話を聞いたことはないんですが歴史的な現場をそのまま残しているというのは、けっこう貴重なことだと感じます。
東海村に原子炉が作られた背景
ここではなぜ東海村という土地が日本初の原子力研究の舞台に選ばれたのかを考察していきます。
原子力の平和利用という国の方針
戦後の日本は原子力の平和利用を旗印にして研究体制を整えていきました。
1956年4月、原子力委員会は日本原子力研究所の建設地を茨城県東海村に決定しています。
当時の原子力委員会委員長は正力松太郎氏で茨城県知事の友末洋治氏らとともに建設予定地を視察したという記録も残っています。
海に面した平坦な土地で研究施設に必要な広い敷地を確保しやすかったことが、東海村が選ばれた理由の一つだったのではないかと私は見立てています。
ここは確定した情報ではなく、あくまで自分なりの推測なのでその点はご了承いただけたらと思います。
アジアでの位置づけ
日本のJRR-1臨界成功によって、日本はインドに次いでアジアで2番目に原子炉を稼働させた国になったとされています。
1956年8月には通産省が公益事業局に原子力発電管理官を設置するなど、国としても本格的に原子力を推進する体制づくりが進んでいた時期でした。
当時のアジアの中で見てもけっこう早い段階での取り組みだったんだなと感じますね。
この日が持つ意味と現在への影響
8月27日という日付が現代においてどんな意味を持つのか、少し掘り下げてみようと思います。
記念すべき出来事としての位置づけ
JRR-1の臨界成功は日本のエネルギー政策における一つの転換点だったと言えると思います。
この炉自体は発電目的ではなかったものの、その後のJRR-2やJRR-3といった研究炉の建設、さらにはJPDRによる発電成功へとつながっていく、日本の原子力開発の出発点になった出来事だったからです。
JRR-1の臨界を記念して郵便切手が発行されたという記録もあり、当時の社会的な注目度がかなり高かったことがうかがえますね。
今の視点から振り返ると
とはいえ、その後の日本の原子力を巡る状況は決して平坦な道のりではありませんでした。
福島第一原発事故という大きな出来事もあり、原子力の安全性や今後のエネルギー政策のあり方については、ずっとも議論が続いています。
8月27日という記念日は単に技術的な成功を祝うだけでなく、そこから続く長い歩みやこれからのエネルギーの選択について考えるきっかけにもなる日なんじゃないかなと個人的には思っています。
まとめ
8月27日の日本に原子の火がともった日についてポイントを整理しておきますね。
- 1957年8月27日午前5時23分、茨城県東海村の実験用原子炉JRR-1が日本で初めて臨界に達した
- JRR-1は米国ゼネラル・エレクトリック製のウォーターボイラー型研究炉で、出力は50キロワットほどだった
- この出来事によって日本はインドに次いでアジアで2番目に原子炉を稼働させた国になったとされている
- 核分裂によるエネルギーは第一の火、第二の火に続く第三の火とも呼ばれている
- JRR-1は1969年まで運転され、現在は記念展示館として公開されている
改めて振り返ってみると東海村という土地から日本の原子力の歴史が始まったんだなと、しみじみ感じる部分がありました。
今後もこの日付が当時の技術者たちの努力を思い出すきっかけになればいいなと思います。

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