国民栄誉賞の日とは?由来や歴史を解説【9月5日】

  • URLをコピーしました!

9月5日は「国民栄誉賞の日」です。

この記事を読めばなぜこの日が記念日になったのか、国民栄誉賞そのものの成り立ちや歴代受賞者の顔ぶれ、さらに賞をめぐる議論まで一気に理解できますよ。

毎年ニュースで「国民栄誉賞」という言葉を見聞きするたびに「そもそもいつから始まったんだっけ」と気になっていた方、ちょうどこの記事がぴったりだと思います。

目次

国民栄誉賞の日の基本情報

まずはこの記念日がどんな日なのかざっくりつかんでおきましょう。

9月5日が記念日になった理由

昭和52年(1977年)9月5日、プロ野球選手の王貞治さんが日本で初めて国民栄誉賞を受賞したことに由来しています。

この授賞式の日付がそのまま記念日として今も語り継がれているんですね。

厳密にいうと表彰規程そのものが定められたのは同年8月30日で授与式が9月5日だったという流れです。

何を称える記念日なのか

一言でいえば日本社会に大きな夢や希望を与えた人物の栄誉をたたえた、その第1号授賞を記念する日です。

スポーツや文化、芸能などジャンルを問わず功績が認められた人が対象になってきた制度の出発点、といってもいいかもしれません。

由来となった王貞治選手の偉業

なぜ王貞治さんが最初の受賞者に選ばれたのか、その背景にあった歴史的な出来事を見ていきます。

756号ホームランという世界記録更新

1977年9月3日、読売巨人軍の王貞治選手が後楽園球場で通算756号本塁打を放ちました。

それまでの世界最多本塁打記録は、米大リーグのハンク・アーロン選手が持っていた755本。

この記録をついに塗り替えた瞬間だったわけです。

国内外で大きく報じられたというのも納得ですよね。

通算756号という数字は今振り返っても野球史に刻まれた特別な記録だと感じます。

わずか2日で表彰にこぎつけた慌ただしさ

偉業達成から記念日の9月5日まで、なんとたったの2日しかありません。

政府は王選手を表彰したいと考えたものの、当時は現役のプロスポーツ選手を国が公式に称える制度がなかったんです。

そこで当時の福田赳夫首相が急遽新しい表彰制度を創設することを決断。

実は表彰規程がまとまったのは8月30日で、そこからわずか6日後に授賞式が開かれています。

かなり異例のスピード感だったんだろうなと思います。

なぜ既存の表彰制度では対応できなかったのか

昭和41年(1966年)、当時の佐藤栄作首相が「内閣総理大臣顕彰」という表彰制度をすでに作っていました。

ただこちらは対象が国の重要施策への貢献や災害防止、学術文化の振興など6分野に限定されていて、プロ野球選手を称える枠組みが用意されていなかったんです。

それに王選手は叙勲を受けるにはまだ若すぎるという事情もあったそうで、もっと柔軟に運用できる新しい賞が必要だったというわけですね。

国民栄誉賞表彰規程の中身

ここでは国民栄誉賞そのものがどんなルールで運用されているのかを解説します。

表彰の目的と対象の広さ

国民栄誉賞表彰規程では目的を

「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったものについて、その栄誉を讃えること」

と定めています。

表彰対象については

「内閣総理大臣が本表彰の目的に照らして表彰することを適当と認めるもの」

というかなり幅広い書き方になっているんですよね。

日本国籍を持っていることも要件にはなっていなくて、実際に第1号の王貞治さんは当時中華民国籍でした。

表彰状と盾、そして記念品の中身

賞の正賞は「表彰状及び盾」で、副賞として「記念品又は金一封」が添えられます。

ちなみに金一封が実際に贈られた例は歴代を通じて一件もなく、すべて記念品での贈呈になっているのが面白いところです。

記念品は銀製品や時計が多くて王貞治さんには鷲の剥製、吉田沙保里さんには真珠のネックレス、伊調馨さんには西陣織の帯が贈られました。

個人的には受賞者の人柄や功績に合わせて記念品が選ばれている感じがして、そこも見どころだなと感じています。

歴代受賞者から見える傾向

これまでの受賞者データをもとに、賞の性格が浮かび上がる部分を掘り下げます。

累計28人と1団体、うち半数近くが没後受賞

2023年の国枝慎吾さんまでで、国民栄誉賞は28人と1団体に贈られていて、そのうち12人が没後の受賞でした。

歌手や作曲家、俳優といった文化・芸能分野の受賞者は死去してから初めて検討されるケースが目立つ一方、スポーツ選手は現役中や引退直後に受賞する傾向が強いんですよね。

生涯現役という働き方をする文化人と記録という節目が明確なアスリートとの違いが、そのまま受賞タイミングの差になっている印象です。

2026年に加わった受賞者

受賞者は2026年8月4日に表彰されたスピードスケート選手の髙木美帆さんです。

オリンピックで女子選手として最多となる10個のメダルを獲得し、ワールドカップでも日本最多の38勝を記録した功績が評価されました。

記念品は包丁10本セットだったとのことで、実用的なチョイスがちょっと意外で印象に残りました。

団体としての初受賞は2011年のなでしこジャパン

個人だけでなく団体への授与も一度あります。

2011年、FIFA女子ワールドカップで優勝したなでしこジャパンが団体として初めて受賞しました。

東日本大震災の直後という時期だったこともあり、国民に勇気を与えたという意味合いが強かったようです。

ただ、表彰規程が「者」という個人や法人を想定した文言だったこともあって、団体への授与は規程の見直しが必要ではという意見も出ています。

受賞を辞退した人たちの存在

意外と知られていないのが、この賞を辞退した人たちがいるという事実です。

ここではその理由から賞の性格を考察してみます。

イチロー選手の一貫した固辞姿勢

イチロー選手は2001年、2004年、2019年3月、2019年11月と、実に4回にわたって授与を打診されながらそのすべてを固辞しています。

「まだ若いので、できれば辞退したい。いただけるものなら、野球人生が終わったときにいただけるよう頑張りたい」

というコメントが特に印象的でした。

現役を退いた後も結局受け取っていないので、本人なりの一貫した美学があったのだろうなと感じます。

福本豊さんの率直すぎる辞退理由

1983年に世界記録となる通算939盗塁を達成した福本豊さんは、中曽根康弘首相からの打診を「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」という言葉で辞退したと伝えられています。

本音としては「王さんのような広く愛される人物でなければならないと解釈した」という思いもあったそうで、なかなか奥深い辞退エピソードだなと思いました。

大谷翔平選手も一度は固辞している

2021年、メジャーリーグでMVPを獲得した大谷翔平選手にも授与が打診されましたが、「まだ早いので今回は辞退したい」として固辞したことが官房長官から明らかにされています。

現役のトップ選手ほど「まだ自分は途中だ」という理由で辞退する傾向があるのかもしれません。

あくまで自分の見立てですが、記録がまだ伸びる余地のある選手ほど、賞を最終到達点として受け取りたくないという心理が働くのかなという気もしています。

授与をめぐる議論と課題

この賞につきまとってきた評価基準の曖昧さや政治的な指摘について整理します。

評価基準の不透明さ

2004年、当時の官房長官だった細田博之氏は選考基準について「確たる基準がなく、その時々の判断」と述べ、「王貞治に授与されて長嶋茂雄には授与されていない」と線引きの難しさを認めています。

首相の裁量が大きい制度だからこそ、こうした指摘が繰り返し出てくるのだろうと思います。

政治利用への批判

授与のたびに「政権浮揚が目的ではないか」という批判が出るのも、この賞の特徴のひとつです。

ただしNHKが2021年に行った調査では授与によって内閣支持率が上昇した例はむしろ少なく、下がったケースの方が多かったという結果が出ているそうです。

イメージとは裏腹に、実際には政権への効果はほとんどないというのが実情のようですね。

まとめ

国民栄誉賞の日について由来と歴史のポイントを整理します。

  • 9月5日は1977年に王貞治選手が第1号の国民栄誉賞を受賞したことに由来する記念日
  • きっかけは1977年9月3日の通算756号本塁打によるハンク・アーロン選手の記録更新
  • 表彰規程は8月30日に制定され、わずか6日後に授賞式が行われた慌ただしい経緯がある
  • これまでに28人と1団体が受賞し、うち12人は没後受賞
  • 直近では2026年8月4日にスピードスケートの髙木美帆選手が受賞している
  • イチロー選手や大谷翔平選手など、複数回にわたり辞退した例もある
  • 評価基準の曖昧さや政治利用への懸念は、今も議論が続く課題

9月5日を迎えたら、王貞治さんの偉業とそこから始まった賞の歴史をちょっと思い出してみてもらえたら嬉しいです😊

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする


目次