毎年9月11日は「公衆電話の日」って知っていましたか。
この記事を読めばなぜこの日が選ばれたのか、そして公衆電話がどんな道をたどってきたのか、しっかりわかると思います。
スマホが当たり前になった今だからこそ、街角にひっそり残るあの機械の背景を知るとけっこう見え方が変わってくるんですよね。
公衆電話の日とはどんな記念日なのか
まずはこの記念日そのものについて整理しておきます。難しい話ではなく、由来はすごくシンプルなんです。
語呂合わせではなく史実に基づく記念日
9月11日という日付、実は語呂合わせではありません。
1900年(明治33年)の9月11日に日本で初めて公衆電話が街頭に登場したという、れっきとした史実がもとになっています。
ちなみに公式に制定した団体が明示されているわけではなく、NTT東日本が公開している社史の年表に「9/11」と明記されていることが、この記念日の根拠になっているようです。
なぜ今も語り継がれているのか
正直なところ、公衆電話自体はもう日常であまり使わない人がほとんどだと思います。
でも、この記念日がメディアで毎年取り上げられ続けているのは、災害時の通信手段としての価値がいまだに残っているからなんですよね。
個人的には忘れられかけている技術の記念日がここまで報道されるのは珍しいなと感じています。
由来をたどる公衆電話誕生の瞬間
ここでは公衆電話が生まれた具体的な経緯を見ていきます。上野と新橋、そして京橋という三つの地名がキーワードです。
上野駅と新橋駅に設置された最初の一台
1900年9月、それまで電信局や電話局の建物内にしかなかった電話が初めて街頭に姿を現しました。
設置されたのは上野駅と新橋駅の構内、それぞれ2カ所ずつです。
NTT東日本の年表には「新橋、上野両停車場構内に自働電話(公衆電話)登場(9/11)」とはっきり記されていて、この日付が記念日の由来そのものになっています。
当時の東京の駅にどんな空気が流れていたのか、想像するとちょっとわくわくしますね。
「自働電話」という不思議な名前の理由
当時の呼び名は「公衆電話」ではなく「自働電話」でした。
これはアメリカの街頭電話に表示されていた「オートマティックテレホン」を、そのまま日本語に置き換えたものだと言われています。
ただ、ここがおもしろいところなんですが、実際には全然自動ではなかったんです。
受話器を取ってもすぐつながるわけではなく、交換手を呼び出して行き先を伝え、手動でつないでもらう仕組みだったそうです。
名前と中身が一致していないという、なんだか今のIT業界でもありそうな話だなと思いました。
翌月には屋外ボックスも誕生
1900年10月には最初の屋外用公衆電話ボックスが東京の京橋のたもとに建てられました。
駅構内の据え置き型から、街中に置かれる独立したボックス型へ。
わずか1カ月でここまで発展したスピード感、明治という時代の勢いを感じさせます。
公衆電話の歴史を明治から大正へと振り返る
誕生から改称まで公衆電話がどのように形を変えていったのかをまとめます。
明治末には全国463台まで拡大
街頭進出後、公衆電話の数は着実に増えていきました。
明治末の時点で全国463台に達していたという記録が残っています。
今の感覚だと少なく感じるかもしれませんが、当時としてはかなりの普及スピードだったのではないかと思います。
1925年、名称が「公衆電話」に改まる
1925年(大正14年)、自動式交換への切り替えをきっかけに、呼び名が「自働電話」から現在の「公衆電話」へと改められました。
ダイヤルを回せば交換手を介さずに相手へつながる方式が導入されたタイミングで、名前もようやく実態に追いついた形ですね。
ここまで25年かかったという事実、なんだか感慨深いです。
通話料はコーヒー1杯より高かった
1900年当時、市内通話は5分以内で15銭でした。
同時期のコーヒー1杯がおよそ2銭だったとされているので、単純計算でコーヒー7杯分以上の価格になります。
最先端の通信技術だったとはいえ、庶民にとってはなかなか気軽に使える金額ではなかっただろうなと感じます。
公衆電話の日に見つめ直したい社会的な役割
歴史だけでなく、今の公衆電話が果たしている役割にも触れておきたいと思います。
災害時に無料で使える特設公衆電話
公衆電話には「災害時用公衆電話」と呼ばれる仕組みがあって、災害救助法が適用されるような規模の災害が起きると、通話料や接続料が無料になることがあります。
NTT西日本の資料によると2026年3月末時点で全国855自治体、21,644カ所に38,271台の災害時用公衆電話が設置されているとのことです。
避難所100人あたり1台を目安に事前設置されている仕組みで、スマホの回線が混雑してつながりにくくなる状況でも通話できる貴重な手段になっています。
ユニバーサルサービス制度による下支え
公衆電話はNTT東西の地域会社に設置が義務づけられていて、その維持費はユニバーサルサービス交付金でまかなわれています。
総務省の資料でも「高齢者の利用度が高い」「緊急時に必要になる」といった理由から、台数は減っても最低限は維持される方針が示されています。
もうけが出るものではないのに、それでも社会インフラとして残し続けている点は、あまり知られていない一面かもしれませんね。
減り続ける公衆電話のデータ
公衆電話がどれくらい残っているのか、数字で確認しておきます。
ピーク時93万台から9万台台へ
公衆電話の台数がもっとも多かったのは1984年で、全国に93万4903台もありました。
それが携帯電話の普及とともに減り続け、総務省の情報通信白書によると2025年3月末時点の公衆電話総数は9万6126台まで落ち込んでいます。
前年同月の11万333台からさらに1万1549台、率にして12.9パーセントの減少です。
ピーク時と比べると、すでに1割程度の規模まで縮小してしまったことになります。
ざっくりした感じで言うと、40年ほどで9割減という計算になりますね。
2031年度末までに設置基準がさらに縮小
2022年の制度改正で、ユニバーサルサービスとして設置が義務づけられる第一種公衆電話の基準台数が、約8万台から約3万台へと大幅に緩和されました。
NTT東西は2031年度末までに削減を完了する方針で、削減対象となる約8万台のうち6割を最初の5年間で減らす計画だと報じられています。
街中で公衆電話を見つけるのはますます難しくなっていきそうです。
まとめ
9月11日の「公衆電話の日」について由来から現状まで振り返ってみました。
要点を整理するとこんな感じです。
- 由来は1900年9月11日、上野駅と新橋駅に日本初の街頭公衆電話「自働電話」が設置されたこと
- 当時は交換手を呼び出す手動方式で、実際には名前ほど自動ではなかった
- 1925年に自動式交換の導入を機に「公衆電話」という現在の呼び名へ改称された
- ピーク時の1984年には93万台以上あったが、2025年3月末時点では9万6126台まで減少している
- それでも災害時用公衆電話としての役割は残り、ユニバーサルサービス制度によって最低限の台数が維持され続けている
普段はスマホばかりで存在すら忘れがちな公衆電話ですが9月11日をきっかけに、街のどこかにあるあの機械にちょっと目を向けてみるのもいいかもしれません。
いざという時、案外頼りになる存在なんですよね。


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