アメリカには「愛国者の日」と呼ばれる記念日が実は2つ存在していて、この記事を読めば4月の愛国者の日と9月11日の愛国者の日、それぞれの由来や成立までの経緯がすっきり整理できます。
「愛国者の日って結局どっちのこと?」
「9.11と何が関係あるの?」
と混乱している方も多いと思うんですがこの2つはまったく別の出来事に基づいた記念日なんですよね。
同じ日本語訳だからこそ余計にややこしく感じてしまう部分、しっかり解きほぐしていきますね。
愛国者の日が2つ存在するという事情
まず知っておいてほしいのが日本語では同じ「愛国者の日」と訳されていても、英語では表記が違うという点です。
ここを押さえておくだけで、かなり理解がスムーズになると思います。
4月の愛国者の日はPatriots’Day
4月第3月曜日に祝われるほうは英語で「Patriots’ Day」と表記されます。
アポストロフィが付いているのがポイントで、これはマサチューセッツ州とメイン州で制定されている州レベルの祝日なんです。
1775年に起きたアメリカ独立戦争の緒戦、レキシントン・コンコードの戦いを記念したものになります。
9月11日の愛国者の日はPatriot Day
9月11日のほうは「Patriot Day」とアポストロフィなしで表記され、こちらは連邦レベルの国家的な記念日です。
2001年に起きたアメリカ同時多発テロの犠牲者を追悼するために制定されました。
正直、私も最初にこの2つを調べたとき「なんで同じ名前なんだろう」と戸惑ったんですが、由来も対象も全く別物だと分かってからは納得できました。
4月の愛国者の日が生まれた歴史的背景
ここでは独立戦争の戦いがどうやって州の祝日にまで発展したのか、その流れを見ていきます。
レキシントン・コンコードの戦いという出来事
1775年4月19日、ボストンに駐留していたイギリス軍約700人が軍事物資を押収しようとコンコードへ向けて進軍を始めました。
その途中、レキシントンで植民地の民兵たちと衝突し、8人が命を落としています。
誰が最初に発砲したのかは今も分かっていないそうなんですがこの銃声がアメリカ独立戦争の始まりを告げる「世界に響いた一発」として語り継がれているんですね。
1894年に州の祝日として制定されるまで
戦いから約120年後の1894年、レキシントン歴史協会が「レキシントン・デー」を求めてマサチューセッツ州議会に働きかけました。
ところがコンコード側は「コンコード・デー」を主張して譲らなかったそうで、当時のグリーンハルジ知事は両者の顔を立てる形で「愛国者の日」という名称を選んだんです。
実はレキシントンとコンコードの間にあるメノトミー(現在のアーリントン)でも大規模な戦闘があったため、特定の町の名前を冠さなかったのは案外理にかなった判断だったのかもしれません。
1938年にはマサチューセッツ州議会が独立戦争開戦の記念という趣旨をあらためて法制化しています。
なぜ第3月曜日に変わったのか
もともとは戦闘があった4月19日そのものが祝日でした。
だけど1969年、マサチューセッツ州とメイン州は祝日を第3月曜日に移動させたんですね。
これは3連休を作りやすくするための実務的な判断だったと考えられていて、以降は「4月19日固定」ではなく「4月の第3月曜日」というルールで運用されています。
参考:https://www.bpl.org/blogs/post/a-brief-history-of-patriots-day/
ボストンマラソンとの結びつき
愛国者の日といえばボストンマラソンを思い浮かべる方も多いはずですが、この関係性についても触れておきますね。
世界最古のマラソン大会が同じ日に開かれる理由
ボストンマラソンは1897年に始まった世界最古の毎年開催マラソン大会で、伝統的にこの愛国者の日に開催されてきました。
地元では「マラソンマンデー」という愛称で呼ばれるほど、州の生活に根付いているみたいです。
祝日で人が集まりやすいタイミングだったことが、大会がこの日に定着した大きな理由と言えそうです。
2026年の開催情報から見る現在地
参考までに2026年の第130回大会は4月20日の月曜日に開催され、約30000人がホプキントンからボストンまでの42.195キロを走ります。
当日は午前6時に軍隊行進が行われた後、男子車椅子部門が9時6分にスタートするなど、時間ごとに細かくウェーブが分かれて出走していく形式です。
こうした運営の細かさを見ていると、ただのスポーツイベントというより、州を挙げた記念行事という色合いが強いんだなと感じます。
9月11日の愛国者の日が制定された経緯
ここからはもう一つの愛国者の日、つまりPatriot Dayがどう生まれたのかを追っていきます。
アメリカ同時多発テロという出来事
2001年9月11日、アルカイダのメンバー19人にハイジャックされた4機の民間旅客機が、ニューヨークの世界貿易センタービル2棟とワシントンDCの国防総省に突入する事件が起きました。
この攻撃で亡くなった人の数はおよそ3000人にのぼるとされています。
当時の映像資料を見返すたびに、あらためて事の重さを感じます。
議会が制定するまでの流れ
事件直後の2001年9月13日、ブッシュ大統領は同月14日を「祈りと追悼の国家的な日」と宣言しました。
その後10月25日、ニューヨーク選出のヴィト・フォセラ下院議員を中心とする23人の議員が、9月11日を国家的な服喪の日にするための法案を提出したんです。
この法案は下院で407対0という圧倒的賛成多数で可決され、上院でも全会一致で通過。
同年12月18日にブッシュ大統領が署名し、正式に「Patriot Day」が法律として成立しました。
最初の愛国者の日が宣言された瞬間
法律が成立した翌年、2002年9月4日にブッシュ大統領が同年9月11日を最初のPatriot Dayとして宣言しています。
テロから丸1年というタイミングでの宣言だったんですね。
それ以降、毎年9月11日は大統領が改めて布告を出す形で継続されていて、2016年にはオバマ大統領がこの日を「国家的な奉仕と追悼の日」として明確に位置づけました。
9月11日に行われる追悼の習慣
この記念日がどのように過ごされているのか具体的な行事を見ていきます。
半旗の掲揚と黙祷の時間
Patriot Dayの布告では日の出から日没まで星条旗を半旗で掲げることと、黙祷を捧げることが呼びかけられています。
多くの州で午前8時46分(東部標準時)に黙祷が行われるんですが、これは最初の旅客機が世界貿易センターの北棟に突入した時刻に合わせたものなんです。
この時刻の細かさ、知らないとなかなか気づかない部分だと思います。
2026年に新しく加わった7回目の黙祷
ここが個人的にすごく印象深かった点なんですが、2026年の追悼式典では従来の6回の黙祷(攻撃の発生とツインタワー崩壊のタイミングに合わせたもの)に加えて、テロ後の年月で9.11関連の病気や後遺症によって亡くなった方々を悼む7回目の黙祷が新たに追加されるそうです。
事件当日だけでなくその後長年にわたって命を落とした人たちにも光を当てるという方向性の変化、なかなか他では触れられていない視点かもしれません。
式典では犠牲者の名前を家族が読み上げる形式も続けられています。

2つの愛国者の日をきちんと区別する
混同しやすいポイントを整理しておきますね。
| 項目 | 4月の愛国者の日 | 9月11日の愛国者の日 |
|---|---|---|
| 英語表記 | Patriots’ Day | Patriot Day |
| 対象範囲 | マサチューセッツ州、メイン州の州祝日 | 連邦レベルの国家的観察日 |
| 由来 | 1775年レキシントン・コンコードの戦い | 2001年アメリカ同時多発テロ |
| 制定年 | 1894年(州祝日として) | 2001年(法律として) |
| 日付ルール | 4月の第3月曜日(1969年以降) | 毎年9月11日固定 |
| 関連行事 | ボストンマラソン | 半旗掲揚、黙祷、追悼式典 |
こうして並べてみると名前は似ていても背景も規模もまるっきり違う記念日だと分かりますよね。
片方は独立戦争、もう片方はテロ事件という、時代も性質も異なる出来事に根ざしているわけです。
まとめ
今回整理してきた内容をまとめておきますね。
- 愛国者の日には4月の「Patriots’ Day」と9月11日の「Patriot Day」という2つの別物が存在する
- 4月の愛国者の日は1775年のレキシントン・コンコードの戦いを記念し、1894年にマサチューセッツ州の祝日として制定された
- 1969年以降は4月の第3月曜日に固定され、ボストンマラソンの開催日としても定着している
- 9月11日の愛国者の日は2001年の同時多発テロを受けて2001年に法律として成立し、2002年に初めて宣言された
- 当日は半旗の掲揚と午前8時46分を中心とした黙祷が呼びかけられており、2026年からは新たに7回目の黙祷が加わる
同じ名称でもルーツが全く異なる2つの記念日、それぞれの背景を知ったうえで9月11日を迎えるとまた違った気持ちになるのではないかと思います。

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