毎年9月16日は「マッチの日」と呼ばれていますがこれが何を記念した日なのか、実はちゃんと説明できる人は少ないんじゃないかなと思います。
この記事を読むと9月16日がマッチの日になった具体的な理由と、そこに関わった清水誠という人物のこと、そして戦後の日本社会がどんな状況だったのかまで、まとめてわかるようになっています。
マッチなんてもう使わないと思っている方にも、けっこう奥深い歴史があるので楽しんでもらえるはずです。
マッチの日の基本情報
まずはマッチの日がどんな記念日なのか、ざっくり整理しておきますね。ここを読むと9月16日がどういう位置づけの日なのかが把握できます。
由来は1948年の自由販売解禁
9月16日がマッチの日とされているのは1948年(昭和23年)のこの時期に、それまで配給制だったマッチの自由販売が認められたことに由来しています。
ちなみに日本燐寸工業会が運営するバーチャルミュージアムの年表を見ると、マッチ配給統制規則の撤廃は昭和23年9月と記されていて、価格も同年9月に並型1個あたり2円10銭へ切り替わったことが確認できます。
日付については9月15日説を記す資料も一部あるようですが、9月16日で記念日として定着しているのが実情です。
細かく検証してないんですけどこの1日のズレはおそらく統制解除の発表日と実際の店頭反映日のタイミングの違いによるものかなという気もしています。
記念日としての立ち位置
この記念日には法律で定められたような公的根拠はなく、いわゆる由来型の記念日という位置づけです。
マッチ産業に関わる団体である日本燐寸工業会が、産業の歴史を伝える活動の一環として情報発信をしているのが現状ですね。
個人的にはライターや電子式の着火具が当たり前になった今だからこそ、こうした記念日がひっそり残っているのがちょっと面白いなと感じています。
マッチの日の由来を深掘り 配給制からの解放
ここではマッチがなぜ配給の対象になっていたのか、そして自由販売がどれほど大きな出来事だったのかを解説します。
戦時中、マッチは砂糖と同じ配給品だった
意外と知られていないんですが、マッチは1940年(昭和15年)に砂糖と一緒に切符制の対象になった生活必需品です。
戦争が長引くにつれて綿糸や電力、米、衣料と、生活のあらゆる物資が統制配給に組み込まれていったんですが、マッチもその流れに乗ってしまったわけですね。
「命にかかわる物ではない」という判断から配給の機会自体が少なかったとする資料もあり、当時の人にとっては火をつけること自体がなかなか大変だったんだろうなと想像します。
自由販売の裏で起きていた品質トラブル
自由販売の解禁は喜ばしい出来事として語られがちですが、実はここに一つ意外な事実があります。
終戦の年である昭和20年、マッチの生産量はわずか99,301マッチトンまで落ち込んでいました。
ところが昭和23年には236,219マッチトンまで回復していて、量的にはかなり充足していたんです。
それなのに原材料の粗悪さから品質不良のマッチが市場に溢れ、これが原因で主婦を中心にした不良マッチ追放運動が起こり、主婦連合会という組織が誕生したという経緯があります。
自由販売になった直後は正規ルートの三晃物産のマッチには質の劣る松材の軸が使われ、闇ルートの方がむしろ良質な白楊材と薬品を使っていたという、なんとも逆転した状況だったようです。
生産量が回復すれば安心、というわけではなかったんですね。
統制解除がもたらした社会的インパクト
マッチの自由販売は単なる商品の流通ルールが変わっただけではなく、戦後日本が統制経済から少しずつ自由経済へ移っていく象徴的な出来事の一つだったといえます。
物品税と公定価格の変遷を見ても昭和22年4月に41銭だった並型マッチの公定価格が、翌年7月には1円50銭、9月には2円10銭まで上昇しており、当時の物価上昇の激しさが伝わってきます。
この価格の急上昇を見ると生活必需品の値段がどれほど不安定だったか、肌感でも想像しやすくなる気がします。
マッチそのものの発明史 イギリスから世界へ
マッチの日を語るうえでマッチという道具そのものがどう生まれたのかも欠かせない要素です。ここを読むとマッチ誕生の技術的な流れがわかります。
ジョン・ウォーカーの摩擦マッチ
現在の形に近いマッチが初めて作られたのは1827年、イギリスの薬剤師ジョン・ウォーカーによるものです。
頭薬に塩素酸カリウムと硫化アンチモンを使い、摩擦によって発火させる方法を考案しました。
火をおこすこと自体が一大作業だった時代に、こするだけで火がつく道具が登場したのは、かなりのセンセーションだったんだろうなと思います。
黄リンマッチの流行と社会問題化
その後、1831年にフランスのシャルル・ソーリアが黄リンを使ったマッチを開発し、どこでこすっても簡単に発火する便利さから世界的に大流行しました。
ただ、黄リンには強い毒性があり、製造に関わった人たちの健康被害が深刻化してしまったんです。
発火点の低さから自然発火の危険もあったため、ヨーロッパ各国では19世紀後半から20世紀初頭にかけて製造禁止が進みました。
便利さの裏にリスクが潜んでいたというのは今の私たちの生活道具にも通じる話かもしれないですね。
安全マッチの登場と定着
黄リンに代わって登場したのが赤リンを側薬に使う安全マッチです。
1855年にスウェーデンのイェンシェピング社のルンドストレームが特許を取得し、その後世界各国で標準的なマッチとして広まりました。
現在流通しているマッチのほとんどはこの安全マッチのタイプで、専用のヤスリ面でこすらないと発火しない仕組みになっています。
日本にマッチが伝わった経緯
日本国内でマッチがどのように広がっていったのか、ここでその流れを追っていきます。
ペリー来航がきっかけだった
日本にマッチが伝わったのは1853年のペリー来航が一つの契機になったとされています。
それまで鎖国状態だった日本が開国へ向かうなかで、西洋の道具として輸入されるようになったようです。
それ以前にも高松藩士の久米通賢が独自に発火具を考案していた記録があるものの、本格的な普及はここから始まったといえます。
清水誠と新燧社の設立
国産マッチの歴史を語るうえで欠かせないのが金沢藩士出身の清水誠です。
フランスに留学して安全マッチの製造技術を学び、帰国後の1876年、東京に「新燧社」を設立して本格的な生産を始めました。
清水誠がすごいと思うのは、自分の製法を独占せず広く公開したことです。
その結果、失業した士族の救済事業としてマッチ工場が全国各地に設立され、産業として一気に拡大していきました。
この公開の姿勢がなければ日本のマッチ産業はもっとゆっくりとしか育たなかったんじゃないかなと個人的には思っています。
兵庫・姫路がマッチの一大拠点になった理由
マッチの日を語るなら、実は今も国内生産の中心地である姫路の話も欠かせません。ここでは産業としてのマッチが日本のどこで根づいたのかを紹介します。
国内シェア約8割を姫路が占める
明治時代には全国各地にマッチ工場が作られましたが、経済不況を経て徐々に生産の中心が西へ移り、姫路地域が国内生産量の約80%を占めるまでになっています。
平成30年時点のデータでは兵庫県内のマッチ企業数は16社、従業員数268人、生産数量は9,473マッチトンとなっており、姫路市だけで企業数12社、生産量8,611マッチトンを抱えています。
ピーク時の昭和48年には全国のマッチ総出荷量が約80万マッチトンに達していたことを考えると、今の生産規模は当時の10分の1以下まで縮小していることになりますね。

播州の風土が産業を育てた
姫路が拠点になった理由としては神戸港に近く原材料の輸入や輸出に有利だったこと、雨が少なく乾燥工程の多いマッチ製造に適した気候だったこと、そして新しいことに挑戦しようとする播州人の気質があったことなどが挙げられています。
地理的な条件と人の気質がうまく重なった結果、この地域に産業が定着したというのは、地場産業の成り立ちとしてなかなか興味を惹かれる話だと思います。
マッチ産業とマッチの日の意味
マッチ産業がどんな状況にあるのか、そしてマッチの日を今どう捉えればいいのかを考えてみます。
ライターの普及で需要は大きく減少
マッチの需要は1970年代をピークに減少を続けています。
昭和48年の約80万マッチトンから平成30年には11,142マッチトンまで落ち込んでおり、これはライターの普及が大きな要因とされています。
生活のなかでマッチを擦る機会がほとんどなくなった今、この記念日自体の存在を知らない人が増えているのも、ある意味自然な流れなのかもしれません。
それでも続く新しいマッチの形
とはいえ、マッチ産業は完全に縮小しているだけではありません。
茶殻を活用したマッチや災害時に役立つ防水加工の缶マッチ、ご当地グルメをテーマにしたマッチなど、用途を絞った商品開発が続けられています。
生産量そのものは減っても技術や販路を活かして複合産業へ展開しているところに、業界の粘り強さを感じますね。
まとめ
9月16日のマッチの日について由来と歴史のポイントを整理します。
- 9月16日は1948年(昭和23年)にマッチの自由販売が認められたことに由来する記念日
- 戦時中はマッチが砂糖と並ぶ配給の対象となっていた
- 自由販売の解禁直後は品質不良の「闇マッチ」が横行し、主婦連合会誕生のきっかけになった
- マッチ自体の発明は1827年イギリスのジョン・ウォーカーによる摩擦マッチが起点
- 日本では清水誠が1876年に新燧社を設立し、製法を公開して産業を全国に広げた
- 現在は兵庫県姫路市が国内生産の約8割を占めるが、需要はライターの普及で大きく縮小している
普段は意識しないマッチという小さな道具ですが、その裏には戦後日本の混乱期や地域産業の努力がぎゅっと詰まっているんですよね。
次に誰かとマッチの話をするときは、ぜひこの由来もちょっと話してみてください。

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