この記事を読めば9月17日が「えちぜん鉄道設立の日」と呼ばれる理由や、その裏にある歴史の流れがしっかりわかります。
福井県にゆかりのある方はもちろん、鉄道の記念日について調べている方にとっても、知っておくと会話のネタになるような内容をまとめてみました。
正直、私も調べる前は「なんとなく福井の第三セクター鉄道」というくらいの認識だったんですが、掘り下げてみるとけっこう重い経緯があって、単なる社名の由来だけでは終わらない話だなと感じました。
えちぜん鉄道設立の日は9月17日
ここでは9月17日という日付が具体的に何を指しているのかを説明していきます。
2002年9月17日に設立登記された会社
えちぜん鉄道株式会社は平成14年、つまり2002年の9月17日に設立されました。
会社の登記上の設立日がこの日付にあたるわけですね。
国土交通省の資料でもえちぜん鉄道発足(設立登記)は9月17日とはっきり記載されていますし、会社の公式サイトの会社情報ページでも設立日は平成14年9月17日と明記されています。
ですから、9月17日はえちぜん鉄道という会社そのものが法人として誕生した日と考えて間違いないと思います。
設立と開業は別のタイミング
ここでちょっと注意したいのが設立日と実際に電車が走り始めた日は別だということです。
設立は2002年9月17日ですが業務開始は同年10月1日からで、実際に旅客営業として運行を再開したのは2003年7月から10月にかけて段階的に進んでいます。
全線が開通したのは2003年10月とされていて、鉄道事業そのものの譲渡認可は2003年1月17日、施設の引き継ぎ手続き上の開業日は同年2月1日と、書類上の日付がいくつも存在するんですね。
なので「設立の日」というのはあくまで会社が生まれた日であって、電車が走り出した日とは区別して捉える必要があります。
この辺り、ニュースなどでもごちゃまぜに語られがちなので正確に押さえておくと理解が深まるかなと思います。
えちぜん鉄道が生まれた背景
ここを読むとなぜ第三セクター鉄道が新たに必要とされたのか、その経緯がわかります。
前身は京福電気鉄道の越前本線と三国芦原線
えちぜん鉄道が引き継いだのはもともと京福電気鉄道という会社が福井県内で運営していた越前本線と三国芦原線という2つの路線です。
京福電気鉄道は京都の嵐電なども運営する会社で、福井地区にもこの2路線を持っていました。
ただ、1990年代の時点ですでに福井地区の鉄道事業は赤字が続いていて、1992年には一部区間の廃止表明まで出ていたそうです。
つまり、経営そのものがかなり厳しい状態が長く続いていた路線だったわけです。
半年間に2度起きた正面衝突事故
ここが個人的にはいちばん衝撃を受けた部分です。
2000年12月17日、京福電気鉄道の永平寺線の電車がブレーキロッドの破断によって終着駅を通過できず、越前本線に進入してしまい、対向してきた電車と正面衝突する事故が起きました。
この事故で運転士1名が亡くなり、両列車の乗客ら24名が重軽傷を負っています。
しかも、その半年後の2001年6月24日には、保田駅と発坂駅の間で再び正面衝突が発生し、こちらも乗員乗客24名が重軽傷を負う事態になりました。
2度目の事故は急行列車の運転士が信号を見落としたことが原因とみられていて、経営難で自動列車停止装置、いわゆるATSの整備が追いついていなかった点も背景にあったようです。
半年間で2回もの正面衝突というのは正直かなり異例な数字だと思います。
この事態を受けて、国土交通省から福井地区の路線全線に対して異例の運休命令が出されました。
京福電気鉄道は廃止届を提出
2度の事故を受けて京福電気鉄道は福井地区の鉄道事業の継続が困難だと判断し、2001年10月19日に廃止届を国土交通省に提出しました。
運休したまま列車が動かない状態が続き、地域の足としての鉄道が事実上失われかけていたんですね。
ここで地元の福井県や沿線自治体が動き出します。
財政支援を行うことで鉄道として存続させる方向にかじを切り、第三セクター方式での新会社設立に踏み切ったという流れです。
えちぜん鉄道という社名の由来
ここでは名前がどのように決まったのかを掘り下げます。
候補は「くずりゅう鉄道」だった
これはちょっと意外に感じる方も多いんじゃないでしょうか。
えちぜん鉄道が運営する路線は九頭竜川沿いを走ることから、当初は「くずりゅう鉄道」という社名にする案があったそうです。
九頭竜川は福井県を代表する川のひとつですし、地域性を反映させるという意味では自然な発想だったと思います。
略称が「くず鉄」になることを避けて改名
ところが、この案には大きな落とし穴がありました。
「くずりゅう鉄道」を略すと「くず鉄」になってしまうんですね。
これはさすがにイメージがよろしくないということで見送られ、最終的に旧国名の越前にちなんだ「えちぜん鉄道」という社名に決まったとされています。
ちなみにこのエピソードは複数の研究論文でも触れられていて、ただの噂話ではなく比較的信頼できる経緯として扱われているようです。
地名由来の社名は無難ではありますが、こういう裏話を知ると設立当時の担当者の悩みが目に浮かぶ気がします。
設立から運行再開までの道のり
ここを読むと会社ができてから実際に電車が走り出すまでの間に何が行われていたのかがわかります。
資本金と出資自治体の構成
えちぜん鉄道の資本金は4億9700万円で、福井県と沿線市町村、それに一般株主が出資する第三セクターとして構成されました。
具体的には坂井市、福井市、勝山市、永平寺町、あわら市といった5つの自治体が出資しており、まさに地域一体となって支えた会社と言えます。
行政だけでなく地元企業や住民の出資も含まれていた点は、ただの公営に近い第三セクターとは少し違う、地域密着型の色合いを強めていたのではないかと個人的には感じます。
京福電気鉄道からの事業譲渡
会社としては2002年9月17日に設立されたものの、すぐに電車が走り出したわけではありません。
国土交通大臣から2003年1月17日付で鉄道事業を譲り受ける認可を受け、同年2月1日に手続き上の開業を迎えています。
ただ、この時点ではまだ実際の旅客営業は始まっていません。
安全設備の整備などを経て、実際の運行再開は2003年7月から段階的に行われ、10月に全線開通というかたちに落ち着きました。
設立から全線再開まで、実に1年以上の準備期間があったことになります。
アテンダント制度という独自の取り組み
運行再開にあたって、えちぜん鉄道は駅をすべて有人化する予算がない中で、電車内に「アテンダント」と呼ばれるスタッフを乗務させる方式を導入しました。
アテンダントは切符の販売や乗降補助、観光案内、接続バスの案内などを行いますが運転士や車掌が担う運行そのものの業務は行いません。
この制度は通勤・通学の時間帯を除く日中に限定して運用されていて、免許を持たない高齢者や観光客への対応を主な目的としているそうです。
2021年時点で12名ほどが在籍し、ほとんどが地元出身者だったといいます。
全国に先駆けてこうした取り組みを始めたことが評価され、その後全国のローカル鉄道にも同様の仕組みが広がっていったとされています。
事故と廃止の危機から立ち直った会社が、単に電車を復活させるだけでなく、地域に寄り添うサービスを新たに生み出した点は、設立の経緯を知ったうえで見るとより意味深く感じられます。
設立後のえちぜん鉄道の歩み
ここでは設立から現在に至るまでの利用状況の推移を紹介します。
コロナ禍からの回復と過去最多の利用者数
設立から20年以上が経った現在、えちぜん鉄道の利用者数は大きく変動してきました。
新型コロナウイルスの感染拡大で令和2年度は利用者数が大きく落ち込みましたが、その後は回復傾向が続いています。
2023年度の利用客数は359万8903人で前年度比6.1パーセント増となり、通勤・通学定期などの日常利用はコロナ禍前の2019年度と比べても3.4パーセント増加していました。
さらに2024年度には北陸新幹線の県内開業の影響もあって利用客数がおよそ392万人に達し、これまで最多だった2018年度の369万9000人を上回って開業以来最多を記録しています。
廃線寸前まで追い込まれた鉄道が20年以上を経てここまで数字を伸ばしているのは、地域の応援があってこその結果だと思います。

まとめ
- えちぜん鉄道設立の日は2002年(平成14年)9月17日で、会社の設立登記が行われた日を指す
- 前身の京福電気鉄道は半年間に2度の正面衝突事故を起こし、廃止届の提出を経て第三セクターへの移行が決まった
- 社名は「くずりゅう鉄道」案が「くず鉄」という略称を避けるかたちで「えちぜん鉄道」に決まった経緯がある
- 設立から実際の全線運行再開まで1年以上を要し、独自の「アテンダント」制度が新たに導入された
- 2024年度には北陸新幹線開業の効果もあり、利用客数が開業以来最多を記録している
こうして振り返ってみると9月17日という日付ひとつにも、事故という重い出来事を乗り越えて地域が鉄道を守り抜いた歴史が詰まっているんだなと感じます。
福井を訪れる機会があればアテンダントさんが乗る電車にも一度乗ってみたくなりますね。

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