太平洋発見の日とは?由来や歴史を解説【9月25日】

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この記事を読めば9月25日の太平洋発見の日がどうして生まれたのか、その由来や歴史的な背景がすっきり分かります。

カレンダーで見かけて「これって何の日なんだろう」と気になった方も雑学として誰かに話したい方も、この記事を読み終えたころには背景をしっかり理解できているはずです。

目次

太平洋発見の日はどんな記念日なのか

ここではこの記念日が指している出来事の中身をまず整理していきますね。

9月25日に起きた出来事

太平洋発見の日は1513年9月25日にスペインの探検家バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアが、ヨーロッパ人として初めて新大陸側から太平洋を目にした出来事にちなんでいます。

パナマ地峡の山を越えたその瞬間、目の前に広がっていたのは、それまでヨーロッパでは存在すら知られていなかった巨大な海だったんですよね。

バルボアはこの海を「南の海(El Mar del Sur)」と名付けました。

私個人としては地図もろくにない時代に、目の前の海が本当に未知の大洋だと確信できたバルボアの胆力に、ちょっとゾクッとするものを感じます。

発見の日付に説が分かれている理由

実は、の発見の日付には25日説と27日説の二つがあるんです。

ブリタニカ百科事典でも「September25(or27),1513」と表記されていて、確定した一次資料が乏しいことが背景にあるようです。

当時の記録は後年の年代記作家による記述に頼る部分が大きく、日付にわずかなズレが生じたのだろうと考えられています。

ただ、日本語圏の主な資料や記念日として扱われる際には9月25日で統一されているケースが多い印象です。

バルボアとはどんな人物だったのか

ここを読むと太平洋を発見した本人がどんな経緯でパナマにたどり着いたのかが分かります。

借金から逃げるように渡ったパナマ

バルボアは1475年ごろ、スペインのエストレマドゥーラ地方の貴族の家に生まれましたが、実家は貧しかったようです。

最初はイスパニョーラ島に移り住んだものの、経営に失敗して借金を重ねてしまい、債権者から逃れるようにパナマ地峡付近の植民都市へ移った、という記録が残っています。

まさか借金逃れの延長線上に世界史に名を残す大発見が待っていたなんて、当人も想像していなかったでしょうね。

政治闘争に翻弄された植民地総督

その後バルボアはサンタ・マリア・ラ・アンティグアという植民地の実権を握り、事実上の指導者として振る舞うようになります。

先住民の首長から南方に黄金の産地と海があるという話を聞いたことが、太平洋発見への遠征のきっかけになったとされています。

ちなみに、この遠征の副官として同行していたのが、後にインカ帝国を征服することで知られるフランシスコ・ピサロだった、というのも押さえておきたいポイントです。

パナマ地峡を越えた遠征の実態

ここでは実際にどれくらい過酷な遠征だったのかを数字で見ていきます。

190人の隊とジャングルの行軍

1513年9月1日、バルボアは190人のスペイン人と数百人から千人規模とされる先住民の担ぎ手を率いて出発しました。

目的地までの距離はおよそ45マイル、日本の距離感覚だと70キロほどですが、これを踏み固められた道もないジャングルと湿地帯、山岳地帯を24日ほどかけて越えていったとされています。

1日3キロ弱しか進めない日もあったと考えると、単純な距離以上にきつい行軍だったことが伝わってきますよね。

私だったら数日で心が折れていたと思います。

先住民との衝突と犠牲

道中では先住民との武力衝突も発生していて、必ずしも平和な行軍ではなかったようです。

征服という文脈で見るとこの遠征は現地の人々にとって一方的な侵入でもあったわけで、発見の栄光だけを語るのは、正直ちょっと片面的な気もします。

あくまで私の見立てですがこうした側面もセットで知っておいたほうが、出来事の全体像に近づけるのではないかと感じています。

太平洋を発見した瞬間の様子

ここを読むと実際にバルボアが海を目にした瞬間の描写が分かります。

山頂に一人で登った9月25日

現地の先住民から「もう障害物はない」と告げられたバルボアは隊を止めて自分だけで丘に登ったと伝えられています。

午前10時ごろ、丘の頂から見えたのは、ジャングルの向こうに広がる見渡す限りの海でした。

この瞬間、同行していた者たちも次々に丘へ駆け上がり、歓喜したという記録も残っているんですね。

9月29日の領有宣言

海を見つけてから4日後の9月29日、バルボアは実際に海岸まで下りて水に足を踏み入れ、剣と旗を掲げてスペイン国王のために領有を宣言しました。

この海と、その海に接するすべての土地をスペインのものだと主張したわけです。

発見と領有宣言のあいだに数日の間があったというのは意外と知られていない部分かもしれません。

「南の海」から「太平洋」への呼び名の背景

ここではバルボアがつけた名前と、現在使われている呼び名の関係を整理します。

バルボアが名付けた「Mar del Sur」

バルボアはこの海を「南の海(Mar del Sur)」と名付けました。

パナマ地峡を南に向かって越えた先に海が広がっていたため、この名前になったとされています。

当時はまだ、この海がどれほど広大なのかも分かっていませんでした。

現在の「太平洋」という呼称の由来

現在使われている「Pacific Ocean(太平洋)」という名前はバルボアの発見からおよそ7年後、別の航海者が命名したものです。

この命名の経緯については太平洋発見の日とは別の話題になるので、ここでは深く触れないようにしますね。

太平洋発見の日はあくまでバルボアが初めてこの海を目にした出来事を記念する日なんです。

この発見が世界史に与えた意味

ここを読むとただの地理的な発見以上の意味がこの出来事にあったことが分かります。

新大陸が独立した大陸だという証明

バルボアの発見によってアメリカ大陸の反対側にも海が存在することが確実になりました。

それまでコロンブスをはじめとするヨーロッパの探検家たちは、新大陸をアジアの一部だと考えていた節があります。

太平洋の存在が確認されたことで、南北アメリカが独立した大陸であり、パナマのような細い地峡でつながっているにすぎないという地理感が固まっていったんですね。

スペインの海外進出を加速させた発見

この発見は後のスペインによる中南米進出を後押しする大きな弾みになりました。

太平洋という新たな海路の可能性が見えたことで、スペインは南米大陸の征服や太平洋横断航路の開拓にさらに力を入れていくことになります。

バルボアの部下だったピサロが後にインカ帝国を征服したことを考えると、この発見が持っていた影響の広がりは、想像以上に大きかったのだろうと思います。

バルボアのその後をどう見るか

ここでは発見者本人がどのような結末を迎えたのかを見ていきます。

政敵に処刑されるという結末

太平洋発見という大きな功績を上げたバルボアですが、その後の人生は決して安泰ではありませんでした。

パナマ総督としての立場をめぐって後任の総督ペドラリアスと対立し、反逆の罪で告発された末、1519年に処刑されてしまいます。

発見の栄光からわずか数年での結末というのはなんとも切ないものですね。

歴史というのは功績と結末が必ずしも比例しないんだなと、しみじみ感じさせられる部分です。

400年後、500年後に行われた記念行事

ここを読むとこの発見がどれだけ長く記憶され続けてきたかが分かります。

1913年、パナマの国民の祝日に

発見からちょうど400年後の1913年9月25日、パナマではこの日が国民の祝日として制定されました。

パナマ運河の完成に合わせて、太平洋発見を記念する博覧会の開催準備が始まった年でもあります。

ちょうど太平洋と大西洋をつなぐパナマ運河が完成する時期と重なったこともあって当時のパナマにとってはこの記念日が特に大きな意味を持っていたのだろうと想像します。

サンフランシスコの博覧会とアメリカの切手

1915年、アメリカのサンフランシスコではパナマ太平洋博覧会が開催され、バルボアの発見とパナマ運河の完成を祝う記念切手(US#401)も発行されました。

500年後の2013年にも、フィリピンをはじめ複数の国でこの発見を振り返る動きがあったようです。

500年という時間が経っても、こうして名前が語り継がれているというのは、けっこう感慨深いものがありますね。

太平洋発見の日をどう過ごすか

この日を意識して過ごすためのヒントをお伝えします。

地図を見ながら想像してみる提案

私の提案としては9月25日にちょっとだけ世界地図を開いて、パナマ地峡の細さと太平洋の広さを見比べてみるのがおすすめです。

実際の距離感を目にすると190人の隊が24日かけて越えた道のりが、いかに無謀とも言えるチャレンジだったかが体感できます。

自分の常識が通用しない場所に飛び込んでいく感覚を、少しだけ想像してみるのも面白いかもしれません。

名前の由来を調べてみるきっかけに

地名や海の名前の由来をたどってみると思っていた以上に人間の営みが詰まっていることに気づきます。

太平洋発見の日はそうした地理と歴史のつながりを見直すきっかけとして、けっこう良い題材なのではないかと感じています。

まとめ

太平洋発見の日について要点を整理しておきますね。

  • 太平洋発見の日は、1513年9月25日にバルボアがヨーロッパ人として初めて新大陸側から太平洋を目にした出来事にちなんだ記念日
  • 日付には25日説と27日説があり、確定した一次資料が乏しいことが背景にある
  • 発見までの遠征は190人の隊で行われ、ジャングルと山岳地帯を24日ほどかけて越える過酷な行程だった
  • バルボアはこの海を「南の海(Mar del Sur)」と名付け、9月29日にスペイン国王の名でこの海の領有を宣言した
  • この発見は新大陸が独立した大陸であることを証明し、スペインの海外進出を後押しした
  • バルボア自身は数年後、政敵との対立の末に処刑されるという結末を迎えている
  • 1913年にはパナマで国民の祝日に、1915年にはサンフランシスコの博覧会で記念切手が発行されるなど長く記憶され続けてきた出来事でもある
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