9月29日は「招き猫の日」って呼ばれているんですけど、実は誕生してから意外と歴史が浅い記念日なんです。
この記事を読めば招き猫の日がいつどうして生まれたのか、そして招き猫そのものの由来や発祥にまつわる複数の説まで、まとめてわかるようになっています。
「なんとなく聞いたことあるけど詳しくは知らない」
という方、けっこう多いんじゃないでしょうか。
私も調べる前は語呂合わせくらいしか知らなかったので掘っていくうちに思った以上に奥深いテーマだなと感じました。
招き猫の日はいつ制定されたのか
ここでは招き猫の日が具体的にいつ、誰によって作られたのかをお伝えしていきます。
1995年に日本招猫倶楽部が制定
招き猫の日は1995年9月29日に招き猫の愛好家組織である「日本招猫倶楽部」によって制定されました。
この団体は1993年に設立された全国規模のサークルで、招き猫が好きであれば誰でも参加できる、なかなか珍しいタイプの集まりなんですよね。
会員数は肌感で言うと数百人規模のようで実際に約500人が全国に在籍しているとの記録もありました。
制定から30年ほど経っているので、記念日としては比較的新しいほうだと言えそうです。

一般社団法人日本記念日協会も公式認定
日本招猫倶楽部が定めたこの日は、その後一般社団法人日本記念日協会からも公式に認定されています。
個人や一団体が勝手に言い出したものではなく、記念日として第三者機関に認められている点は、けっこう信頼度が高いポイントだと思います。
日本招猫倶楽部の公式サイトには
「いつも手を挙げて、私たち人間に福を招いてくれる招き猫に一年に一度くらいは感謝する日があってもいいのでは」
という思いから制定した、という趣旨が記されています。
つまりこの日はただの語呂合わせイベントというより、招き猫への感謝を伝える日として位置づけられているんです。
ちょっとほっこりする話ですよね。
なぜ9月29日が選ばれたのか
ここを読むと、日付の裏側にある語呂合わせの仕組みがわかります。
「9(来る)29(福)」の語呂合わせ
9月29日という日付は数字の並びを「9=く(る)」「29=ふく」と読み替えて「来る福」とする語呂合わせから選ばれています。
招き猫が「福を招く」存在だとされていることに引っ掛けて、この読み方が生まれたようです。
個人的にはこういう語呂合わせの記念日って日本らしい発想だなと感じます。
他の記念日でも似た手法はよく見かけますが、招き猫という縁起物のキャラクター性と語呂がぴったり合っている点は、なかなか秀逸な組み合わせだと思いました。
感謝を捧げる日という意味合い
先ほど触れた通り、この日は語呂合わせだけが目的ではなく、日々福を招いてくれている招き猫への感謝を示す日という意味も込められています。
招き猫ってお店の入り口や自宅の玄関先などで、いつも同じポーズで手を挙げ続けていますよね。
考えてみるとあの姿勢をずっと保ち続けているというのも、なんだか律儀な存在だなと思ってしまいます。
だからこそ、年に一度くらいは感謝を伝えようという発想が生まれたのかもしれません。
招き猫そのものの発祥にはどんな説があるのか
ここでは招き猫の日の主役である「招き猫」自体がいつどこで生まれたのかを整理していきます。
招き猫の日を語る上でこの由来を知らずには本質を理解できないと思うので、少し丁寧に見ていきますね。
江戸時代後期に誕生したという通説
招き猫は江戸時代後期、おおよそ今から180年ほど前の江戸で誕生したというのが比較的広く言われている見方です。
ただ発祥そのものについては、はっきりとした記録が残っているわけではなく諸説が並立している状態なんです。
江戸の地誌『武江年表』や歌川広重の浮世絵にも猫の人形にまつわる描写が登場していることから、江戸後期には庶民の間で猫の縁起物が一定の人気を持っていたことは間違いなさそうです。
豪徳寺の井伊直孝伝説
もっとも有名な発祥説のひとつが東京・世田谷にある豪徳寺にまつわる話です。
江戸時代初期の寛永年間、彦根藩主だった井伊直孝が鷹狩りの帰り道に寺の前を通りかかったところ、一匹の猫が手を挙げて招くような仕草をしていたそうなんです。
不思議に思って寺の中に入った直後、外は激しい雷雨になり、直孝はその猫のおかげで難を逃れたと伝えられています。
この出来事を喜んだ直孝は寺を大きく支援し、後に井伊家の菩提寺としました。
豪徳寺ではこの猫を「たま」と呼び、亡くなった後は猫塚を築いて祀り、その姿をかたどった人形を「招福猫児」と名付けて広めたと言われています。
今でも豪徳寺の境内には無数の招き猫が奉納されていて招き猫発祥の地として親しまれている場所なんですよ。
今戸焼の丸〆猫にまつわる説
もう一つ有力視されているのが東京・浅草の今戸周辺で作られていた「今戸焼」の丸〆猫(まるしめのねこ)を起源とする説です。
この土人形が招き猫の原型だったのではないかという見方で、好事家の間ではこちらを支持する声も少なくないようです。
丸〆猫は江戸後期の判じ絵や地誌にも登場していることから、当時すでに庶民の間で流通していたと考えられます。
加えて、浅草に住む貧しい老婆が愛猫を手放したところ、その猫が夢枕に立ち、姿を人形にして今戸焼で作ったのが始まりだという言い伝えも残っています。
吉原の花魁にまつわる説と中国からの影響
このほかにも東京・両国あたりの遊女屋で金猫銀猫を縁起棚に飾っていたことが起源という説や、吉原の花魁だった薄雲太夫の愛猫が招き猫のモデルになったという説もあります。
ちなみに猫が顔を洗うように前足を耳より高く上げると客が来る、という言い伝えは9世紀ごろの中国の書物にも見られるそうで、これが日本の招き猫のポーズに影響を与えたのではないかという見方もあるんです。
もともと日本では猫が養蚕を守るネズミ除けとして神の使い扱いされていた背景もあり、複数の文化的要素が積み重なって今の招き猫像に落ち着いたのかなという気もしています。
あくまで私の見立てですが一つの起源に絞りきれないほど、猫と福を結びつける発想が江戸の町にはあちこちに転がっていたんじゃないかなと感じますね。
招き猫の日にはどんな催しが行われているのか
ここでは実際に招き猫の日の前後で開催されているイベントについて紹介していきます。
来る福招き猫まつり
招き猫の日の前後の土日を中心に、全国各地で「来る福招き猫まつり」が開催されています。
三重県伊勢市のおかげ横丁では伊勢神宮のすぐ外側という土地柄もあって、期間中は界隈の手工芸品店が招き猫グッズを扱う店に様変わりするほどの賑わいを見せるそうです。
愛知県瀬戸市も瀬戸焼の産地として招き猫の一大生産地であり、こちらでも毎年イベントが開かれています。
島原市の喫茶店「水屋敷」での作品展
長崎県島原市にある湧水庭園を持つ喫茶店「水屋敷」では、1998年から続く招き猫の作品展が毎年開かれています。
2026年の開催では日本招猫倶楽部の協力のもと、全国の招き猫愛好家29人から作品が寄せられたと報じられていました。
29回目という数字も9月29日という日付と重なっていて、ちょっと縁を感じる部分ですよね。
こうした催しを見ると招き猫の日はただのカレンダー上の語呂合わせに留まらず、実際に地域文化として根を張っていることがよくわかります。

まとめ
招き猫の日について由来から歴史まで振り返ってみました。
ポイントを整理すると次のようになります。
- 招き猫の日は1995年に日本招猫倶楽部が制定し、日本記念日協会も公式認定している記念日
- 9月29日という日付は「9(来る)29(福)」の語呂合わせから選ばれた
- この日は招き猫に感謝を伝える日という意味合いを持っている
- 招き猫自体の発祥には豪徳寺の井伊直孝伝説や今戸焼の丸〆猫説など複数の説があり、はっきりとは決着していない
- 伊勢のおかげ横丁や愛知県瀬戸市、長崎県島原市などで毎年関連イベントが開催されている
普段何気なく目にしている招き猫にもこんなに複数の物語が絡み合っていたんだなと、調べていて改めて驚きました。
9月29日が来たら、玄関先やお店の招き猫にちょっとだけ目を向けてみるのもなかなか良い過ごし方かもしれません。
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