とんこつラーメンの日とは?由来や歴史を解説【10月2日】

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この記事を読めば10月2日が「とんこつラーメンの日」になった理由、制定した団体、記念日のきっかけになった久留米のラーメン史までがわかります。

「語呂合わせなのは知っているけど、それ以外は?」と思っている方に向けて書きました。

ラーメン好きの方なら白濁スープが失敗から生まれた話を聞くと、きっと誰かに話したくなるはずです。

目次

とんこつラーメンの日とは

ここでは記念日の基本情報(日付、制定者、目的)を整理します。

読み終えるころには、「誰が、なぜ、この日を決めたのか」を自分の言葉で説明できるようになります。

10月2日に決まった理由は語呂合わせ

日付の由来は「とん(10)こつ(2)」と読む語呂合わせです。

とてもシンプルですよね。

個人的にはラーメン関連の記念日の中でも特にすんなり覚えられる日付だと感じています。

10月に入って朝晩が冷え込み、濃いめのスープが恋しくなる時期と重なっているのも、ちょうどいいタイミングだなと思いました。

制定したのは福岡県久留米市の久留米ラーメン会

この記念日を制定したのは福岡県久留米市の「久留米ラーメン会」です。

一般社団法人・日本記念日協会によって認定、登録されています。

ここで押さえたいのは制定したのが博多や福岡市ではなく、久留米の団体だという点です。

久留米はとんこつラーメン発祥の地とされる街だからです。

博多のイメージが強い方には意外かもしれません。

なお、認定された年は私が確認できた範囲では資料によって記載が揃っていませんでした。そのため、ここでは年を断定しないでおきます。

目的は久留米の認知度アップと地元で味わってもらうこと

制定の目的は発祥の地・久留米の認知度を上げることと、とんこつラーメンを地元で味わってもらうことです。

ラーメンの日というと全国のお店がキャンペーンを打つ販促の日を想像しがちです。

ところがこの日はルーツのある土地に足を運んでもらいたい、という気持ちが前面に出ています。

そこが素敵だなと思います。

久留米ラーメン会の豚供養

ここではこの記念日ならではの恒例行事「豚供養」を取り上げます。読むと10月2日がただ食べて盛り上がるだけの日ではないとわかります。

毎年この日に行われる豚への感謝

毎年この日には豚への感謝を込めた豚供養が行われ、久留米ラーメン会のイベントが開かれるそうです。

全国でも類を見ない取り組みだと紹介している媒体もあります。

考えてみると私たちは1杯のラーメンで、豚の骨をかなりの量使ったスープをいただいています。

命をいただくことへの感謝を形にする行事は食べる側にとっても大切な時間なのではないでしょうか。

供養の場は久留米の水天宮とされる

ある記事では久留米の水天宮で豚を供養する神事として紹介されています。

ただ、会場や式次第は年によって変わる可能性もあるので、参加を考えている方は久留米ラーメン会の最新の告知を確かめてください。

久留米ラーメン界隈では「とんこつ供養塔」や「とんこつ神社」があったら面白い、という構想が語られたこともあるようです。

実現するかどうかは分かりませんが、土地の人たちがこの日を大真面目に、でも楽しみながら育ててきた様子が伝わってきます。

とんこつラーメンの歴史

ここではとんこつラーメンがどこで、どのように生まれたのかを年代順に追います。記念日が久留米で制定された理由がはっきり見えてきます。

1937年に久留米の屋台南京千両が誕生

とんこつラーメンの発祥は福岡県久留米市で1937年(昭和12年)に開業した屋台「南京千両」とされています。

初代は宮本時男さんです。

店主は東京や横浜で支那そばが流行していると知り、修行に出ました。

そして豚骨だしを使ったスープを完成させたと伝わっています。

修行先や着想の経緯は長崎ちゃんぽんと横浜の支那そばがヒントになったという説明や、横浜の南京街で2年間修行したという説明など、資料ごとに少しずつ違います。

私が思うには語り継がれる中で細部が揺らいだのでしょう。

ここは断定せず、「諸説ある」とするのが誠実だと思います。

豚を使ったのは当時高価だった鶏の代わりだったといいます。工夫から生まれた庶民の味だったのですね。

当時のスープは白くなかった

意外かもしれませんが誕生当時のとんこつスープは、白濁しておらず透明感のある清湯(ちんたん)でした。

今も南京千両で食べられるラーメンは、その清湯スープです。

「とんこつ=白い」というイメージはあとから作られたものだったんです。驚きました。

1947年に三九で白濁スープが誕生

白濁スープの誕生は10年後の1947年(昭和22年)のことです。

久留米の屋台「三九」の杉野勝見さんが仕込みを母親に任せて外出し、戻ってみるとスープが強火で煮立ち白く濁っていた、という出来事がきっかけとされています。

失敗かと思って味見をしたら、思いのほかおいしかった。

それ以降、この白濁スープをラーメンに使うようになったと伝わります。

屋号の「三九」は、宮本さんの生年が明治39年だったことと英語のサンキューにちなむそうです。親交の深さが感じられるエピソードですよね。

久留米で育った背景とスープの技

ここでは久留米でラーメン文化が根づいた背景と、久留米ならではの製法を紹介します。読めば1杯の味の奥にある街の歴史が見えてきます。

ゴム産業の街と屋台文化

久留米はブリヂストン、ムーンスター、アサヒシューズというゴム関連3社の創業地で、これらの発展と戦後の復興とともに、ラーメン文化が花開いたといわれています。

ここからは私の見立てですが工場で働く人たちが、安くてお腹にたまり、体が温まる一杯を求めた。

それが屋台の繁盛につながったのではないでしょうか。あくまで推測ですけどね。

呼び戻し(継ぎ足し)という製法

久留米ラーメンの伝統的な製法に「呼び戻し」や「継ぎ足し」と呼ばれるものがあります。

スープが減ったら、別の釜で煮立てた新しいスープを足していく方法です。

老舗のうなぎ屋さんの秘伝のタレと同じ理屈、と説明されることもあります。

毎日の鍋が、昨日までの鍋とつながっているわけです。その店の歴史がそのままスープの中に溶け込んでいる。

そう思うと、ちょっとロマンを感じませんか?

博多ラーメンとの関係

白濁豚骨スープのルーツは1947年の久留米にあるとされています。

博多や長浜のラーメンもこの流れの中で育ってきたと考えられます。

「とんこつといえば博多」という印象が強いのは事実です。

とはいえ、発祥という点では久留米に軍配が上がると多くの資料が伝えています。記念日を久留米の団体が制定したのも、自然なことだと納得できますね。

10月2日の楽しみ方

ここでは記念日を実際に楽しむための具体的な方法をお伝えします。読めば10月2日をどう過ごすか、イメージが湧くはずです。

久留米で食べ比べる

可能なら久留米まで足を運ぶのがいちばんです。

清湯の流れをくむ南京千両と、白濁スープの原点を伝える系譜のお店を食べ比べると、「とんこつ」の幅の広さを実感できます。

国道3号沿いのこってり系のお店は国道系と呼ばれることもあるそうです。

同じ久留米でも店によって印象がかなり違うと思います。

自宅や近所のお店で味わう

遠方の方は近所のとんこつラーメンのお店や、お取り寄せの久留米ラーメンでもいいですよね。

一口目のスープを飲みながら、「この白さは、昔の失敗から生まれたんだよな」と思い返してみる。

そのひと手間だけでいつもの一杯が少し特別になります。

友だちに話したい豆知識

  • 10月2日は「とん(10)こつ(2)」の語呂合わせです。
  • 制定したのは福岡県久留米市の久留米ラーメン会です。
  • 最初のとんこつスープは白くなく透明感がありました。
  • 白濁スープは、1947年の三九での火加減の失敗から広まったとされています。

まとめ

  • 10月2日は、「とん(10)こつ(2)」の語呂合わせで決まったとんこつラーメンの日です。
  • 制定したのは、発祥の地とされる福岡県久留米市の久留米ラーメン会で、日本記念日協会に認定されています。
  • 毎年この日には豚への感謝を込めた豚供養が行われるそうです。
  • とんこつラーメンの始まりは、1937年に久留米で開業した屋台「南京千両」とされています。
  • 白濁スープは1947年に屋台「三九」で生まれたとされ、火加減の失敗がきっかけでした。
  • 久留米にはスープを継ぎ足していく「呼び戻し」という伝統製法が根づいています。

0月2日はお気に入りの一杯を前に、そのルーツにも思いを馳せてみてください。

いつもより少しだけ、おいしく感じられるかもしれませんよ🍜

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