「社内報の日」は10月5日にあたる記念日です。
この記事を読めば制定した会社や日付の理由、社内報そのものの歴史、そして今年の10月5日をどう過ごすと意味のある日になるかまでわかります。
「10月5日が社内報の日らしいけど、誰がいつ決めたの?」
「そもそも社内報っていつからあるんだろう」。
そんな小さな疑問を抱えてこの記事にたどり着いた方も多いと思います。
社内報の担当になったばかりの方や広報や総務、人事で「そろそろ見直したいな」と感じている方もいるかもしれません。
社内報の日は日付の語呂合わせが実はとても意味深いんです。歴史をたどると社内報が生まれた理由にも驚かされました。ゆっくり見ていきましょう😊
社内報の日とは?10月5日の基本情報
ここでは社内報の日の基本情報を整理します。
ここを読むと誰がどんな目的で制定した記念日なのかがすっきり理解できます。
社内報の日は10月5日
社内報の日は毎年10月5日です。
企業の中で社員に向けて発行される「社内報」の役割をあらためて見つめ直し、その活用を広げていこうという趣旨で作られました。
社内報は社内誌や社内広報誌、グループ報など、会社によって呼び方がさまざまです。
紙の冊子だけでなくWebやアプリ、動画の形をとるものも増えています。
つまり社内報の日はそうした社内向けの情報発信全体を応援する日だと考えると、イメージしやすいですね。
制定したのは社内報の専門会社
制定したのは社内報のコンサルティングや企画制作を手がけるナナ・コーポレート・コミュニケーションです。
現在はウィズワークス株式会社という社名になっています。
この記念日は一般社団法人の日本記念日協会に認定、登録されています。
国や自治体が決めた祝日とは違い、民間企業が思いを込めて申請し、協会が認定した記念日、という位置づけです。
ちょっと意外でしたか?私は最初、もっと公的な日なのかなと思っていました。

制定の背景にあった思い
制定当時、社内報という言葉自体の認知度はまだ高くなく、社内コミュニケーションの大切さを評価していたのも一部の企業だけだったそうです。
だからこそ「広く一般に知ってもらいたい」「社内報の重要性や役割を認識してほしい」という思いがありました。
さらに社内報づくりに関わる人たちのモチベーションを高めたい、という願いも込められています。
社内報の担当者って、本業と兼務で孤軍奮闘している方が少なくありません。
あくまで私の見立てですが、記念日には「担当者へのエールの日」という側面もあるのかなと感じます。
社内報の日の由来は語呂合わせと表彰の時期
なぜ10月5日になったのかを解説します。ここを読むと日付に込められた二つの理由がわかります。
「社内を統合」で10月5日
一つ目の理由は語呂合わせです。
「社内を統(10)合(5)する」という言葉から、「とう(10)ご(5)う」と読んで10月5日になりました。
「統合」という言葉選びが、なんだか絶妙だと思いませんか?社内報は情報を伝えるだけでなく、部署や拠点、世代のバラバラな気持ちを一つにまとめるものだという考え方がそのまま日付になっているんです。
10月第1週のコンペにちなんでいる
二つ目の理由は10月の第1週に、優秀な社内報の企画を表彰するコンペが開かれていたことです。
当時の名称は「全国社内誌企画コンペティション」とされています。
現在の「社内報アワード」の前身にあたります。
ちなみに、資料によってこのコンペの名称は「社内誌企画」と「社内報企画」の二通りが見られます。
細かな表記ゆれだと思いますが詳しい経緯までは確認できていません。
語呂とイベントが重なった偶然かも
これは憶測ですけど語呂だけで決めたのではなく、業界にとって一年で一番盛り上がる時期に日付を合わせたのではないでしょうか。
表彰の季節に記念日があれば、話題にもしやすいですよね。
実際、今年のアワード表彰イベントは2026年10月9日、渋谷ヒカリエで開かれます。
記念日の数日後に表彰があるという並びはいまも続いていることになります。
社内報の歴史は明治時代から
ここでは社内報がいつ、どこで生まれたのかをたどります。ここを読むと日本最古の社内報をめぐる二つの説がわかります。
世界で最初といわれる社内報
世界に目を向けると1887年にアメリカのナショナル金銭登録機会社(National Cash Register Company)が発行した「N.C.R.」が、社内報の始まりとして紹介されることがあります。
経営トップのメッセージや商品情報、販売のノウハウなどを載せ、社員の意識を高める狙いがあったとされています。
1880年代にすでに社員に向けた専用の媒体があったわけですね。思った以上に早い時期だと感じました。
日本最古は二つの説がある
日本の最初の社内報には実は説が二つあります。
一つは現在の日本生命保険が1902年(明治35年)に発行した『社報』とする説です。
もう一つは現在のクラシエホールディングス(当時は鐘淵紡績)が1903年(明治36年)に発刊した『兵庫の汽笛』とする説です。
『兵庫の汽笛』は現在の『クラシエニュース』に引き継がれているともいわれています。
どちらが「最初」かで、その年次が一年ずれるんですね。
どちらにしても、日本の社内報は明治時代に誕生したと考えて間違いなさそうです。
保険会社が社内報を始めた理由
保険会社の事情は、想像するととても納得できます。
全国に営業所を広げていた時代に、社員同士の情報共有は大きな課題でした。そこで経営方針の伝達や社員の結束のために、社内報が活用されたのです。
創刊当初の内容は、トップの訓示や社訓の紹介が中心でした。
今の「社員紹介」や「部署訪問」みたいな親しみやすい記事とはかなり雰囲気が違ったようです。
『兵庫の汽笛』と武藤山治の想い
『兵庫の汽笛』が生まれた背景を深掘りします。ここを読むと社内報の原点が経営者の何から始まったのかが見えてきます。
過酷な労働環境の中で生まれた
明治期の産業革命で日本は紡績や綿織物といった軽工業を中心に発展しました。
ところが、労働者は低賃金で長時間労働を強いられていました。
紡績工場で働く若い女性たちの過酷な状況は、「女工哀史」という言葉で知られていますよね。
そんな時代に鐘淵紡績の兵庫支店工場長だった武藤山治氏が「兵庫の汽笛」を発行しました。
これが社内報第一号といわれているものです。
温情主義と家族主義という考え方
武藤氏は温情主義や家族主義という経営の考え方を掲げた人です。
工場の中に学校や託児所を設けるなど、福利厚生を整えました。
それだけでも当時としては驚きですが社内報まで発行して、社員同士のコミュニケーションも大切にしたとされています。
ときには従業員の娯楽になるような記事も載せていたそうです。
社内報のルーツが「会社からの命令書」ではなく「社員を思う気持ち」にあったというのは、胸に響きました。
3万部という発行部数の重み
発行部数は当時の一般の新聞と比べてもかなりの量となる3万部だったと伝えられています。
従業員全員に配られ、上から下への伝達と下から上への伝達の両方を実現しようとした、というのがその狙いです。
ここから先は私の考えですが、「全員に同じ情報を同じタイミングで届ける」という発想は、いまのインナーコミュニケーションの基本そのものです。
120年以上前に、同じ課題に向き合っていた人がいたんですね。
…うん、なんだか背筋が伸びます。
時代とともに変わった社内報の役割
ここでは大正から現代までの流れを追います。ここを読むと社内報が社会の動きに合わせてどう姿を変えてきたかがわかります。
大正から昭和初期は労務問題が中心
大正時代は民主主義や自由主義の考え方が広まり、労働運動も活発になりました。
経営者は労使協調や働くことの意味を社内報で解説しています。
主な記事のテーマは労使協調、失業問題、働きがい、労働者の自覚などでした。
その後の不況期には社内報で親睦を重視した記事が増えます。
川柳の公募や結婚した従業員の紹介など一度に約200名が登場する「全員登場主義」が主流になったそうです。
戦時中と戦後の大きな揺れ
戦時体制に入ると多くの社内報は紙不足や人手不足で廃刊や休刊に追い込まれました。
生き残ったものも、戦意高揚が目的のものが多かったようです。戦後は、労働組合が「組合報」を発行して団結を強めました。
経営側は、自分たちの考えを自分の手で伝えるために、社内報を重要な手段と位置づけていきます。
社内報が「対抗する媒体」として力を持った時期、というのは少し意外でした。
高度経済成長期の創刊ブーム
高度経済成長期には企業の全国展開が進み、工場や支社が各地に広がりました。
情報共有の手段として社内報を発行する企業が増え、「創刊ブーム」と呼ばれるほどになります。「第三のジャーナリズム」と呼ばれる社内報ブームが訪れ、全国社内報コンクールも始まりました。
バブル崩壊後の冬の時代
バブル期の社内報はデザインも華やかになり、企業PRの色合いが強くなりました。
ところがバブル崩壊後はコスト削減の波で紙媒体が縮小されていきます。
ページ数や発行数を減らしたり、社内報そのものをやめたりして、企業が「経費節減に取り組んでいます」と社員にアピールする。
そうした動きを、「社内報のスケープゴート化」と呼ぶそうです。厳しい言葉ですよね。
デジタル化と紙の見直し
1990年代以降はPDF配信やイントラネットが広がりました。
伝達の速度は上がった一方で、
「じっくり読まれにくい」
「社員間の温度感が伝わりづらい」
といった課題も出てきました。最近は、紙とデジタルを併用する企業が増えています。
紙は「じっくり読める」、デジタルは「動画やリンクを使える」という強みがあるためです。
Web社内報から紙に戻した企業もあるそうで手元に残る感覚はやっぱり強いんだなと思います。
今の社内報は経営を動かすツールへ
ここを読むといま社内報がどんな役割を期待されているかが数字でわかります。
約7割が「経営に貢献」と回答
ウィズワークスは2026年8月31日から9月18日にかけて、「社内報アワード2026」の表彰、交流イベントに申し込んだ363名にWebアンケートを実施しました。
その結果、「社内報やICが組織づくりや経営に貢献している」と答えた人は、全体の約70%でした。
なお、この対象はアワード応募企業なので社内報に力を入れている会社が中心です。
数字は少し高めに出ている可能性があると受け止めるのが誠実だと思います。

貢献していると感じる点の内訳
どの点で貢献していると感じるか(3つまで選択可)という質問では次の結果でした。
- 経営理念やビジョンの浸透が55.3%
- 社内コミュニケーションの醸成が50.3%
- エンゲージメント向上が46.0%
- 事業への理解が34.4%
- 組織文化づくりが34.1%
半数以上が「理念の浸透」を挙げているのは納得感があります。
社内報は情報を届けるだけでなく、価値観をそろえる装置として使われているんですね。
担当者のリアルな手応え
自由回答には具体的なエピソードも並びました。
たとえば、人事制度が大きく変わったときに、イラスト入りで社員の利点を整理した特集を出したところ、
「新しい人事制度が理解できた」
という反応が多かったそうです。
別の企業では、
「社内報に出られてうれしい」
「頑張りにフォーカスしてもらえるとモチベが上がる」
という声が届いたといいます。
派手な数字ではなくてもこうした一言が担当者を支えているのだと思います。
私が考える意外な真実
ここは私の見立てです。
「社内報は読まれていないから意味がない」とよくいわれますが、アンケートの声を見ると読まれたかどうかより「話題にされたかどうか」のほうが成果の実感につながっているように感じます。
「社長がこんなこと言ってたよね」と雑談で出る状態が社内の統合そのものなんじゃないでしょうか。
10月5日に社内報の日を活かす方法
この記念日を実際の仕事に活かすアイデアをまとめます。ここを読むと明日から使える具体的なアクションが見つかります。
社内報の日にできること
私が思いつくのは次のようなことです。
大がかりな準備はいりません。
- 社内報の歴史や社内報の日の由来をイントラやチャットで一言紹介する
- 過去の号を振り返って社員の反響が大きかった記事を共有する
- 読者アンケートを短く実施して読者の本音を集める
- 編集に関わった人へ、感謝のメッセージを送る
記念日を話題にすれば社内の誰かが「うちにも社内報あったね」と思い出してくれるかもしれません。
それだけでも一歩前進です。
自社の社内報を見直す視点
せっかくなので年に一度の見直しの日にしてみるのもおすすめです。
確認したいのは誰に向けた媒体なのか、何を変えたい媒体なのか、という目的の部分ですね。
アワードの審査でも媒体や企画の「目的や設計」が重視されています。
目的が決まっていれば紙かWebかという手段の悩みも、ぐっと小さくなると思います。
社外への発信にも使える
記念日に合わせて自社の取り組みを発信すれば普段は接点の少ないメディアの目にも届く可能性があります。
SNSも、時節に合った投稿は受け入れられやすいといわれています。
採用広報の一環として社内報づくりの舞台裏を見せるのも面白そうです。
まとめ
- 社内報の日は10月5日でナナ・コーポレート・コミュニケーション(現ウィズワークス)が制定し、日本記念日協会が認定した記念日です。
- 日付は「社内を統(10)合(5)」の語呂合わせと、10月第1週に開かれていた社内報企画のコンペにちなんでいます。
- 日本最古の社内報には、日本生命の『社報』(1902年)と、鐘淵紡績の『兵庫の汽笛』(1903年)という二つの説があります。
- 『兵庫の汽笛』は武藤山治氏の温情主義や家族主義の思想から生まれたとされ、発行部数は3万部でした。
- 社内報は、労務問題や戦争、組合報との対抗、創刊ブーム、バブル崩壊後の縮小、デジタル化を経て、今は経営を支えるツールへ変わっています。
- 2026年の調査では約7割が「経営に貢献している」と回答しました。ただ、対象はアワード応募企業です。
- 10月5日は、自社の社内報を振り返り、担当者を労い、目的を見直す絶好のタイミングです。
週の始まりに社内報をそっと話題にしてみてください。きっと、社内の空気が少しやわらぎますよ✨

コメント