この記事を読むとサツマイモの日がなぜ10月13日なのか、いつ誰が決めたのか、そしてサツマイモが日本に根づくまでの歴史が一通りわかります。
「毎年なんとなく目にするけれど、理由は知らないな」
という方にも読んでもらえるよう数字や人物名を交えて丁寧にまとめました。
子どもに聞かれて答えに詰まったり、SNSで話題にしたかったりすると意外と由来まで説明できないものですよね。
実は、日付の裏には江戸っ子の洒落と距離の話が重なっています。
私もこの由来を知ったとき「なるほど、うまくできてるなあ」と思わず声が出ました。
サツマイモの日の基本情報
ここではサツマイモの日を誰がいつ制定したのかという基本情報がわかります。
10月13日がサツマイモの日です
サツマイモの日は毎年10月13日です。
サツマイモの旬にあたる秋の日付で、「この日はサツマイモを味わう日」と覚えておけば十分だと思います。
制定したのは川越いも友の会
制定したのは埼玉県川越市のサツマイモ愛好者が集まる「川越いも友の会」です。
1984年3月に発足し、川越地方のサツマイモにまつわる伝統文化を守る市民運動と、愛好者や研究者、業者を結ぶ文化活動を目的にした団体です。
1987年に全国公募で決まりました
名前と日付は全国公募で決まりました。1987(昭和62)年9月に全国へ向けて宣言されています。
会の発足から3年ほどで全国に向けた宣言まで行ったことになります。
地元の熱量がかなり高かったんだろうなと感じます。
10月13日になった由来
ここでは日付が10月13日に決まった理由がわかります。
「栗(九里)より(四里)うまい十三里」という洒落
日付の最大の理由は江戸時代の洒落です。サツマイモは「十三里」と呼ばれていました。
これは栗を「九里」と書けることにちなんでいます。
「栗(九里)より(四里)うまい十三里」という言い回しです。
九に四を足すと十三になるという足し算の洒落ですね。
声に出すと軽快で江戸の人たちが面白がって広めたのも納得です。
江戸から川越までの距離も約13里
もうひとつの説が距離です。
江戸の日本橋からサツマイモの産地として知られていた川越までが、およそ十三里(約51km)だったという話です。
洒落と距離、どちらが先なのかは私の調べた範囲では断定できませんでした。
ここからは憶測ですが実際の距離が先にあって、それに洒落が重なったから広まりやすかったのかもしれません。
数字がぴたりと合う偶然が言い回しを強くした可能性はありそうです。
10月は旬、13日は十三里から
月については10月がサツマイモの旬だからです。
どの説をとっても13日は「十三里」から、10月は出回る時期から決まったことになります。
「13の長所」という説もあります
もうひとつ、サツマイモには痩せた土地で育つ、台風に強いなど13もの長所があるからという説も伝わっています。
こちらは補足的な説明として添えられることが多く日付の主な根拠は十三里のほうだと私は受け止めています。
十三里と焼き芋の江戸
ここでは十三里という呼び名が広まった江戸の背景がわかります。
川越が産地になれた理由
川越は江戸から約13里と距離がありました。
それでも川でつながっていたため、重くてかさばるサツマイモを舟で運べたそうです。
こうして産地として定着しました。
安く買える甘いものだった焼き芋
18世紀後半の江戸では焼き芋が大流行していました。安く買える甘いものが少なかったからです。
その中でも「川越のいも」は本物だと人気でした。今でいうブランド品ですね。
川越いもの栽培法を磨いた人
川越には栽培法を確立した人物もいます。赤沢仁兵衛です。
1866年から種芋の選び方や肥料のやり方、畝の作り方を研究しました。
その方法を惜しまず周りに教え、1910年、73歳のときに本にまとめています。
川越は1960年代まで、本有数の産地でした。
サツマイモの日を川越の団体が決めた背景には、こうした長い積み重ねがあったのだと思います。
日付にちなんだ川越の行事
川越の妙善寺では毎年10月13日に、地元のサツマイモの神様(いも地蔵)へ、その年の豊作を感謝する法要が営まれていると伝わっています。
日付に実際の祈りが重なっているのは、印象的でした。
サツマイモが日本に来るまでの歴史
ここではサツマイモがどのように日本へ伝わったのかがわかります。
原産地と琉球への伝来
サツマイモは中南米が原産と考えられています。
日本には16世紀から17世紀にかけて、中国や琉球を経由して伝わったとされています。
具体的な人物名が残るのは1605年です。
琉球の野國総管が進貢船の事務長として中国の福州へ渡り、芋を鉢植えにして持ち帰りました。郷里の野國村で栽培したのが始まりと伝わっています。
薩摩へ持ち込んだ前田利右衛門
それから約100年後の1705(宝永2)年、山川(現在の指宿市)の船乗り、前田利右衛門が琉球から持ち帰りました。
栽培に成功し、周りの農民にも苗を分けたと伝わっています。
山川は雑穀しか育たず、台風も多い土地でした。火山灰にも台風にも強い芋が、地域にはぴったりだったようです。
「サツマイモ」という名前の理由
鹿児島では中国由来の芋という意味で「唐芋(カライモ)」と呼んでいました。
のちに全国へ広まる際、薩摩から来た芋ということで「サツマイモ」という呼び名が定着したと伝えられています。
名前の由来を知ると、サツマイモの日の「サツマ」にも、旅の歴史が詰まっているように感じますよね。
青木昆陽と飢饉を救った歴史
ここではサツマイモが救荒作物として全国に広がった経緯がわかります。
享保の大飢饉と青木昆陽
全国に広めた立役者は蘭学者の青木昆陽(1698〜1765年)です。
栄養があって育てやすい芋は飢饉のときに欠かせないと考え、長く栽培を研究していました。
享保の大飢饉が起きたとき、8代将軍の徳川吉宗が昆陽の取り組みに注目しました。
これが全国普及のきっかけになったと伝わっています。
1735年、千葉の幕張で試作
1735年、現在の千葉市で試作が始まりました。
やがて幕張周辺でも栽培が増え、天明と天保の飢饉でもこの地域では餓死者が出なかったと言われています。
昆陽の功績をたたえて昆陽神社も建てられています。
日本の食を支え続けた芋
太平洋戦争のときにもサツマイモは重要な食料でした。日本が食料危機から救われた面もあると紹介されています。
ちなみに、海の向こうの韓国にも似た話があります。
1763年に朝鮮通信使の趙曮が対馬で芋を見つけ、種を釜山へ送ったと伝わっています。
サツマイモが人々の命綱になった歴史は国境を越えて共通しているんですね。
サツマイモの日の楽しみ方
ここでは10月13日をどう過ごすと楽しいかがわかります。
十三里の洒落をひとこと添えて食べる
特別な準備は要りません。
焼き芋でも蒸かし芋でも好きな食べ方で十分です。
食べる前に、「栗(九里)より(四里)うまい十三里」と一言添えるだけで普段の一本がちょっと特別に感じられます。
家族や友人へ話すときのひとこと
おすすめは、「日付は江戸っ子の足し算なんだよ」と話すことです。
九と四で十三。
説明が短く、聞いた人も覚えやすいです。
「へえ!」という反応が返ってきて嬉しくなりますよ🍠
身近なサツマイモのルーツを調べる
もうひとつは買ったサツマイモの産地を見てみることです。
川越や鹿児島、千葉など、歴史に出てきた土地と重なるかもしれません。
ただ、産地の傾向は年によって変わるのでそこは自分の目で確かめてみてください。
まとめ
- サツマイモの日は毎年10月13日です。
- 制定したのは、埼玉県川越市の「川越いも友の会」で、1987年に宣言されました。
- 日付は「栗(九里)より(四里)うまい十三里」という洒落が由来です。
- 江戸から川越までが約十三里(約51km)という説や、旬の10月という理由も重なっています。
- 日本への伝来は、1605年の野國総管、1705年の前田利右衛門が知られています。
- 青木昆陽が享保の大飢饉をきっかけに、全国への普及に尽力しました。
- 由来を知って食べるといつもの焼き芋がもっと味わい深くなります。
0月13日はぜひ誰かに十三里の洒落を話しながら、サツマイモを味わってみてください。

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