この記事を読めば5月2日が世界の航空史においてどれほど重要な日なのか、そしてコメット旅客機がなぜ「栄光と悲劇の両方を持つ機体」として語り継がれているのかが、ひと通りわかります。
飛行機に詳しくなくても、「そういえば旅客機の窓って丸いな」と感じたことはありませんか?
実はあの丸窓の誕生にはコメットの悲劇が深く関わっているんです。
知っておくと、次に飛行機に乗るときの見え方がちょっと変わるかもしれません。
5月2日はコメット就航の日
1952年5月2日は世界で初めてのジェット旅客機が商業路線に就航した日です。
この日、イギリスの英国海外航空(BOAC)が運航するデ・ハビランドDH.106「コメット」が、ロンドンを飛び立ちヨハネスブルグへ向かいました。
途中5カ所に着陸しながら5,836kmを23時間34分で結んだ、当時としては画期的なフライトでした。
プロペラ機が主流だった時代に静粛なジェットエンジンで高高度をスイスイ飛ぶ。
そのインパクトは想像以上だったと思います。
コメットはどんな旅客機だったのか
開発の背景と初飛行
コメットの設計は第二次世界大戦の末期にスタートしました。
イギリスのデ・ハビランド社が開発を担い、1949年7月27日にハートフィールド飛行場からプロトタイプが初飛行に成功しています。
テストパイロットはデ・ハビランドのチーフテストパイロット、ジョン・カニンガム。
飛行時間はわずか31分でしたが、「航空を変えるだろう」と彼自身が語っていたほどの感触だったようです。
当時最先端の技術を詰め込んだ機体
コメットが他の旅客機と決定的に違ったのは与圧キャビンの採用です。
人間が普通に呼吸できない高高度(約1万メートル以上)を飛ぶために、機内を常に外気より高い気圧に保つ仕組みで、これによって燃料を節約しながら高速飛行が実現しました。
エンジンは4基のデ・ハビランド・ゴーストジェットエンジンを翼の付け根に埋め込んだ設計で3万フィート(約9,100メートル)以上では燃費がよく、振動も少なくて騒音もレシプロエンジンより格段に小さかったとのこと。
これは乗客にとって相当快適だったでしょうね。
機体の外板は先進的なアルミ合金で作られ、リベットの打ち込みによる疲労亀裂の拡大を防ぐため「Redux(リダックス)」という接着剤と組み合わせる手法が用いられていました。
就航当初の成功ぶり
商業運航の初年度、コメットはなんと3万人の乗客を運んでいます。
商業的に採算が取れる搭乗率が43%と低く設定できたため、収益性も高く、1953年の夏にはBOACだけでロンドン発のコメットが毎週8便飛んでいたそうです。
ロンドンからヨハネスブルグへ3便、東京へ2便、シンガポールへ2便、コロンボへ1便。
世界中の空を席巻していた感じがしますね。
就航の喜びと訪れた悲劇
1952〜1953年
就航した1952年はまさにコメットの絶頂期でした。
英国王室も搭乗し、世界中のメディアがコメットを取り上げました。
プロペラ機しかなかった時代にこれが登場したわけですから、注目と羨望の的になったのは当然でしょう。
1953年、最初の影
ところが就航からわずか1年も経たない1953年5月2日(奇しくも就航記念日と同じ日)、インドのカルカッタ付近でBOAC783便が嵐に巻き込まれ墜落。
43名が亡くなりました。
ただ、これは気象条件による事故とされ機体の構造問題には結びつかなかった。
1954年、謎の空中分解
問題が深刻になったのは1954年です。
1月10日、地中海エルバ島上空でBOAC781便が突然消息を絶ち、機体が空中で粉砕されて35人全員が犠牲になりました。
同年4月8日にはナポリ沖でも別のコメットが同様に空中分解し21人が死亡。
この時点でBOACはすべてのコメットを運航停止し、英国政府が本格的な事故調査に乗り出しました。
なぜコメットは空中分解したのか
金属疲労という「見えない敵」
事故調査はイギリスの王立航空研究所(RAE)ファーンバラが主導し、水中に沈めた機体胴体に繰り返し内圧をかけるという大規模な実験が行われました。
その結果、機体の金属疲労が原因であることが明らかになります。
具体的には離着陸のたびに機内を加圧・減圧するサイクルが繰り返されるため、胴体外板に徐々に微細な亀裂が入っていったんです。
コメットは高高度飛行のために与圧差を0.58気圧と設定していてこれは当時の他の与圧旅客機の0.4気圧を大きく上回っていました。
結果的に機体への負荷が設計者の想定をはるかに超えていたわけです。
「四角い窓」が応力集中を引き起こした
さらに問題を悪化させたのが窓の形状でした。
コメットの窓は四角形に近い形をしていて、その角の部分に応力が集中しやすかった。
繰り返しの与圧サイクルによって角から微細な亀裂が広がり、ある飛行回数を超えたところで一気に爆発的な破壊が起きたと考えられています。
当時の試験方法にも未熟な部分があって、設計当初の疲労破壊の見積もりが実態と大きくズレていたことも判明しました。
これは金属疲労に対する工学的知見がまだ十分でなかった時代の限界でもありますね。
要するに誰も悪意を持っていたわけではなく、「誰もまだ知らなかった領域」で起きた悲劇だったんです。
コメットが現代の航空に残した教訓
旅客機の「丸窓」の誕生
コメットの事故以降、世界中のジェット旅客機の窓はすべて丸みを帯びた形状になっています。
これは角への応力集中を防ぐための設計変更で、現在のボーイングやエアバスの最新機にも受け継がれています。
次に飛行機に乗ったとき、ふと窓を見てみてください。その丸みには、70年以上前の教訓が宿っているんです。
ただ、一部では「コメットの四角窓が原因で丸窓になった」という説が広まっていますが窓が完全な四角形だったわけではなく、あくまで「角の応力集中」の問題だったという点は念のため補足しておきます。
金属疲労とフェールセーフ設計の確立
コメットの調査結果は航空工学における金属疲労とフェールセーフ設計の理解を一気に深めました。
フェールセーフとは一部が壊れても全体が壊滅的な破損に至らない設計思想で、現代の旅客機に当たり前のように組み込まれています。
亀裂が発生しても伝播を食い止める構造がその代表例です。
ブラックボックスの発展にも貢献
コメットの事故調査では飛行中に何が起きたかを記録するデータの重要性が強く認識されるようになりました。
これがフライトレコーダー(いわゆるブラックボックス)の発展を後押しする遠因になったと言われています。
どれほど精緻な機体でも事故の原因を事後に分析できるデータなしには安全性を高められない、という教訓です。
ボーイング707との競合と「遅すぎた復活」
コメット4型が改良型として就航したのは1958年のことで、その設計は大幅に見直されていました。
でも、その頃にはすでにアメリカのボーイング707やダグラスDC-8が登場していて、コメットが失った市場のリードを取り戻すことはできませんでした。
なんというか最初に走り出した先駆者が、事故で立ち止まっている間に後続に抜かれてしまった…という、切ない展開ですよね。
まとめ
- 1952年5月2日、英国海外航空(BOAC)のコメットがロンドン〜ヨハネスブルグ間で世界初の商業ジェット旅客便を運航
- プロトタイプの初飛行は1949年7月27日、開発はデ・ハビランド社によって第二次世界大戦末期から開始された
- 初年度に3万人を輸送するなど商業的に大成功を収めたが1954年に立て続けに謎の空中分解事故が発生
- 原因は与圧キャビンの繰り返し加減圧による金属疲労と四角い窓の角への応力集中
- この事故を通じて、丸窓の設計、フェールセーフ思想、フライトレコーダーの重要性が世界に広まり、現代航空安全の礎となった
コメットの歴史は先進技術への挑戦と、その代償として支払われた多くの命の話です。
でも、その悲劇がなければ今の安全な航空旅行はなかったかもしれない。
5月2日という日がただの「就航記念日」を超えた意味を持つのは、そういうことだと思います。


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