この記事を読めば「C56の日」が5月6日に設定されている理由と、C56形蒸気機関車がたどってきたドラマチックな歴史がまるごとわかります。
「シゴロク」とも呼ばれてきたこの小さな機関車、実は「高原のポニー」として鉄道ファンに愛されるだけじゃなく、太平洋戦争の激戦地を走り続けた知られざる歴史も持っているんです。気になりませんか?
C56の日って何?その由来と語呂合わせ
5月6日が「C56の日」と言われるようになったのには、「C56」という車番がそのまま「5(シ)・6(ロク)」=5月6日の語呂合わせになることが大きな理由です。
ただ、それだけじゃないんです。
実は2018年5月6日に、C56形160号機(愛称・ポニー)がSLやまぐち号の牽引機として山口線での本線運転を終了しました。
JR西日本がこの「C56(シゴロク)=5月6日」に引退日を合わせたのは、鉄道ファンの間でも「粋な演出だ」と話題になったほどです。

C56の語呂合わせの仕組み
「C」は蒸気機関車の車輪配置を示す記号で「56」が形式番号です。
この「5」と「6」をそのまま月日に読み替えると5月6日になる、というとてもシンプルな語呂合わせ。
ちなみに5月6日には「ゴム(5=ゴ、6=ム)の日」や「コロッケの日」なども存在していて、語呂合わせ記念日が集まる日でもあります。
引退セレモニーという感動の一幕
2018年5月6日、山口線から引退するC56160号機のために「ありがとうC56号」という臨時列車が運行されました。
津和野駅を10時32分に出発し、新山口駅に向けてラストランを走った日。
当日の津和野機関庫周辺には全国から鉄道ファンが大集結し、職員さんが取り付けた「ありがとう」のヘッドマークとともに、長い汽笛の音が山々に鳴り響いたそうです。
個人的にこのエピソードを知ったとき、じんとしました。
C56形蒸気機関車ってどんな機関車?
C56形は1935年(昭和10年)から1939年(昭和14年)にかけて、鉄道省が製造した小型・軽量のテンダー式蒸気機関車です。
愛称は「シゴロク」「シーコロ」、そして「ポニー」。全部で160両が製造されています。
なぜ「ポニー」と呼ばれたのか
「高原のポニー」という愛称は1973年(昭和48年)の夏に八ヶ岳山麓を走る小海線でC56形が2か月間臨時復活したことが起源です。
高原をとことこ走る小型の機関車の姿が小さな馬「ポニー」を思わせたことから、この愛称が生まれたんですね。
なんか、その光景を想像するだけでほっこりする気がします。
開発の背景 なぜ小型の機関車が必要だったのか
昭和初期、日本の地方支線には大型機関車が入れないほど規格の低い路線が多くありました。
そこで、1932年(昭和7年)にまずタンク式のC12形が開発されましたが、長距離路線では石炭と水の搭載量が不足するという問題がありました。
そのためC12形に炭水車(テンダー)を付けたのがC56形で両形式は部品も多く共用しています。
設計には当時のドイツの支線区用機関車の考え方が参考にされたとも言われています。
主なスペック
最高速度は75km/h、最大出力は592馬力。全長は14,325mm、全高は3,900mm。
当時の支線区ではこれがちょうどよかったわけですね。
戦争と歩んだC56の波乱の歴史
C56形の歴史でここだけはどうしても触れておきたい部分があります。
それは太平洋戦争による軍事供出というあまりにも重い事実です。
160両のうち90両が南方へ
1941年(昭和16年)11月と12月、製造されたC56形160両のうち実に90両(C561〜90)が軍に供出され、タイ・ビルマ(現ミャンマー)へと送られました。
半数以上が戦地へ。
国内ではこの供出によって残りの68両が大きく配置換えされることになります。
泰緬鉄道を走った機関車たち
タイに送られたC56形の主な仕事は泰緬鉄道(タイとビルマをつなぐ鉄道)の輸送でした。
現地では動輪の軌間をメーターゲージに変更し、ブレーキや燃料系統も改造されています。
戦況が激化するなか地雷や爆撃、銃撃で大破した車両も多く夜間だけひっそりと運行が続けられたといいます。
戦後、タイ国内で生き残った46両はタイ国鉄の700形(701〜746)として使用され続けました。
1970年代後半には廃車が進みましたが、現在もバンコクのトンブリ鉄道工場でC5615(タイ国鉄713)とC5617(同715)が動態保存されています。
帰国した「奇跡の機関車」C5644
供出されたC56形の中でも特別な存在がC5644です。
タイ国鉄735として使われていましたが、1970年代半ばに廃車となりチュンポン駅に放置されていたところを、1978年(昭和53年)に日本の研究家が発見。
多くの人々の支援により1979年(昭和54年)6月に日本へ帰国し、大井川鐵道(現・大井川鐵道)で動態復元されました。
数百両にのぼる出征機関車のなかでただ1両だけ現役機として生還した、文字通りの奇跡の機関車です。
保存されているC56形
C56形の保存状況も意外と豊富なんです。
動態保存機の現在
大井川鐵道のC5644は奇跡の帰国を果たした機関車として現在も保存されており(2019年以降は不具合により千頭駅構内で運用離脱中)、大規模な動態復元も進んでいます。
そして京都鉄道博物館(旧・梅小路蒸気機関車館)のC56160は2018年の本線引退後も動態保存機として大切に維持されています。
さらに注目なのがC56135です。
兵庫県の播磨中央公園で静態保存されていましたが、2021年に大井川鐵道が譲り受け動態復元工事が進んでいます。
全国に残る静態保存機
廃車されたC56形のうち20両が全国各地で静態保存されています。
注目すべきは長野県内への保存機の多さでC56形が活躍した大糸線や小海線などがある長野県では、複数の市町村にわたってC56が静態保存されています。
また、靖国神社の遊就館にはタイから帰国したC5631が静態保存されており、泰緬鉄道開通記念列車を牽引したといわれる歴史ある機体です。
SLやまぐち号とC56の終幕
C56160号機と「SLやまぐち号」の関係は鉄道ファンには忘れがたいストーリーです。
長年にわたる牽引機として
C56160はJR西日本の梅小路運転区に所属し、「SLやまぐち号」や「SL北びわこ号」の牽引機として長年活躍してきました。
1939年(昭和14年)4月20日、川崎車輛兵庫工場でC56形のラストナンバー機として完成したこの機体は、以来80年近くにわたって走り続けた、まさに生きた鉄道史ともいえる存在です。
2018年5月6日、さよならの日
2018年5月6日、C56160は山口線での運転を終了。翌5月27日には「SL北びわこ号」の牽引も終え、本線運転から完全引退しました。
その後は後継のD51200が牽引機となり、C56の時代に幕が下りました。
引退セレモニーでは汽笛が鳴り響き、集まった鉄道ファンたちの目には涙が光っていたとか。
そういう別れの瞬間ってなんか特別ですよね。
まとめ
- 「C56の日」は毎年5月6日で「C56(シゴロク)」という形式番号が「5月6日」の語呂合わせになることが由来
- 2018年5月6日にC56160号機がSLやまぐち号の牽引機として山口線から引退した日でもある
- C56形は1935〜1939年に160両が製造された小型軽量のテンダー式蒸気機関車
- 太平洋戦争中に90両が軍事供出されタイ・ビルマへ送られた、波乱の歴史を持つ
- タイから奇跡の帰国を果たしたC5644は大井川鐵道で動態保存中(現在復元工事中も含む)
- 全国20か所に静態保存機が残り、長野県内に保存機が集中している
- C56160は現在も京都鉄道博物館で動態保存されており、完全に過去の機関車となったわけではない
5月6日が来るたびに小さな体で日本中の支線を走り、そして戦地まで出かけていったこの機関車のことを思い出してみてほしいなと思います。


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