C59の日とは?由来や歴史を解説【5月9日】

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この記事を読めば「C59の日(5月9日)」の語呂合わせの由来から、国鉄C59形蒸気機関車の波乱に富んだ実際の歴史までまるごと理解できます。

「5月9日ってなんかSLに関係あるの?」

と気になった方、けっこうニッチな疑問ですよね。

でも、調べ始めると意外と面白い話がどんどん出てきて気づいたら鉄道沼にハマってたなんてことも…。

目次

C59の日とは?語呂合わせの仕組み

5月9日は「5(シ/ゴ)=C、9(ク/キュウ)=59」という語呂合わせに由来しています。

正式に制定された記念日というよりは、鉄道ファンの間で自然発生的に広まった「記念日文化」のひとつといえます。

5月9日が近づくたびに、鉄道系のブログやSNSで「今日はC59の日!」と語られるようになったんです。

ちなみに5月9日には他にも語呂合わせ系の記念日がたくさんあって、「こく(59)はく=告白の日」「ご(5)くう(9)=悟空の日」「こ(5)く(9)ばん=黒板の日」なんかも同日に制定されています。

そう考えると、「C59の日」はその中でもかなりマニアック寄りで鉄道ファンらしいウィットを感じますよね。

国鉄C59形とはどんな機関車か

誕生の背景と設計思想

C59形は日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計した幹線旅客列車用のテンダー式蒸気機関車です。

愛称は「シゴク」または「シゴキュウ」。

誕生のきっかけは、先代機であるC53形の「整備しにくい」という深刻な問題でした。

C53形は3気筒で走りはなめらかだったのに、グレズリー式弁装置という複雑な機構を採用していたせいで、修理や保守が非常に厄介で年間の平均休車日数が他形式と比較しても格段に多かったんです。

なので、「同等以上の性能で整備がラクな新型を作ってくれ」という現場の声が高まっていて、その答えとして生まれたのがC59形なのです。

主な仕様とスペック

全長21,575mm(戦後形)という国産蒸気機関車の中で最も長い車体を誇り、C62形の21,475mmをわずかに上回る「国産最長の蒸気機関車」でもあります。

運転整備重量は137.2tで動輪の直径は1,750mm。

弁装置はワルシャート式を採用し、2シリンダながらスペックはC53の3シリンダに匹敵するレベルに仕上がっていたとされています。

まあ、当時としてはかなりの技術的挑戦だったのでしょう。

製造年数と両数の全体像

川崎車輛、汽車製造、日立製作所の3社によって製造されたC59形は、941年(昭和16年)から1947年(昭和22年)にかけて計173両が生産されました。

スクロールできます
製造時期両数分類
1941〜1943年(昭和16〜18年)100両戦前形
1946〜1947年(昭和21〜22年)73両戦後形

戦後形は戦前形の問題点を改良していて、特にボイラー効率の低さが解消されていたので東北本線の乗務員には「C59戦後形に乗れると機関士が上機嫌になった」というエピソードも残っています。

そういう話、なんかリアルで好きだなと思いました。

C59の華やかな活躍と「特急の花形」時代

東海道の山陽本線の主役として

C59形は登場直後から特急の先頭に立ち、C62形が登場するまでの間、特急牽引の筆頭格でした。

しかもお召列車(天皇が乗るための列車)にも使われるほど現場からの信頼が高かったんです。

1953年(昭和28年)には山陽本線で特急「かもめ」が運転開始され、C59形がその牽引を担っています。

当時の乗客にとってあの巨大なボイラーと大型炭水車を連ねた堂々たるフォルムは、まさに「旅の始まり」を告げる存在だったのでしょう。

呉線での最終章

電化が進む中で活躍の場を失ったC59形が最後に残ったのは広島県の呉線と山陽本線の一部区間(糸崎〜広島間)でした。

ここで急行「安芸」などを牽引しながら1970年の呉線電化まで走り続けたのです。

最後の定期運用を担った3両(161・162・164号機)のうち、161号機が急行「安芸」の蒸気機関車最終列車を牽引して幕を下ろしました。

1970年9月30日のことです。正直、けっこうグッとくる話でした。

意外と知られていない「黒歴史」的な問題点

実はC59形には設計上の問題点がいくつか存在していました。これ、あまり語られないので「意外な真実」として触れておきます。

  • 従台車の摩耗問題
    車両後部に重心が偏ったため、従台車のタイヤが異常に早く摩耗し、亀裂や発熱のトラブルが頻発していた
  • ボイラー天井板の膨らみ
    戦時中の材料不足による鋼板の品質低下が原因で製造時点では防ぎようがなかった
  • 熱効率の低さ
    長煙管の設計が熱の伝わり方を悪化させて石炭の燃焼効率が下がっていた(この問題は戦後形で解決)

保守担当者が「タイヤ交換のタイミングを他形式より厳しく管理することで何とか乗り切っていた」という記録が残っているんです。

それなりに苦労していたんですね。

C62に比べて地味なイメージがついてしまったのも、こういった「華やかさと問題点が同居していた」時代背景のせいかもしれません。

現在も残るC59形の保存機

C59形の保存機は現在4両(うち1両は部分保存)で動態保存機は存在しません。

車号保存場所補足
C591九州鉄道記念館(北九州市)現存唯一の戦前形、準鉄道記念物
C59164京都鉄道博物館準鉄道記念物、かつて動態保存だった
C59161広島市こども文化科学館急行「安芸」蒸機最終列車を牽引
C59162広島県府中公民館煙室戸と動輪のみの部分保存

九州鉄道記念館のC591号機は製造した汽車会社の通算製造番号がちょうど2000番にあたる(実際の製造順では1993番)という、ちょっと面白いエピソードも持っています。

切手にも刻まれたC59の存在

あまり知られていないのですが、C59形は1942年10月14日、鉄道開業70周年記念として逓信省が発行した5銭切手に採用されました。

描かれたのは28号機でこれが「国鉄の制式蒸気機関車が切手に描かれた初めての事例」だったんです。

戦中という時代にこの機関車が国家的な「記念切手の顔」に選ばれたというのは、当時のC59への期待の大きさを感じさせますよね。

まとめ

  • C59の日(5月9日)は「シゴ(5)キュウ(9)」の語呂合わせが由来で鉄道ファンの間で親しまれている非公式な記念日
  • C59形は1941〜1947年に計173両が製造されて全長21,575mmは国産蒸気機関車の中で最長
  • 特急「かもめ」など東海道・山陽本線の花形として活躍し、お召列車にも使われた実績を持つ
  • 一方で従台車問題やボイラーの品質問題など「知られざる苦労」も抱えていた
  • 九州鉄道記念館や京都鉄道博物館、広島市こども文化科学館などに保存機が残る
  • 1942年発行の記念切手に描かれた国鉄制式蒸機として初の切手採用例でもある

5月9日に「C59の日」を思い出してぜひ保存機を見に行ってみてください。実物を目の前にしたとき、その巨大さと存在感に驚くと思いますよ。🚂

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