この記事を読めば5月17日が「お茶漬けの日」に制定された理由と、お茶漬けの意外に深い歴史がまるごとわかります。
「なんとなく知ってるけど、由来までは知らない」
という方、けっこう多いんじゃないでしょうか。
実はこの記念日、一人の天才茶職人と戦後日本のリアルな食卓事情が深く絡んでいるんです。
平安時代から現代の「お茶づけ海苔」に至るまでお茶漬けの歴史を順を追って解説していきます。
お茶漬けの日はいつ?制定の経緯
5月17日が「お茶漬けの日」として正式に記念日登録された背景にはある食品メーカーの決断がありました。
永谷園が2012年に制定した記念日
5月17日は、株式会社永谷園が2012年に日本記念日協会へ申請・登録した記念日です。
制定のきっかけは同社の看板商品「お茶づけ海苔」が発売60周年を迎えたこと。
せっかくの節目だからと、ただ「60周年おめでとう」で終わらせず、煎茶の創始者である先祖・永谷宗七郎(のちの宗円)の功績をたたえる形で記念日を設けたのです。
日付の5月17日は永谷宗七郎が1778年に亡くなった命日に由来していて、ただの商業的なPRではなく先人への敬意が込められているところが印象的でした。

記念日のポイントをざっくり整理すると
- 制定年:2012年(お茶づけ海苔発売60周年を記念)
- 制定者:株式会社永谷園
- 登録機関:日本記念日協会
- 日付の由来:永谷宗七郎(宗円)の命日・1778年5月17日
鍵を握る人物 永谷宗七郎とは
「お茶漬けの日」を理解するにはまずこの人物を知る必要があります。
現代の緑茶を生み出した江戸時代の茶職人
永谷宗七郎は江戸時代中期、山城国(現在の京都府宇治田原町)で代々製茶業を営む家に生まれた人物です。
当時のお茶は「煎じ茶」と呼ばれる赤黒くて香りも薄いもので、おいしいとはとても言えませんでした。一方で、抹茶は色も香りも素晴らしいけれど庶民には高価すぎた。
「もっとおいしいお茶を、普通の人にも届けたい」。
その一心で15年間研究を続けた末、1738年(元文3年)についに現代の煎茶の製法「青製煎茶」を完成させたんです。
新鮮な葉を蒸してから焙炉(ホイロ)の上で揉みながら乾燥させるという手法で、あの美しい薄緑色と芳醇な香りが生まれました。
煎茶の普及がお茶漬けを変えた
宗七郎が江戸へ出て煎茶を広めると、たちまち評判を呼びました。
しかも彼は独占するのではなく、製法をほかの多くの人に無償で教え、青製煎茶を全国へ広げていった。
幕末の頃には、煎茶は生糸と並んで海外へ輸出されるほど日本を代表する産品になったというから、その影響は計り知れないです。
おいしい煎茶の普及は必然的にお茶漬けのおいしさも引き上げました。
それまでのお茶漬けは「熱いお湯をかけて食べる湯漬け」から「香り高い煎茶をかけて食べる料理」へと進化したのです。
宗七郎は98歳で亡くなり、地元では「茶宗明神」として神社に祀られ、現在も多くの茶業関係者が参拝に訪れているそうです。
お茶漬けの歴史を時代別にたどる
お茶漬けって意外と歴史が長いんです。遡ると平安時代にまで行き着く。
平安時代 水飯・湯漬けというルーツ
お茶漬けの原型はご飯に水やお湯をかけた「水飯」や「湯漬け」とされていて、平安時代の文献に登場します。
「源氏物語」「枕草子」にも登場するほどで、当時は炊いたご飯を保温する技術がなかったので、硬くなったご飯を食べやすくするための工夫として生まれたと考えられています。
面白いのが「今昔物語集」に出てくるエピソード。
三条中納言という人が肥満解消のために「冬は湯漬け、夏は水飯を食べる」よう医師に勧められたのに、干し瓜や鮨鮎をおかずに大盛りを何杯も食べてダイエットに失敗するという話が残っています。
平安時代から「お茶漬けダイエット」の発想があったとはなんか笑えるエピソードですよね。
鎌倉・室町時代 武家の間で広まった湯漬け
鎌倉から室町時代にかけて湯漬けは武家社会で広く愛されました。
特に有名なのが室町幕府8代将軍・足利義政が酔っ払ったときにご飯にお湯をかけて食べ、それが世間に広まったというエピソードです。
さらに意外なのがあの織田信長と斎藤道三の歴史的な初対面の席でも湯漬けが振る舞われていたという記録が残っていること。
戦国武将たちの食卓に当たり前のように並んでいた料理だったんですね。
ただこの時代までまだ「お茶漬け」ではなく「湯漬け」。
なぜかというと、お茶が庶民に普及したのは室町時代後期以降だったから。
お茶をかけるようになってはじめて今のお茶漬けに近い食べ物が誕生します。
江戸時代 庶民の日常食へ
江戸時代に入るとお茶漬けは庶民の食卓に完全に根付きます。
当時の江戸では朝にご飯を炊き、夜には冷えたご飯にお茶をかけて食べるのが一般的なスタイルでした。
上方(関西)では昼に炊いて翌朝の冷やご飯にお茶をかけるのが日常だったとか。
面白いことに、江戸にはお茶漬けを専門に提供する「茶漬屋」まで登場していたんです。
元禄期(1688〜1704年)の「奈良茶屋」がその元祖とされています。
料理茶屋「八百善」では極上のお茶漬けに一両二分という超高額を請求した逸話も残っていて、庶民の食べ物でありながら、お金をかければとことんこだわれる奥深い料理でもあったんですよね。
永谷園「お茶づけ海苔」の誕生
お茶漬けの歴史を語る上でこの商品は外せません。
戦後の焼け野原から生まれた国民食
1952年(昭和27年)、永谷宗七郎から数えて10代目にあたる永谷嘉男が「お茶づけ海苔」を発売します。
戦後の混乱期をくぐり抜け、焼け野原にバラックを建てて永谷園を再建した嘉男が、小料理屋の〆で出されるお茶漬けをヒントに開発したとされています。
当時は戦後復興の時期で世の中の食への欲求が「空腹を満たす」から「おいしく手軽に食べる」へと変わってきた頃。
お湯を注ぐだけで本格的なお茶漬けが食べられるというコンセプトは、時代のニーズとぴったり合って大ヒットしました。
70年以上変わらないパッケージと味
歌舞伎の定式幕(縞模様)になぞらえたあのおなじみのデザインは、1952年の発売当初からほぼ変わっていないそうです。
味わいも同様で70年以上守り続けられている。
2025年時点で累計170億食以上が販売されており、世代を超えて愛される文字通りの国民食になっています。

お茶漬けが持つ文化的な意味
単なる手軽な食事にとどまらない、お茶漬けの文化的な側面も見逃せないんです。
東京と大阪でちがう食文化
面白いのが地域差。
日本食糧新聞の記録によると東京ではお茶漬けが労働者の食事として浸透し、大阪(関西)では女性の簡易食として広まったという背景があります。
同じ料理でも使われ方が都市ごとに異なっていたわけで、食文化のリアルな姿を感じます。
「茶漬けめし」という言葉に見る庶民性
江戸時代には「茶漬めし」という言葉が「ありふれていること、容易なこと」のたとえ表現として使われていました。
それだけ日常に溶け込んでいたということでお茶漬けが単なる料理を超えて、日本人のライフスタイルそのものを反映した食文化だったことがわかります。
まとめ お茶漬けの日の由来と歴史
- 5月17日は「お茶漬けの日」。2012年に永谷園が日本記念日協会へ登録・制定
- 日付の由来は煎茶の創始者・永谷宗七郎(宗円)の命日(1778年5月17日)
- お茶漬けのルーツは平安時代の「水飯」「湯漬け」にあり、源氏物語や枕草子にも登場
- 室町時代には足利義政や戦国武将も湯漬けを食べ、武家文化として定着
- 江戸時代に永谷宗七郎が青製煎茶を発明(1738年)しておいしいお茶漬けが庶民に広まった
- 1952年発売の「お茶づけ海苔」は累計170億食以上を販売し、国民食へと成長
5月17日にお茶漬けを食べながら、こんな深い歴史を思い浮かべてみるといつもとちょっとちがう味がするかもしれないですね😊
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