この記事を読めば5月18日の「国際親善デー」がどんな経緯で生まれ、どんな意味を持つ記念日なのかがわかります。
カレンダーを眺めていると「国際親善デー」という文字を目にすることがあるかもしれません。
でも、「親善って何?」「いつから始まったの?」と思ったことはありませんか?
実はこの記念日、明治時代にさかのぼる深い歴史があるんです。
平和を求めた人たちの思いが今日にも続いているなんてちょっと感動しませんか。
国際親善デーとは?まず基本を押さえよう
国際親善デーの概要をひとことで言えば、「国際交流を通じて世界平和を実現しようとする記念日」です。
毎年5月18日がその日にあたります。
この記念日は1899年(明治32年)にオランダのハーグで開かれた第1回平和会議を記念して制定されたもので、目的は国際交流を通じて平和を実現することとされています。
「親善」という言葉の意味
「親善」とは国家や民族の間で友好的な関係を築き、互いの理解を深めることを指します。
外交の世界では「友好親善」という形でよく使われる言葉で、スポーツの「親善試合」なんかもここから来ていますよね。
要するに競争ではなく友情のための交流、という意味合いです。
5月18日になった理由はハーグ平和会議の話
国際親善デーが5月18日である理由、そこには19世紀末のヨーロッパ情勢が深く関わっています。
ニコライ2世の提唱がきっかけ
1899年5月18日、ロシア皇帝ニコライ2世の提唱によって、オランダのハーグで第1回万国平和会議(ハーグ平和会議)が開幕しました。
会議はハーグにある王室の館「ホイス・テン・ボスの森の館」のオレンジ・ホールを舞台に行われ、当時主権を持っていた59か国のうち26か国が参加したんです。
日本もその26か国のひとつとして参加していたという事実、意外と知られていなかったりします。

なぜハーグが選ばれたのか
会議の舞台にハーグが選ばれたのには、いくつかの理由があります。
オランダが国際紛争に対して中立的な立場をとっていたこと、
19世紀後半のハーグ政治が安定していて信頼性が高いとみなされていたこと、
そしてオランダのウィルヘルミナ女王がロシア皇帝(会議の提唱者)の従姉妹で、平和会議の重要性を強く信じていたことなど。
そういった背景が重なったようです。
なんか、国際的な繋がりって本当に複雑ですよね。
会議でどんな取り決めがなされたか
この第1回ハーグ平和会議では
「国際紛争平和的処理条約」
「陸戦の法規慣例に関する条約」
などが結ばれました。
軍縮そのものの合意には至らなかったものの、紛争を戦争なしに解決するための仲裁裁判所(常設仲裁裁判所)設立の礎を築いた点でも、歴史的に大きな意義があります。
ちなみに1899年の会議は初めて戦争のない平時に「平和について話し合う場」が設けられたという点で当時の国際社会に衝撃を与えたといいます。
戦争が起きてから後悔するのではなく、事前に話し合おうという発想は今では当たり前に見えて、当時はとても革新的だったんでしょう。
記念日制定の歴史 1922年と1931年
大正11年(1922年)に制定
1899年のハーグ平和会議から約23年後の1922年(大正11年)に国際親善デーは制定されました。
ただ、どの団体や機関が正式に制定したかについては、現在のところ明確な記録が残っておらず、制定主体は定かではないとされています。
これは個人的にも少し気になっている点で詳しい研究が進んでほしいなと思っています。
日本での実施は昭和6年(1931年)から
日本においては制定から9年遅れた1931年(昭和6年)から正式に実施されるようになったと伝えられています。
第一次世界大戦による中断
第1回ハーグ平和会議の後、1907年に第2回会議も開催されました。
ところが予定されていた1915年の第3回会議は第一次世界大戦の勃発によって実現せず、中断を余儀なくされました。
戦後にはイギリスの児童たちの呼びかけによって平和への取り組みが再開されたという話も伝わっています。
「子どもたちの呼びかけで再開した」という部分、なんかジーンとしませんか。
現代における国際親善デーの姿
歴史の流れの中でこの記念日は現代においてどんな意味を持っているのでしょう。
日本国内でのイベントはほぼない現状
正直に言う、現在の日本では5月18日に大規模な公式イベントが開催されている様子はほとんどないのが実情のようです。
他の国際デーと比べると、認知度も低めかもしれません。
国際親善協会の「ジャパンウィーク」
日本の国際親善協会は日本の伝統文化や芸能、芸術作品を通じて、姉妹都市や友好国との交流を深める「ジャパンウィーク」というイベントを継続して開催しています。
外国に日本文化を届けることで親善を育てる。という形で、この記念日の精神は今も息づいていると言えるでしょう。
ハーグ平和会議が残したもの 現代国際法への影響
国際親善デーの根っこにある1899年の会議、実はその遺産が今も法律や外交の世界に生き続けています。
国際法の礎となった条約
会議で結ばれた条約群は現代の国際人道法の基盤のひとつです。
窒息性ガスの使用禁止、ダムダム弾(人体で変形して広範囲に被害を与える弾丸)の禁止など、戦時における残虐行為を制限しようとした宣言も採択されました。
常設仲裁裁判所(PCA)の誕生
会議の最も重要な成果のひとつが常設仲裁裁判所(PCA:Permanent Court of Arbitration)の設立です。
国家間の紛争を武力ではなく法的手続きで解決する場をつくるという発想は、後の国際連盟や国際連合にもつながっていきます。
ハーグが「平和と法の国際都市」として知られるようになったのもこの流れからです。
まとめ
- 国際親善デーは毎年5月18日で国際交流を通じた平和の実現を目的とした記念日
- 起源は1899年(明治32年)にロシア皇帝ニコライ2世が提唱したオランダ・ハーグでの第1回万国平和会議
- 日本を含む26か国が参加し、「国際紛争平和的処理条約」などが結ばれた
- 1922年(大正11年)に制定、日本では1931年(昭和6年)から実施
- 会議は世界で初めて「平時に平和を話し合う場」として開催された画期的なものだった
- 現代では大規模なイベントはほぼないが、国際親善協会の「ジャパンウィーク」などにその精神が受け継がれている
- 常設仲裁裁判所の設立など現代の国際法・国際機関の礎にもなった
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