この記事では5月19日が「ボクシングの日」に制定された理由と、その歴史的な背景をまるごと解説します。
スポーツの記念日として知っている方も多いと思いますが、
その裏側には戦後の日本人を奮い立たせた感動的な実話が隠れているんです。
ボクシングの日とは何か?
5月19日は日本プロボクシング協会(JPBA)が制定した「ボクシングの日(ボクシング記念日)」です。
制定の経緯と目的
制定されたのは2010年(平成22年)のことで1952年5月19日に日本初のボクシング世界チャンピオンが誕生した日を記念して決まりました。
この記念日は初代世界王者・白井義男選手の偉業を称えるとともに、ボクシングというスポーツの魅力を広く発信し、ファンへの感謝を表すことを目的としています。
2010年には日本人のチャンピオン経験者で構成される「プロボクシング世界チャンピオン会」も同時に発足。
記念日の制定とあわせて、その発足式が後楽園ホールで行われました。
ボクシングの日とボクシング・デーは別物
ちょっと紛らわしいんですが12月26日にイギリスや英連邦諸国で祝われる「ボクシング・デー(Boxing Day)」とは、まったく別の記念日です。
Boxing Dayの「ボクシング」は贈り物を入れる「箱(Box)」に由来するもので、スポーツのボクシングとは無関係なんですよね。
同じ名前を持つ記念日が2つ存在するので混同しないよう気をつけてほしいところです。
歴史的な試合の舞台裏
「ボクシングの日」の原点となった1952年5月19日の試合はどんな状況で行われたのでしょう?
当時の熱気を知ると、この記念日の重みが全然違って見えてきます。
4万人の大観衆が集まった後楽園球場
試合が行われたのは東京・後楽園球場(現在の東京ドームシティの前身)。
その日の夜8時過ぎ、4万人もの観衆が詰めかけたという日本ボクシング史上空前の光景が広がっていました
。高松宮夫妻や三笠宮殿下ら皇族、映画スター、政治家までまさに国民的イベントのような扱いだったみたいです。
試合は世界フライ級タイトルマッチ。
挑戦者・白井義男(28歳)がチャンピオンのダド・マリノ(アメリカ)に15回判定で勝利し、3対0の完勝を収めました。
マリノとは計4度対戦していて、この試合はその第3戦目にあたります。
なぜそれほど熱狂されたのか
1952年というのは、まだ日本が太平洋戦争の敗戦から7年しか経っていない時代です。
経済は苦しく、国民の自信はひどく打ちのめされていた時期でした。
そこに飛び込んできた「日本人が世界チャンピオン」というニュースは1949年の水泳・古橋廣之進の世界記録樹立、同年の湯川秀樹のノーベル物理学賞受賞と並んで、日本人に未来への希望をもたらした出来事として語られています。
要するに純粋なスポーツの枠を超えた、時代の象徴だったんですよね。
白井義男という人物
「ボクシングの日」の中心にいる白井義男とはどんなボクサーだったのか。
知れば知るほどすごい人生だなと感じます。
経歴と戦績
1923年11月23日、東京都荒川区生まれ。小学6年生のとき、地元のサーカスの余興でカンガルーと対戦したのが、ボクシングを始めたきっかけだったというのが、なんとも印象深いエピソードです。
その後、1943年にプロデビューし、戦前は8戦全勝。しかし太平洋戦争に召集され、軍隊生活で腰を痛めて、戦後の復帰当初は成績が低迷しました。
通算成績については諸説あるものの世界フライ級王者に輝いてからは4度の防衛に成功。
最終的に引退するまで世界戦では5勝2敗という戦績を残しています。フットワークと左ジャブを多用するボクサー型スタイルで、右ストレートには破壊力もあったとされます。
GHQのカーン博士との運命的な出会い
白井の才能を開花させたのはGHQのアルビン・R・カーン博士という人物です。
カーンはイリノイ大学で生物学・栄養学の教授を務めたのち、戦後は海洋生物資源の調査のために来日していた人物で、趣味がボクシングだったこともあり、練習中の白井に目を留めました。
カーン博士のボクシング哲学はシンプルで明快でした。
「ボクシングはショーではない。スポーツなのだ。相手に打たせず、自分が打つ」
というもの。
当時は派手に打ち合うファイタースタイルが好まれていた時代に、守備を重視した科学的なトレーニングを持ち込んだことは、当時としてはかなり革新的だったと思います。
栄養管理まで含めた指導で白井は急速に成長を遂げました。
しかも、カーン博士は指導の対価として受け取ったマネジャー料に一切手をつけず、白井の引退時に「退職金」としてそっくり渡したという話も残っています。
白井はその後、身寄りのなくなったカーン博士を自宅に引き取り、最後まで看取ったとされます。なんというか、試合結果以上に心に残るエピソードですよね。
ボクシングの日のイベント
記念日が制定されてからは毎年5月19日にイベントが開催されています。
ファン感謝イベントの内容
2010年の第1回イベントでは後楽園ホールに現役を含めた歴代世界王者38人が集まり、「プロボクシング世界チャンピオン会」の発足式が行われました。
ファンが歴代チャンピオンと直接交流できる機会として、毎年楽しみにしているボクシングファンも多いようです。
後楽園ホールは白井義男が1952年に快挙を達成した後楽園球場のあった場所に建てられた施設。
ある意味、歴史が刻まれたその場所で毎年記念行事が行われているというのは意味深くていいなと思いました。
日本ボクシングのその後
白井義男の世界王座獲得は日本ボクシング界全体に与えた影響も見逃せません。
世界王者輩出大国へ
白井が世界チャンピオンになった1952年から、日本は「世界王者を量産する国」へと着実に成長していきます。2020年時点ですでに90人以上の日本人ボクサーが世界の頂点に立っているとのこと。
現在では井上尚弥選手や井岡一翔選手など、世界的に名の知れたボクサーを次々と輩出するほどです。
1人の男がリングの上で勝ち取った勝利が、その後の日本ボクシング界の礎を作ったと言っても過言ではないでしょう。
そう考えると、5月19日という日付が持つ意味の重さが改めてよくわかりますよね。
まとめ
- 5月19日はボクシングの日で、日本プロボクシング協会(JPBA)が2010年に制定
- 1952年5月19日、白井義男が世界フライ級チャンピオン・ダド・マリノに15回判定勝ちし、日本人初の世界王者に輝いたことが由来
- 後楽園球場に4万人が詰めかけた試合は、敗戦後の日本人に希望を与えた歴史的な一戦だった
- 白井の活躍を支えたのはGHQのカーン博士による科学的ボクシング指導で、栄養管理も含めた画期的な手法だった
- 毎年5月19日にはファン感謝イベントが後楽園ホールで開催されている
- 白井の偉業を起点に、日本は世界王者を90人以上輩出するボクシング大国へと成長した

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