小学校開校の日とは?由来や歴史を解説【5月21日】

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この記事を読めば5月21日が「小学校開校の日」とされた理由や、日本初の小学校がどのように誕生したかが、ひとつひとつ丁寧にわかります。

「なんとなく聞いたことはあるけど、詳しく知らない」

という方も多いと思います。

実は、この記念日の背景には明治政府より先に動いた京都の市民たちの、かなり熱い物語が隠れているんです。ちょっと驚きますよ?

目次

小学校開校の日とは

5月21日の「小学校開校の日」は1869年(明治2年)5月21日に、京都市に日本初の近代小学校が開校したことに由来する記念日です。

その名も「上京第二十七番組小学校」と「下京第十四番組小学校」の2校。

国が教育制度(学制)を定めるより、なんと3年も前のことでした。

個人的にこの「3年前」というのが、ものすごく印象深くて。政府の号令を待たず、市民が自分たちで動いた、という事実がとにかく気になります。

なぜ京都だったのか

明治維新で「捨てられた都」になりかけた

1869年当時、京都はかなり深刻な状況に置かれていました。

明治維新による東京遷都で明治天皇が京都を離れ、都の経済も文化も急速に衰退しかけていたんです。

職人が仕事を失い、商人も客を失い…という、今でいうと地方の過疎化問題と似たような事態だったんじゃないかと思います。

そんな危機感の中で京都の町衆(一般市民)たちが出した答えが「まず子どもたちを教育しよう」というものでした。

衰退を食い止める方法として人材育成を選んだわけです。これ、かなり本質をついた判断だと思いませんか?

「竈金」を持ち寄った市民たち

小学校の建設費用は国からではなく住民たちが自分のお金を出し合って賄いました。

この資金は「竈金(かまどきん)」と呼ばれ、各家庭が半年ごとに拠出する仕組みでした。寄付や献金も集まり、地域が一体となって建設を進めたそうです。

とくに「上京第二十七番組小学校」については、商人の熊谷直孝(くまがいなおたか)という人物が私財を投じて校舎と敷地を寄付したことで知られています。

なんか、一人のお金持ちが動くことで地域全体が動き出した…という感じですね。

番組小学校とはどんな学校か

「番組」という地域自治の仕組み

当時の京都には「番組(町組)」と呼ばれる住民自治の区画が存在していました。

上京に33番組、下京に32番組の計65番組に再編され、各番組にひとつの小学校が作られることになりました。この番組ごとに小学校を設置する仕組みが、今でいう「学区制」の走りだったんです。

2つの番組で1校を共同運営したところが2か所あったため、番組の数66に対して開校した小学校は64校。

1869年末までに64校すべてが開校したというのはなかなかすごいスピード感です。

当時の授業内容

授業が実際に始まったのは翌1870年(明治3年)の正月から。当時の科目は「句読」「暗誦」「習字」「算術」の4つだったと記録されています。

現代の小学校と比べると少なくシンプルですが、そもそも武家の子ども向けの藩校や寺子屋しかなかった時代に、身分に関係なく子どもが通える学校を作ったこと自体が革命的でした。

校舎は2階建てで1階に男女別の習字教室、2階に講堂・職員室・算術教室が置かれた設計。

意外ときちんとした建物だったんだなとちょっと意外でした。

国の「学制」との関係

学制の公布は1872年

日本全国に小学校をつくる国の制度「学制」が公布されたのは1872年(明治5年)のことです。

これは6歳以上の男女が身分に関係なく通うことを目指したもので義務教育の出発点とも言われます。

京都の番組小学校はこの学制の3年前にすでに同じ理念を実現していた、ということになります。

学制が全国に広がる以前から京都の市民が64もの学校を自分たちで創立したのは、日本全国を見渡しても京都だけだったそうです。

ここだけ見てもこの番組小学校がいかに特殊な存在だったか、伝わると思います。

現在の京都御池中学校へ

日本初の小学校として開校した「上京第二十七番組小学校」は後に「柳池小学校」と改称。

戦後の学制改革で「柳池中学校」となり、2003年(平成15年)には統廃合を経て「京都市立京都御池中学校」となりました。

現在、その敷地内には「日本最初小学校柳池校」と刻まれた石碑が建てられています。

歴史の痕跡がちゃんと残っているのが個人的にはなんか嬉しいです。

現代に残る意義

市民が教育を作った、という事実

政府の指示を待たず、市民が自ら資金を出し合い、わずか1年以内に64校もの学校を建てた。

この事実は教育の価値を「制度」ではなく「市民の意志」が先に認識していたことを示しています。

自分の考えでは、これは今の時代にも通じるメッセージだと思っていて。

学校や教育をつくるのは「国」だけじゃないという話です。

学区制度の原点

番組小学校の仕組みはのちの「学区制度」の原型になりました。

番組をルーツとする学区は、1941年の国民学校令により廃止されるまで存続。

現代でも「元学区」として地域自治の単位が残っており、約150年以上を経てもその影響が残っているのは、ちょっと感慨深いですね。

まとめ

  • 5月21日「小学校開校の日」は1869年(明治2年)に京都市で日本初の近代小学校が開校したことに由来する記念日
  • 開校したのは「上京第二十七番組小学校」と「下京第十四番組小学校」の2校
  • 国の教育制度(学制)の公布より3年早い、市民主導の取り組みだった
  • 資金は住民の竈金と有志の寄付で賄われ、同年末までに計64校が開校
  • 日本初の小学校は現在の「京都市立京都御池中学校」の場所にあたり、石碑が残っている
  • 番組小学校の「学区制」の考え方は、日本の義務教育制度の原型となった

5月21日が近づいたとき、自分の小学校時代を思い出しながら「そういえばこんな歴史があったんだな」と感じてもらえたら、この記事を書いた意味があるかなと思います。

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