6月1日が「EF61の日」と呼ばれる理由、そしてEF61形電気機関車そのものの歴史や特徴まで、できるだけわかりやすくまとめました。
鉄道ファンの方はもちろん、「なんとなく気になって調べてみた」という方にも楽しんでもらえるように書いています。
EF61の日の由来
「EF61の日」とされる6月1日は「EF」「6」「1」=EF、6月1日という語呂合わせが起点になっています。
この種の記念日は鉄道ファンの間では珍しくなく、特定の形式番号の数字を月日に当てはめる遊び心から生まれることが多いんです。
語呂合わせ文化と鉄道記念日
日本には「○月○日=△△の日」という記念日が非常にたくさんあり、6月1日だけでも気象記念日・電波の日・写真の日・麦茶の日・氷の日・ねじの日など数十種類が重なっています。
そのにぎやかな並びのなかに「EF61の日」という呼び方が加わっているわけで「6月1日=ろくいち=EF61」という連想は鉄道好きにとっては自然な発想でしょう。
EF61という形式名の意味
「EF61」の名称にはじつはちゃんとした意味があります。
- E
動軸数が6軸(英語アルファベット順でEが6番目) - F
動輪配置が6軸(B=2軸、C=3軸、D=4軸…と続くのでF=6軸) - 61
1961年(昭和36年)に設計・製造開始された形式
要するに「61」は製造が始まった昭和36年(1961年)を示す数字なんです。
6月1日との語呂合わせはあくまで偶然の一致ですが、その偶然がファンの心をくすぐっている、そんな感じです。
EF61形電気機関車とは
EF60からの進化
EF61形は1960年(昭和35年)に誕生した貨物用電気機関車EF60形の旅客版として設計されました。
EF60は牽引力重視の設計だったため、客車暖房に必要な蒸気発生装置(SG)を搭載しておらず、旅客列車の牽引にはそのまま使えなかったんです。
そこで当時の花形だったEF58形の後継として、SGを搭載した本格的な旅客用機関車として生まれたのがEF61でした。
18両だけ 少数精鋭の機関車
EF61形の基本番台(0番台)は全部でたった18両しか製造されていません。
これはなぜかというと、製造が始まった1961年ごろ、国鉄の方針として「旅客列車は今後どんどん電車化する」という動力近代化計画が動き出していたから。
つまり、わざわざ旅客用機関車をたくさん造っても使いみちが減っていく…という判断があったわけです。
1番から10番は川崎車輛・川崎電機製造が製造し、11番から18番は汽車製造・東洋電機製造が担当しました。
全機が当初は宮原機関区に配置され、山陽本線の旅客列車牽引のために投入されています。
車体デザインの特徴
EF60と比べて車体が1.6メートル長いのがEF61最大の見た目の特徴です。
これはSGの重油タンク・水タンクを搭載するスペースが必要だったため。
さらに側面の横長に連続した換気ルーバーや明かり採り用の小窓が並ぶデザインは、当時としてもかなりスタイリッシュだったそうで、これ以降の国鉄電気機関車にも受け継がれていきました。
登場当初の塗装はぶどう色2号(茶色)の一色。
新形直流電気機関車として唯一18両全機が茶色で落成した形式です。1965年(昭和40年)からは青15号+クリーム1号の標準塗色に変更されています。
EF61の活躍と「悲運」の呼び名
華やかなデビュー
登場直後のEF61はなかなか輝かしい活躍をしていました。
宮原機関区に配置されて東京〜岡山・広島間の急行列車を牽引し、一時はEF58形の予備機として20系寝台特急「あさかぜ」の先頭にも立っています。
当時の鉄道ファンにとっては憧れの花形機関車だったといえます。
早すぎた転落
ところが、1963年(昭和38年)にEF60の500番台が登場すると、「あさかぜ」牽引の運用をそちらに奪われてしまいます。
さらに電車化の波が急速に進んで客車急行列車そのものが減っていき、EF61は本来の仕事である「旅客列車の牽引」からどんどん遠ざかっていきました。
そのため、SGという蒸気発生装置の特性を活かすために急行荷物列車の牽引へと活躍の場を移すことになります。
1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正では広島機関区に転属し、旅客列車牽引の運用を完全に失った形です。
「悲運の急客機」と呼ばれた理由
EF61はファンの間で「悲運の急客機」という呼び名で知られています。
デビュー時には最新鋭の旅客用機関車として期待されながら、時代の波に乗り切れず脇役へと追いやられた…という物語がそこにはあります。
実は技術的なトラブルも抱えていたんです。
主電動機の駆動に使われていた「クイル式駆動装置」が走行中に異常振動を引き起こすトラブルを多発させ、1974年〜1977年にかけて全機がリンク式へ改造されました。
維持コストも手間もかかった機関車だったわけです。
晩年と全廃
1975年(昭和50年)3月、山陽新幹線の博多開業によって東海道・山陽本線の客車急行は廃止され、EF61の定期旅客運用は消滅。
以降は荷物列車や貨物列車が主体となり、老朽化が進んだため1983年(昭和58年)ごろから順次廃車が始まりました。
最後に残った9両も1984年(昭和59年)2月1日のダイヤ改正で基本番台全機が運用から外れ、1985年(昭和60年)までに全廃されています。
EF61200番台の存在
セノハチの補機として
EF61形には基本番台18両とは別に200番台8両も存在します。
こちらはEF60形の初期車を「山陽本線の瀬野〜八本松間(通称セノハチ)の補助機関車用」に改造したもので、1977年(昭和52年)から使用が始まりました。
セノハチというのは22.6‰(パーミル)という急勾配区間のことで、ここを通る重い貨物列車を後ろから押す補機が必要だったんです。
計画の大幅縮小
実は当初の計画ではEF61基本番台からも8両を改造して「100番台」とする予定でした。
でも重連運転時に座屈脱線の危険が判明し、単機運用のみに制限されたため計画が中止に。結果的に200番台8両だけで終わることになりました。
200番台は1991年(平成3年)までに全機廃車となっています。
保存と現在
現存する車両はゼロ
EF61形は現在、完全な形で保存されている車両が1両も残っていません。
4号機が広島車両所でカットボディとして静態保存されていたのですが、2022年に解体されてしまいました。201号機も吹田機関区の扇形庫撤去のタイミングで解体されています。
これは鉄道ファンとしてはかなり残念な話で…。18両という小所帯だったがゆえに保存活動の優先度が上がりにくかった面もあるかもしれません。
鉄道模型での人気
実車は現存しないものの、鉄道模型の世界ではEF61は今も人気があります。
KATOからNゲージの製品が発売されていて、茶色単色塗装の美しいフォルムがコレクターから支持を集めています。
「実車に会えない分、模型で楽しむ」という文化が鉄道ファンには根付いていますよね。
まとめ
- 「EF61の日」は形式番号「EF61」と「6月1日(ろく・いち)」の語呂合わせから来ている呼び名で、現時点では公式登録された記念日ではない可能性が高い
- EF61形は1961年(昭和36年)製造開始、蒸気発生装置(SG)を搭載した旅客用直流電気機関車
- 製造両数は基本番台18両のみという少数精鋭で電車化政策の影響で少数にとどまった
- デビュー時は「あさかぜ」などの特急・急行を牽引するも、EF60形500番台の登場で急速に脇役化した
- 「悲運の急客機」の呼び名は、期待と現実のギャップを象徴している
- 200番台8両はセノハチの補機として活躍したが、現在はすべて廃車
- 保存機は2022年に最後の1両が解体され、現存する車両はゼロ

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