この記事では6月29日がなぜ「ビートルズの日」なのか、その由来から1966年の伝説的な来日エピソードまで、まるごとわかりやすく解説します。
「ビートルズの日?なんとなく聞いたことあるけど、由来はよく知らない」
というあなたも、読み終わるころには「
そういう背景があったのか!」
と思っていただけるはずです。
ビートルズの日とは何か
6月29日の「ビートルズの日」はビートルズの楽曲を手がけていた株式会社EMIミュージック・ジャパン(現:ユニバーサルミュージック合同会社)が制定した記念日です。
一般社団法人・日本記念日協会によっても認定・登録されています。
制定の理由はシンプルで、1966年(昭和41年)6月29日にビートルズが日本に初めてやってきた。その日付がそのまま記念日になっているんです。

実は「ビートルズの日」は2つある
ちょっと面白いことに、「ビートルズの日」は1年に2回あります。
6月29日の来日記念とは別に、2月4日もビートルズの日とされています。
こちらの由来はビートルズの愛称「Fab.4」(Fabulous Four=素敵な4人組の略)と、2月の英語表記「Feb.」をかけたダジャレ的な語呂合わせです。
「Fab.4」と「Feb.4」が見た目にも音的にも似ているということで、こちらも記念日になっているみたいです。なかなかしゃれていますよね😄
1966年6月29日、来日の瞬間
ビートルズが実際に日本の地を踏んだ瞬間の様子を振り返ります。
台風とともに羽田空港へ
1966年6月29日、ビートルズを乗せた日航機412便「松島」は午前3時39分に羽田空港に降り立ちました。本来より約10時間半も遅れての到着です。
台風の影響で嵐の中を飛んできた4人は、法被(はっぴ)を羽織ってタラップを笑顔で降りてきたそうです。
真夜中の3時台に到着しているにもかかわらず、出迎えたのは500人ほどのファンと物々しい警備陣。この対比がなんか、すごく時代を感じさせます。
東京ヒルトンホテルへ直行、そして軟禁
空港でのゲートを通らず、入国審査も空港内で済ませた4人は、そのまま首都高速(その日は閉鎖されていた)を使って宿泊先の東京ヒルトンホテル(現:ザ・キャピトルホテル東急)へ直行しました。
ここで事実上の「軟禁状態」が始まります。
警察の厳重な管理のもとホテルの部屋からほとんど出られなかったんです。
ポール・マッカートニーは皇居を見に行こうとして5分で連れ戻されたという話も残っています。ジョン・レノンは外出に成功したものの、半ば強引に警察官の大群を引き連れてのことだったとも。
その日の午後3時15分にはホテルの「紅真珠の間」で記者会見が開かれ、夜には加山雄三が訪れて一緒にすき焼きを食べたという微笑ましいエピソードも残っています。
加山は同じく東芝音楽工業(後のEMIミュージック・ジャパン)からレコードを出していたという縁があったから、ですね。
日本武道館公演の舞台裏
翌30日から始まった伝説のコンサートについて、あまり語られない裏側も含めてお伝えします。
ビートルズが武道館を「最初のロックバンド」にした
ビートルズの武道館公演はロック・ポップスのアーティストとして武道館を使った史上初のケースとして記録されています。
今では当たり前のように武道館でコンサートが開かれていますが、そのきっかけを作ったのがビートルズだったわけです。
「Nippon Budokan」という名前は英語圏でも「伝説の会場」として知られるようになり、「武道館でライブをやる」こと自体がアーティストのステータスになりました。

右翼団体からの反対運動と死の脅迫
当時、武道館は武道の聖地として認識されていたため、ロックバンドの公演には激しい反対運動が起きていました。右翼系の団体が「伝統文化を守れ」と街宣活動を行い、公演中止を求める声が上がっていたんです。
しかも、ビートルズへの殺害予告まであったというのが驚きです。
当時の日本は1960年に日本社会党委員長・浅沼稲次郎が暗殺されるという大事件があったばかりで、右翼による実際の暴力の記憶が生々しかった時代。
だからこそ当局は死の脅迫をごく真剣に受け止めていました。
結果として3日間で延べ8000人以上の警察官が動員されたとも言われています。
コンサート当日は観客8500人に対して警官・機動隊1700人、装甲車40台、ジープとパトカー70台という異様な厳戒態勢が敷かれました。
観客が立ち上がれなかった武道館
この来日公演、実は観客がほとんど立ち上がることも許されなかったのです。
スタンド席には2メートルの柵と警備員が配置され、客が少しでも興奮する素振りを見せると警官が座らせにきたとか。
リンゴ・スターはのちに「客席の各列に警官がいて、みんな座席で興奮しているけど何もできないでいた」と語っています。
その一方で、こうした静けさはビートルズにとって意外な体験をもたらしました。何年もぶりに自分たちの演奏を会場でちゃんと聴けたというのです。
ところがいつもは絶叫にかき消されていた分、音のズレが丸わかり。
初日の午後公演ではメンバー自身が「チューニングがおかしい」と気づいて焦ったというエピソードが残っています。意外な話ですよね。
セットリストと公演の概要
公演は6月30日夜から7月2日昼・夜まで、計5回行われました。各公演は11曲・約35分という短さ。演奏された曲は以下のとおりです。
1.Rock And Roll Music
2.She’s A Woman
3.If I Needed Someone
4.Day Tripper
5.Baby’s In Black
6.I Feel Fine
7.Yesterday
8.I Wanna Be Your Man
9.Nowhere Man
10.Paperback Writer
11.I’m Down
7月1日昼の公演は日本テレビが収録し、同日夜に放映されました。
当時のチケット価格はA席2,100円、B席1,800円、C席1,500円ですべて抽選販売だったそうです。
来日がもたらした社会的影響
ビートルズの来日が当時の日本社会にどんな波紋を広げたか、あまり語られない部分も含めて振り返ります。
6,520人の高校生が補導された
学校をさぼってコンサートに駆けつけた高校生たちが警察に補導されたのですが、その数がなんと6,520人。
それだけの若者が「補導されてもいい」と思えるくらい熱狂していたということです。ただ、幸いにもけが人は1人も出なかったといいます。
最初で最後の来日だった
ビートルズの来日は1966年が最初で最後でした。
この年の8月にサンフランシスコで行われた公演を最後に、ビートルズはライブツアーを永久に終了。その後はスタジオ・アーティストとしての活動に移行したため、4人揃っての来日は2度と実現しなかったんです。
…うん。「最後の来日から60年」と考えると、改めて伝説の意味がわかる気がします。
ビートルズ来日は「安保闘争の予行演習」だったかもしれない
これは憶測の域を出ない話ではありますが一部の証言では警察によるビートルズの警備は安保闘争後の警備システムの予行演習だったのではないかという見方も語られています。
1960年にアイゼンハワー大統領の来日が中止に追い込まれた苦い経験から、日本の警察が海外VIPの警備体制を磨きたかったという話です。
真偽は不明ですがそれくらいの規模の警備が動いていたのは確かです。
まとめ
- 6月29日のビートルズの日は1966年のビートルズ初来日を記念してEMIミュージック・ジャパンが制定した記念日で、日本記念日協会にも登録されている
- 実は2月4日も「ビートルズの日」があり、愛称「Fab.4」と「Feb.4」の語呂合わせが由来
- 来日当日は台風の影響で深夜3時39分に羽田到着。加山雄三とすき焼きを食べたのが初日の夜
- 武道館での公演はロック・ポップアーティストとして史上初の武道館コンサートで、現在の武道館公演文化の原点
- 右翼団体の反対運動と殺害予告を受け、3日間で延べ8000人以上の警官が動員された
- 高校生6,520人が補導されながらも怪我人ゼロという来日は、最初で最後のこと
6月29日という日付、これからは少し違って見えてくるかもしれませんね
60年前のあの日の熱気が今の武道館コンサート文化につながっているんだなと思うと、個人的にはすごくロマンを感じます。
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