9月6日は「飴の日」ですがこの記事を読めば由来になった日本書紀のエピソードから、記念日を作った松本の老舗3店の思い、飴そのものが辿ってきた長い歴史まで、まとめて理解できると思います。
なんとなく毎年カレンダーで見かけるけど詳しくは知らない、そんな方のための記事です。
飴って身近すぎて逆に由来を知らないですよね。せっかくなので今日はじっくり掘り下げてみます。
飴の日はいつ制定されたもの?
まずは基本情報から。飴の日がいつどんな団体によって作られたのかここでサクッと押さえておきますね。
制定したのは松本の老舗飴屋3店
飴の日を制定したのは長野県松本市に店を構える老舗の飴屋さん3店が結成した「松本飴プロジェクト」です。
具体的には山屋御飴所、新橋屋飴店、飯田屋製菓というお店が名を連ねていて、いずれも長く飴づくりを続けてきた実力派揃いなんです。
山屋御飴所にいたっては創業1672年、寛文12年という記録が残っていて、なんと350年以上も飴を作り続けている計算になります。
個人的にはこれだけ長い歴史を持つお店が営業しているというだけで、ちょっと感動してしまいました。
3店がタッグを組んだ背景には古くから親しまれてきた飴の文化や歴史を次の世代に伝えたい、日本の飴産業をこれからも盛り上げていきたいという思いがあったようです。
単独のメーカーが自社製品をPRするための記念日とは違って、地域の飴屋さんたちが業界全体のために動いたというのが、この記念日のちょっと珍しいところだと思います。
日本記念日協会の認定は2019年
飴の日が正式な記念日として認められたのは2019年、令和元年のことです。
申請先は一般社団法人日本記念日協会で、ここで審査を経て登録されると、晴れて「公式な記念日」として世の中に認知されるわけですね。
記念日って自称するだけなら誰でもできそうですけど、こうして協会の認定を受けることで信頼性が増しますし、企業やメディアでも取り上げやすくなるんだと思います。
ちなみに令和元年というのは2019年5月に改元されたばかりの年でして新しい時代の始まりと同じタイミングで飴の日が誕生したというのも、なんだか縁を感じる話ですよね。
9月6日という日付の由来
ここが一番気になる部分だと思うのでじっくり解説していきますね。なぜ9月6日という、一見すると飴と無関係そうな日付が選ばれたのか、その根拠を見ていきます。
日本書紀の神武天皇記に基づく日付
飴の日の日付は、日本最古の正史とされる『日本書紀』の神武天皇記にある記述から来ています。
そこに記されているのが、こんな言葉です。
「水無飴(みなしあめ)を造ろう。もし飴ができれば、武器を使わずとも天下を治めることができるだろう」
というものなんですね。
具体的なエピソードとしては神武天皇が大和国を平定しようとしていた際、多くの平瓮(ひらか、浅い皿のような器)を丹生川の川上に沈めて天地の神々を祭り、祈りを捧げたという話が伝わっています。
そのときに、水を使わずに飴を作ることができれば刃を交えることなく天下を平定できるだろうと誓い、実際に飴が出来上がったとされているんです。
さらに面白いのが9月5日の夜に神武天皇の夢の中に天つ神が現れて
「神を祀り敬えば、敵は自然と降伏するだろう」
というお告げを授けたという逸話も伝わっている点です。
目を覚ました天皇が飴を作って神々に捧げ、その結果として戦うことなく天下を平定した、という流れになっています。
この飴が出来上がったとされる日が9月6日と推察されることから、記念日の日付として選ばれたわけですね。
正直なところ、これは神話の中の逸話であって、史実として9月6日にぴったり飴が作られたと証明できるわけではないと思います。
あくまで日本書紀の記述をもとにした推察という位置づけなのでそこは踏まえておいたほうがよさそうです。
とはいえ、日本最古の歴史書にまで遡って日付の根拠を求めるというのは他の記念日にはあまり見られないスケール感だなと感じます。
「水無飴」とはどんな飴だったのか
ちょっと深掘りしてみますね。
当時作られたとされる「水無飴」というのは、名前の通り水を使わずに作られた飴という意味合いがあるようです。
現在の研究では神武天皇が作ったとされる飴は米などの穀物を麦芽で糖化させて作る、いわゆる水飴だったと考えられています。
現代の私たちがイメージする飴は、砂糖を煮詰めて固めた透明な粒状のものが多いですけど、古代の飴はもっと素朴で、とろっとした水飴に近いものだったと推測されているんですね。
原料や製法は時代とともに変化してきたものの、甘みを求める気持ちやそれを神様への供物として捧げるという発想自体は、はるか昔から変わらずあったのかもしれません。
松本という土地と飴の深い関係
飴の日を語るうえで欠かせないのがなぜ長野県松本市がこの記念日の発信地になったのかという点です。ここも掘り下げてみますね。
松本の気候と水が飴づくりに適していた
信州松本は内陸特有の乾燥した気候が続く土地なんですが、その一方で山々からの豊かな湧き水にも恵まれています。
江戸時代、職人たちはこの清らかな水と安曇野で獲れたお米を原料にして、丁寧に飴を炊き上げていたと言われています。
乾燥した気候というのは実は飴の保存にも適していたようです。
湿気が多い土地だと飴が溶けたり品質が落ちたりしやすいですけど、松本のような乾燥地帯ではその心配が少なく、結果として飴づくりの産地として自然に根付いていったと考えられます。
地形や気候という土地の特性がそのまま産業の個性につながっていったという話は、なるほどと思わせられますね。
今も続く米飴づくりと松本あめ市
松本の老舗では米飴を主原料とした素朴でやさしい甘さの飴が作られ続けています。
原料自体はシンプルなんですが炊き方や引き方といった工程には職人の技が凝縮されていて、その加減ひとつで風味が大きく変わってくるなかなか奥深い世界みたいです。
それと、松本では毎年1月に「松本あめ市」というお祭りも開催されていて、地元の人々にとって新年の始まりを告げる恒例行事になっているそうです。
飴の日である9月6日には飴作り体験などのイベントを通じて「飴の街・松本」をアピールする取り組みも行われているとのことでした。
こうした季節ごとの催しを通じて、地域全体で飴の文化を守り育てているんだなという印象を受けます。

飴そのものの長い歴史をたどる
せっかくなので飴の日という記念日そのものだけでなく、飴という食べ物自体がどんな歴史を歩んできたのかも紹介しておきますね。
ここを知っておくと飴の日の背景がより立体的に見えてくると思います。
奈良時代にはすでに存在していた甘味料
飴の起源は8世紀初めに編纂された『日本書紀』にすでに登場しており、正倉院に収蔵されている古文書にも「阿米(あめ)」という記載が残っています。
これは飴を意味していると考えられており、8世紀前半にはすでに日本で飴が作られていたことがわかる貴重な資料です。
当時の飴は米などの穀物のでんぷんを糖化させて作る水飴だったというのが研究者の間でほぼ一致した見解のようです。
最初は米を発芽させた「米もやし」を使って糖化させていたんですが、その後、より強い酵素を持つ大麦、いわゆる麦芽を使う製法に移っていったと伝えられています。
平安時代には薬用としても珍重されていた
平安時代の延喜年間、西暦901年から923年ごろに成立した漢和薬名辞書『本草和名』には、飴の和名を「阿米」とする記述が残っています。
それと、10世紀初頭にできた日本最初の漢和辞書『倭名類聚抄』にも「飴は米のもやしからつくる」といった内容が記されていて、この時代にはすでに水飴を使ったお菓子が食べられていたことが確認できます。
興味深いのは水飴が単なる甘味料としてだけでなく、平安時代には薬用としても扱われる貴重品だったという点です。
砂糖が国内でほとんど流通していなかった時代、甘みそのものが希少な存在だったわけですから、飴が特別な位置づけを持っていたのも納得できる話だと思います。
それに、延喜式には京都に飴屋ができたという記述も残っており、この頃にはすでに商売として飴が扱われていたこともうかがえます。
江戸時代に麦芽飴と千歳飴が広まった
麦芽を使った飴づくりが大きく広まったのは江戸時代初期、1615年ごろのこととされています。
大坂の浪人だった平野甚左衛門の子である陣九郎重政という人物が摂津国平野村で飴製造を始め、その後江戸に出て浅草寺の境内で飴を売ったのが「千歳飴」の始まりと伝わっています。
もち米を蒸して麦麹の粉と冷水を合わせ、甘酒のようにしてから濾過して練り上げるという製法だったようです。
江戸時代にはほかにも派手な衣装をまとって笛を吹きながら町を歩く「唐人飴売り」といった、飴を売り歩く行商人が登場したという記録も残っています。
飴が単なる食べ物ではなく、庶民の娯楽や街の風物詩の一部にもなっていたことがうかがえますね。
こうして見ていくと飴の日という記念日1つとっても、その裏には千年以上にわたる甘味文化の積み重ねがあるんだなと、ちょっとしみじみしてしまいました。
まとめ
9月6日の飴の日について由来と歴史を振り返ってきました。最後に要点を整理しておきますね。
- 飴の日は長野県松本市の老舗飴屋3店、山屋御飴所・新橋屋飴店・飯田屋製菓が結成した「松本飴プロジェクト」が制定した記念日
- 2019年、令和元年に一般社団法人日本記念日協会によって正式に認定・登録された
- 日付の由来は『日本書紀』神武天皇記にある、9月6日に「水無飴」を作ったと推察される逸話から
- 神武天皇が神々に飴を捧げて祈り、戦わずして天下を平定したという故事にちなんでいる
- 松本は乾燥した気候と豊かな湧き水に恵まれ、江戸時代から米飴づくりの産地として発展してきた
- 飴自体の歴史は奈良時代の日本書紀までさかのぼり、平安時代には薬用として、江戸時代には麦芽飴や千歳飴として広く親しまれてきた
普段何気なく口にしている一粒の飴にもこんなに古くからの物語が詰まっているんだなと思うと、次に飴をなめるときの感じ方も少し変わってきそうですよね。
9月6日を迎えたらぜひ松本産の飴を手に取ってみたり、飴づくりの歴史に思いを馳せてみたりしてはいかがでしょうか。
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