この記事を読めば6月27日が「ちらし寿司の日」に選ばれた理由と、ちらし寿司の誕生にまつわる歴史の全貌がわかります。
「なんで今日がちらし寿司の日なんだろう?」
と思って調べている方、ちらし寿司好きな方、日本の食文化に興味がある方に向けて背景をしっかり深掘りして解説していきますね。
ちらし寿司の日とは
6月27日は日本記念日協会に認定された「ちらし寿司の日」です。
誰が制定した記念日?
この記念日を制定したのは広島県広島市西区に本社を置く食材メーカー「株式会社あじかん」です。
ちらし寿司などの調理用食材の製造・販売を手がけている会社で、「山の幸や海の幸をたっぷり使ったちらし寿司を食べて、夏に向けて元気になってほしい」という想いを込めて記念日を提案しました。
日本記念日協会への登録は、2004年(平成16年)4月1日。意外と最近の話なんですよね。それ以降、毎年6月27日がちらし寿司の日として認知されていきました。
なぜ6月27日なの?
この日付にはちゃんとした歴史的根拠があります。
6月27日は備前岡山藩主・池田光政(いけだみつまさ)の命日。池田光政という人物こそが、ちらし寿司の原型「ばら寿司」が生まれるきっかけを作ったとされているんです。
池田光政と「一汁一菜令」
ちらし寿司の誕生を語るうえで絶対に外せない人物がいます。それが池田光政です。
備前岡山の名君
池田光政(1609〜1682年)は江戸時代の大名で、岡山藩3代目藩主として知られる人物です。
のちに「名君」とたたえられるほど藩政に力を注いだ人物で、閑谷学校(現・備前市)の設立など教育事業にも取り組んでいました。
ただ、庶民にとっては少し厳しい側面もありました。
1654年の大洪水と倹約令
1654年(明暦元年)、備前(現在の岡山県)で大洪水が発生しました。
5日間にわたって豪雨が降り続き、岡山城の本丸まで浸水したと伝えられています。
この水害に続いて大飢饉が起き、3,000人以上が餓死したともいわれています。光政はこの惨状を「我等一代の大難」と嘆き、まず藩の蔵を開放して米を庶民に分け与えました。
その後、災害からの復興と財政再建のために打ち出したのが「一汁一菜令(いちじゅういっさいれい)」と呼ばれる倹約政策です。
食事はご飯・味噌汁・おかず一品というかなり質素な内容に制限するという布告でした。
ちらし寿司誕生の話
ここからがちらし寿司の誕生にまつわる面白いエピソードです。諸説あるのですが、最も広く伝わる話を紹介しますね。
庶民の知恵が生んだ一品
倹約令が出された後も庶民は「せめて祭りの日くらいはごちそうを食べたい」と藩主側に訴えたそうです。ところが、返事はノーだったとのこと。
そこで庶民が考え出した知恵がおもしろくて、魚や野菜などのごちそうをご飯に混ぜ込んで「これはご飯です、おかずではありません」という顔をしたんです。
一汁一菜令では「おかず一品」という制限があったけど、ご飯そのものには制限がなかったので、具材をご飯に混ぜてしまうことで規制をかわしたわけですね。
別の説では重箱の底に贅沢な具材を詰めて、上に白い酢飯を乗せて隠した、という話も伝わっています。
役人が見れば「白いご飯だけ」に見える。そのうえでこっそり底のおかずを食べたというんです。
どちらにしても、倹約令への庶民の抵抗と知恵から生まれた料理だというのがちらし寿司のルーツなんです。
岡山の「ばら寿司」が原型
この混ぜご飯が、岡山名物「ばら寿司」の始まりとされています。
そして、ばら寿司をもとにして全国に広まったのが、現在の「ちらし寿司」です。
備前岡山藩主の池田光政の命日が6月27日であることからあじかんがこの日を「ちらし寿司の日」として選んだのは、自然な流れと言えますよね。
ちらし寿司とばら寿司の違い
「ちらし寿司」と「ばら寿司」、同じようなものに見えますよね?
でも、実はちゃんと違いがあります。
作り方と盛り付けの差
ばら寿司は具材を小さく切って酢飯に混ぜ込んだものです。岡山のばら寿司は特に、品目が多く具材が大きめなのが特徴で、見た目もかなり豪華なんです。
対してちらし寿司は酢飯の上に具材を「散らして」のせるスタイル。「散らす」という動作がそのまま名前の由来になっています。
関東と関西で別物?
実はこれ、地域によってもスタイルが全然違います。
関東のちらし寿司(江戸前ちらし)は酢飯の上に刺身などの生魚を並べるもので、一人前ずつ盛り付けるスタイルが一般的です。お寿司屋さんで出てくるあのイメージです。
一方、関西のちらし寿司は酢飯に煮炊きした具材を混ぜ込んで、上に錦糸卵や海苔を飾るもの。基本的に生魚を使わず、大皿に盛って家族でシェアするスタイルが多いです。
関西では「ばら寿司」や「五目寿司」と呼ぶことも多いですね。
同じ「ちらし寿司」という名前でも東と西でここまで違うというのは、けっこう驚きですよね。
ちらし寿司の起源をもっと深掘り
実はちらし寿司の歴史は江戸時代よりもっと古い可能性があります。
鎌倉時代にも原型があった?
最も古い形は鎌倉時代までさかのぼるという見解もあります。当時は酢飯に干瓢や椎茸などを混ぜ込んだ「五目ずし」「混ぜずし」に近いものが存在していたとのことです。
ただ、このあたりの話は歴史的に確定しているわけではなくあくまで「そういう説もある」という段階だと思っています。
池田光政の時代の話が最も広く知られているのは具体的なエピソードと人名が残っているから、というのが大きいのかもしれません。
倹約令が生んだ逆説
個人的にいちばん面白いと思ったのは「贅沢を禁じる令が、贅沢な料理を生んだ」という皮肉な歴史です。
一汁一菜令がなければ、庶民があそこまで知恵を絞る必要もなかったわけで、ひな祭りやお祝いの席に欠かせない定番料理が「倹約令への抵抗」から生まれたなんて食文化の歴史ってほんとに奥深いですよね。
まとめ
- 6月27日は「ちらし寿司の日」で広島の食材メーカー「株式会社あじかん」が制定し、2004年に日本記念日協会が認定
- 日付は備前岡山藩主・池田光政(1609〜1682年)の命日に由来する
- 1654年の大洪水後、倹約令「一汁一菜令」に対し、庶民が魚や野菜をご飯に混ぜ込むことで制限をかわしたのがちらし寿司(ばら寿司)の起源
- ちらし寿司は「具材を酢飯の上に散らすもの」、ばら寿司は「具材を酢飯に混ぜ込むもの」というのが基本の違い
- 関東は生魚をのせる江戸前スタイル、関西は具材を混ぜ込む五目寿司スタイルと、地域によって中身が異なる
ちらし寿司を食べるときに370年以上前の庶民の知恵と根性を思い出してみると、なんかちょっと味わいが増すかもしれません😊
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