8月16日って、実はけっこう歴史的な日なんです。
この記事を読めば大西洋横断電信ケーブル完成祝賀の日がどうして生まれたのか、そして裏側にあった人間ドラマまでまるっとわかると思います。
「なんとなく聞いたことあるけど、詳しくは知らない」
という方、多いんじゃないでしょうか。
私も調べる前は「電信ケーブル?海底に電線通しただけでしょ」くらいの認識でした。
でも実際に歴史を追ってみると想像以上にドラマチックで、正直ちょっと感動してしまいました。
大西洋横断電信ケーブル完成祝賀の日の基本情報
まずはこの記念日がどういうものなのかざっくり押さえておきましょう。
いつ何が起きたのか
8月16日は1858年に大西洋を横断する電信ケーブルが公式に開通した日として知られています。
この日、イギリスのヴィクトリア女王からアメリカのジェームズ・ブキャナン大統領に向けて、祝福のメッセージが海底ケーブルを通じて送られました。
メッセージの内容は
「ヨーロッパとアメリカは電信によって結ばれた。いと高きところには栄光、地には平和、人々には善意あれ」
というものでなんだか祈りのような、格調高い文章だったみたいです。
ちなみにこの98語のメッセージ、送信にかかった時間はなんと16時間半だったとのことです。
今の感覚だと「え、それだけ?」って思っちゃいますよね。
でも当時は船で手紙を運ぶのに10日前後かかっていたので、それが半日程度に短縮されたというだけでも、とんでもない進歩だったんです。
ケーブル敷設の実際の日付関係
ちょっとややこしいのですが、ケーブル自体が物理的に敷設完了したのは8月5日で、実際に両国の元首がメッセージを交わして正式に「開通した」とされたのが8月16日なんです。
つまり、ケーブルという物体ができたのが8月5日、そのケーブルが本当に機能して国家間の通信手段として認められたのが8月16日という順番になります。
この記念日が8月16日に設定されているのは、まさにこの「公式な開通の瞬間」を祝っているからだと考えられます。
完成に至るまでの長く険しい道のり
この項目ではケーブル完成までにどれほどの苦労があったのかをお伝えします。
サイラス・フィールドという執念の人物
この壮大なプロジェクトを主導したのはアメリカの実業家サイラス・ウェスト・フィールドという人物でした。
彼は電信技術についてほとんど知識がなかったという点です。それでも「これは絶対にビジネスになる」という直感だけで突き進んだというのですから、なかなかの胆力だなと思います。
フィールドは1856年にアトランティック・テレグラフ社を設立し、資金35万ポンドのうち4分の1を自分で出資、残りをイギリスの事業家から集めたそうです。
この事業に費やした期間は実に12年間、大西洋を渡った回数は30回以上にのぼったとされています。
正直、ここまでの執念を持てる人ってなかなかいないですよね。何度失敗しても諦めない姿勢が印象的でした。
4回の失敗、そして5回目の成功
実はこのケーブル敷設、1回で成功したわけではありません。
1857年から始まった敷設作業は何度も失敗を繰り返し、ようやく1858年7月末に5回目の挑戦で成功にこぎつけたんです。
具体的にはHMSアガメムノン号とUSSナイアガラ号という2隻の船が大西洋の真ん中で出会い、そこからそれぞれの方向に向かってケーブルを伸ばしていくという方法が取られました。
8月4日にナイアガラ号がニューファンドランドに、翌5日にアガメムノン号がアイルランドのヴァレンティア島に到着し、ケーブルは深いところで2.5マイル(約4キロ)の海底に沈められた状態で、全長約3200キロにわたって繋がったとされています。
この距離感、東京から沖縄を優に超えるくらいの長さですから、当時の技術でこれをやり遂げたのは本当にすごいことだと思います。
開通後に起きた予想外の展開
祝賀ムードの裏で実はあまり知られていない展開もありました。
わずか3週間で故障してしまった現実
ここが個人的にいちばん驚いたポイントなんですが、せっかく開通したこのケーブル、実は3週間ほどで使えなくなってしまったんです。
原因は信号が弱かったので電圧を上げすぎてしまい、絶縁材が劣化してケーブル自体が壊れてしまったからだとされています。
つまり、8月16日に世界中が熱狂した「歴史的な瞬間」は、実はほんの数週間しか実用に耐えなかったということになります。
せっかく完成を祝ったのに、すぐ壊れてしまうなんてなんとも切ないですよね。
アメリカでの熱狂ぶりがすごかった
とはいえ、当時のアメリカでの盛り上がりは相当なものだったようです。
ニューヨークでは1858年9月1日に、100発の礼砲、街中に掲げられた旗、鳴り響く教会の鐘、そして夜には街全体がライトアップされるというまさにお祭り騒ぎが繰り広げられたとのことです。
ケーブルがすでに故障していたにもかかわらず、これだけの祝賀ムードだったというのは当時の人々にとってこの技術がどれほど夢のあるものだったかを物語っていると思います。
本当の完成は1866年だったという事実
ここが今回いちばん深掘りしたいポイントです。実は8月16日に祝われた1858年のケーブルは「本当の完成」ではなかった可能性が高いんです。
8年越しでようやく実現した安定通信
1858年のケーブルが故障してから、フィールドはすぐには諦めませんでした。
ただ、資金集めは相当苦戦したようです。
というのも、一度失敗した事業に投資家がお金を出したがらないのは当然ですよね。それでもフィールドは資金を集め続け、絶縁材料と設計を改良した新しいケーブルで再挑戦しました。
そして1866年7月27日、当時世界最大の蒸気船だった「グレート・イースタン号」を使って、ついに恒久的に使用できる大西洋横断電信ケーブルが完成したんです。
このケーブルは今度こそ壊れることなく、実際に長期間運用され続けました。
こう考えると、8月16日に祝っているのは
「世界で初めて大陸間を電気信号でつないだ歴史的瞬間」
であって、「実用的な国際通信インフラの完成」という意味では1866年のほうがふさわしいのかもしれません。
この2つの完成が別々の年に存在するというのは、案外知られていない事実なんじゃないかなと思います。
ちなみに1866年のケーブルが開通した際に最初に送られたメッセージは
「オーストリアとプロイセンの間で平和条約が締結された」
という、かなり実務的な内容だったそうです。
1858年の祈りのようなメッセージとはずいぶん雰囲気が違っていて、この対比もなかなか面白いなと感じました。
商業的な成功も1866年から
1866年のケーブルは商業的にも成功を収めていて、最初の半年間で2万9千ポンド、次の半年間ではなんと43万ポンドもの収入を得たとされています。
この数字の伸び方を見ると、通信インフラとしてのニーズがどれだけ大きかったかがよくわかりますよね。
ただ当時の通信料金は1語あたり5ドル、現在の価値に換算するとおよそ100ドルほどだったらしく、超高級サービスだったことが伺えます。
庶民が気軽に使えるものではなく政府や大企業、あるいは新聞社くらいしか利用できなかったのだろうなと想像します。
この記念日から学べること
この記念日が現代の私たちに教えてくれることを整理しておきます。
失敗を重ねてこそ得られる成果
サイラス・フィールドの物語を振り返ると5回目の挑戦でようやく成功し、しかもその成功すら不完全で、本当の意味での完成には8年もかかったということになります。
現代の感覚だと「そんなに失敗したらもう諦めるでしょ」と思ってしまいそうですが彼は違いました。この粘り強さこそが、8月16日という記念日の本当の価値なんじゃないかなと個人的には思っています。
技術の進歩というのは一直線に進むものではなく、何度もつまずきながら少しずつ前に進んでいくものなんだなと、この歴史を知って改めて感じました。
今の私たちが当たり前のように使っているインターネットや国際電話もこうした先人たちの試行錯誤の積み重ねの上に成り立っているわけです。
まとめ
大西洋横断電信ケーブル完成祝賀の日について、由来から歴史の裏側まで解説してきました。最後に要点を整理します。
- 8月16日は1858年、ヴィクトリア女王とブキャナン大統領がメッセージを交換し、大西洋横断電信ケーブルが公式開通した日
- 主導したのはアメリカの実業家サイラス・フィールドで、12年間、30回以上大西洋を渡って事業を続けた
- 1858年のケーブルは開通からわずか3週間で故障し、実は短命だった
- 本当に安定した通信を実現したのは1866年で、グレート・イースタン号を使った再挑戦だった
- ニューヨークでは故障後も盛大な祝賀イベントが開かれるほど当時の人々にとって夢のある技術だった
こうして振り返ってみると8月16日という記念日には、成功の裏に隠れた失敗や、それでも諦めなかった人間の粘り強さが詰まっているんですよね。
8月16日を迎えるときは、ぜひこの歴史のドラマも思い出してみてください。

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