9月26日は「ドミニオンデー(自治領の日)」と呼ばれる日でこの記事を読めばニュージーランドが植民地から自治領へと格上げされた背景や、その後この記念日がどう扱われてきたのかがわかります。
日本ではあまり知られていない記念日なので名前を聞いても「何のこと?」と思う方が多いんじゃないかなと思います。
私も調べてみて、思った以上に奥が深い歴史だなと感じました。
というわけでこの記事ではドミニオンデーの由来から現在の扱われ方まで、じっくり掘り下げていきますね。
ドミニオンデーとは何の日なのか
ここではドミニオンデーがそもそも何を記念する日なのかについて説明します。
由来はニュージーランドの地位変更
ドミニオンデーは1907年9月26日にニュージーランドが英国の植民地から自治領(ドミニオン)へと地位を変えたことを記念する日です。
この日、ニュージーランド植民地は制度上消滅し、代わりに「ニュージーランド自治領」という新しい呼び名を得ることになったんですね。
ちなみに同じ日にニューファンドランドも自治領になっていて、実はニュージーランドだけの出来事ではなかったりします。
なぜ9月26日なのか
地位変更の勅令自体は1907年9月9日に発せられ、翌10日に布告されました。
ただ、実際にこの変更が効力を持つのは9月26日とされていて、この日に全国各地で布告文が読み上げられたことから記念日として定着していったようです。
当日、首相のジョセフ・ウォードが議会の階段から布告を読み上げたことが、後々まで語り継がれるエピソードになっています。
ドミニオンという言葉の意味と背景
ここを読むとなぜ「植民地」ではなく「自治領」という呼び方が選ばれたのかが見えてきます。
ラテン語dominiumに由来する言葉
ドミニオンという単語自体はラテン語の「dominium」から来ていて、所有や権威、支配下にある領土といった意味を持つ言葉なんです。
もともと英国の北米植民地は「陛下の海外領土(His Majesty’s Dominions beyond the Seas)」と呼ばれていたそうで、そこから派生した表現みたいですね。
1867年には英領北アメリカ法によってカナダが「一つのドミニオン」として作られたのが、近代的な意味での使い始めとされています。
カナダとの関係で生まれた呼び方
1901年にオーストラリア連邦が成立すると、当時の英国領はどこもかしこも「植民地」と呼ばれる状況になってしまい、カナダの首相はそれを不満に思っていたようです。
小さな島の植民地と同じ扱いにされたくないという思いがあったんでしょうね。
そこで1907年、カナダやオーストラリア、ニュージーランド、ニューファンドランド、ケープ植民地、ナタール、トランスバールに対して「ドミニオン」という区別された呼称が使われるようになりました。
オーストラリアは「コモンウェルス」を名乗り続け、南アフリカは1910年から「ユニオン」を使うことになったので、実はドミニオンという呼び方が全部に統一されたわけではないんです。
自治領になった歴史的な経緯
ここではニュージーランドが自治領を目指した理由と、実現までの流れを見ていきます。
ジョセフ・ウォード首相の狙い
首相ジョセフ・ウォードは1907年の帝国会議でロンドンを訪れた際、ニュージーランドを自治領にするアイデアを英国当局に持ちかけました。
彼は当時の植民地事務省宛の書簡で
「ニュージーランドの地位と重要性を考えれば、もはや植民地の段階を脱していて、オーストラリア連邦やカナダ自治領と同様に、独自の呼称を持つ資格がある」
と述べていたようです。
個人的にはこの一文にウォードの強い自負がにじんでいるなと感じました。
彼は南太平洋地域における自国の存在感を高めたいという地域的な野心も持っていたみたいですね。
1907年帝国会議での決定
1907年の帝国会議で、自治的な植民地を区別するために「ドミニオン」という言葉が採用されることになりました。
ある政治家は最初のドミニオンデーについて
「これはニュージーランドにとってのアメリカ独立記念日のようなものとして記憶されるだろう」
と語っていたそうです。
この発言、正直かなり大げさな気もしますけど、当時の人々にとっては相応の重みがあったんだろうなと思います。
布告から施行までの流れ
先ほど触れたとおり、地位変更を定める勅令は9月9日に出され、10日に布告されました。
そして実際の施行日は9月26日とされ、この日に国内各地で布告が読み上げられたわけです。
このタイムラグが記念日の日付を9月26日に定めた決め手になっているんですね。
最初のドミニオンデーの様子
ここでは1907年当日にどんな出来事があったのかを具体的に紹介します。
ウォード首相による布告朗読
1907年9月26日、ウォード首相はウェリントンにある議会の総合図書館の階段から布告文を読み上げました。
その内容は
「今後、ニュージーランド植民地とその領土は、ニュージーランド自治領の名称で呼ばれ、そう知られるものとする」
というものだったそうです。
この場面には総督のプランケット卿も立ち会っていて、記念写真も残されています。
新聞や国民の反応
当時の新聞『イブニング・ポスト』は、この変更を「英国国家という学校の中で一つ格上げされた」と報じました。
記事の中では
「海外では、ニュージーランドが大きな犬の小さな尾っぽのように見なされる向きがあるが、首相はその尾っぽが見過ごされたり軽んじられたりしないよう決意している」
といった趣旨のことが書かれていたそうです。
ただ、実際の国民の反応はそこまで熱狂的ではなかったようで、多くの新聞は変更の意味そのものに疑問を投げかけていたみたいですね。
歴史家のキース・シンクレアは後年、
「この称号変更には特に需要があったわけではなく、大衆の関心はほとんど生まれなかった。ウォード個人の見世物のようなもので、ただの形式的な変更に過ぎなかった」
と言っていたそうです。なかなか辛辣な評価だなと感じました。
祝日としての歴史とその後の変化
ここを読むと、ドミニオンデーが祝日としてどう扱われ、時代とともにどう変わっていったのかがわかります。
1910年に法定休日になった経緯
最初のドミニオンデーは公務員向けの休みで、政府機関が休業する形で祝われました。
それが1910年になると法定休日として制度化され、週末に当たる場合は月曜日に振り替えられる仕組みも導入されたんです。
当時は式典や行進で祝われることが多く、第一次世界大戦が近づくにつれて軍や学校の少年義勇兵の行進なども組み込まれるようになったようですね。
徐々に薄れていった祝賀ムード
とはいえ、この祝賀ムードは長続きしませんでした。
式典を続けた銀行や法律事務所もあったものの、そうした慣習を1950年代まで守っていたのはほんの一部だけだったそうです。
全国的な祝日としての存在感は時代を経るごとにどんどん薄まっていったのが実情みたいです。
ウェリントンは比較的長く式典を続けていた場所の一つだったようですが、それも結局は例外的なケースだったんじゃないかなと思います。
現在は南カンタベリー記念日として残る
2000年代に入ると、9月の第4月曜日はもはや全国的な祝日ではなくなりました。
現在この日付は「南カンタベリー記念日」という地域限定の祝日として位置づけられているんです。
つまり、ドミニオンデーそのものは全国規模の祝日としては実質的に姿を消し、一つの地方の記念日にその名残がとどまっているという状況ですね。
ドミニオンデーは国家的な祝賀行事から地域的な記念日へと縮小していった、というのがこの記念日の歴史をまとめると見えてくる姿だと思います。
自治領から独立国家への道のり
ここでは自治領への移行が実際にどんな効果を持っていたのか、そしてその後の独立への流れを解説します。
名称変更だけでは変わらなかった実質
意外かもしれませんが、植民地から自治領への変更は名前だけの話で、実質的な効果はほとんどなかったとされています。
ニュージーランドはこの変更の前も後も、英国からの独立度合いが変わったわけではなかったんです。
自治領という地位はあくまで「見え方」の問題で、他国から植民地だと軽んじられないための対外的な体面づくりという側面が強かったみたいですね。
ここ、意外と誤解されやすいポイントだと思うので強調しておきますね。
1947年ウェストミンスター憲章採用への歩み
自治領になったからといって即座に独立国家になったわけではなく、そこから完全な独立までは長い道のりがありました。
1931年のウェストミンスター憲章がニュージーランドに適用されたのは1947年で、この年になってようやく国内の議会がこの憲章を採用したという流れです。
それでも英国が要請に応じて立法できる権限は残っていて、1852年のニュージーランド憲法法が完全に置き換えられたのは1986年、さらに英国裁判所とのつながりが切れたのは2003年になってからだったそうです。
歴史学者のW・デイビッド・マッキンタイア教授は、ニュージーランドにとって独立とは一つの出来事ではなく、緩やかな過程だったと説明していて、1907年から1986年までの間に自治権を主張した様々な機会を数えれば、本来なら建国記念日が12個あってもおかしくないくらいだと述べていたようです。
この視点、正直かなり面白い切り口だなと思いました。
100周年に行われた記念行事
ここでは2007年に行われた100周年の様子について触れておきます。
2007年のヘレン・クラーク首相の式典
2007年、当時のニュージーランド首相ヘレン・クラークは、ドミニオンデーの100周年を記念して、憲法や国家意識をテーマにした一日がかりのシンポジウムを議会で開催しました。
クラーク首相は当時の声明の中で「1907年9月26日、首相サー・ジョセフ・ワードが議会の総合図書館の階段で布告を読み上げ、ニュージーランドがもはや英国の植民地ではないと宣言した」と振り返っています。
100年という時間の重みを感じさせる式典だったんだろうなと思いますね。
議会議事堂のライトアップ再現
さらに、この100周年に合わせて9月25日と26日の夜、議会の総合図書館のライトアップが再現されました。
これは1907年当時に行われたイルミネーションを再現するもので、1937年以来行われていなかった演出だったそうです。
アーチや屋根のラインが光で照らされる様子は、当時の写真から復元されたものだったと考えられますが、この点については明確な資料が見当たらなかったので、あくまで私の推測として捉えてくださいね。
まとめ
ドミニオンデーについて押さえておきたいポイントを整理しておきます。
- ドミニオンデーは1907年9月26日にニュージーランドが植民地から自治領へ移行したことを記念する日
- 布告自体は9月9日に出され、10日に発表、26日に施行と読み上げが行われた
- ドミニオンという呼称はラテン語のdominiumに由来し、カナダの先例に続く形で採用された
- 首相ジョセフ・ワードが対外的な体面を意識して主導した名称変更だった
- 1910年に法定休日となったが、祝賀ムードは徐々に薄れて全国的な祝日としては廃れていった
- 現在この日付は南カンタベリー記念日という地域限定の祝日として残るのみ
- 名称変更自体に実質的な独立効果はなく、完全な独立は1947年以降さらに長い時間をかけて実現した
- 2007年の100周年にはヘレン・クラーク首相のもとで記念式典やライトアップの再現が行われた
こうして振り返ってみる、ドミニオンデーは一つの単純な祝日というより、ニュージーランドという国が自分たちの立ち位置をどう世界に示すか模索してきた過程そのものを表す記念日なんだなと感じました。
あまり派手な記念日ではないかもしれませんが、その分だけ、じっくり調べる価値のある歴史だったなと思います。
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