「7月5日ってED75の日らしいけど、どういう意味なんだろう」って思って調べている方、けっこう多いんじゃないでしょうか。
この記事を読めばED75の日の語呂合わせの由来から、主役であるED75形電気機関車の誕生秘話、そして2025年に迎えた引退までの流れがひと通りわかるようになっています。
鉄道好きの方はもちろん、たまたま目にした数字の並びが気になった方にも、楽しんでもらえる内容にしたつもりです。
ED75の日の基本情報をおさらい
まず結論からお伝えするとED75の日は7月5日に「ED75」という数字をそのまま当てはめた語呂合わせの記念日です。
なぜ7月5日なのかという素朴な疑問がすっきり解消すると思います。
なぜ7月5日なのか
数字の並びを見てもらうとわかりやすいんですが7月5日は「7」と「5」の組み合わせですよね。
そこにED75形電気機関車の形式番号「75」をそのまま重ねたのがこの記念日の成り立ちだと考えられます。
実際、鉄道ファンも7月5日を「ナナゴの日」と呼んで、この日にちなんだ撮影や投稿をする様子が見受けられました。
「公式に制定された記念日」というよりは鉄道ファンのあいだで自然発生的に広まった通称的な記念日という位置づけと捉えるのが自然かなと思います。
あくまで推測なんですが、語呂合わせのわかりやすさが後押しして、SNSなどを通じて浸透していったんじゃないでしょうか。
ファンのあいだでの広がり方
Nゲージの模型を紹介するブログや鉄道写真を投稿するブログなど、7月5日になると「本日はED75の日」と書き添える投稿がちらほら見られます。
こういう小さな習慣って意外と根強く続くものですよね。
個人的にはこういうファン発信の記念日って公式のものより愛着が湧くというか、じわじわ広がっていく感じが好きだったりします。
#ED75の日
— kuro (@kuro18845187) July 5, 2025
平成初期の頃、夜通し開いていた福島駅での402レ。
5665レも編成がカラフルでした。 pic.twitter.com/38Dy3yMUmB
ED75という数字の由来を深掘り
ここではそもそも「75」という形式番号がどこから来ているのかを掘り下げます。国鉄の電気機関車の命名ルールを知ると、ED75の日がぐっと身近に感じられるはずです。
形式記号ED75の意味
国鉄の電気機関車の形式は、動軸数や電気方式を表すアルファベットと数字の組み合わせで決まっています。
「E」は電気機関車、「D」は動軸が4つあることを示す記号で続く数字は交流専用機に割り当てられた番号帯のなかで区分されたものです。
つまり75という数字自体に特別な意味があるというより、開発順に割り振られた形式番号のひとつという理解が正しいですね。
半導体技術がもたらした転機
ED75の開発背景を調べていて印象深かったのが交流電気機関車の制御方式の進化スピードです。
1954年に試作車が完成してからわずか9年後の1963年には半導体を用いた制御方式のED75形が完成しています。
世界的にも開発途上だった技術が、これほど短期間で実用化まで至ったのは、けっこう驚きだなと思いました。
ED75形電気機関車の誕生秘話
ED75形が生まれた背景と技術的な特徴を紹介します。
数字の語呂合わせの裏に実はしっかりした技術史があることが伝わればうれしいです。
誕生の経緯と初期の役割
ED75形は1963年、常磐線の平駅(現・いわき駅)までの交流電化開業に合わせて登場した電気機関車です。
それまで活躍していたED71形の後継として、広い運用範囲に対応できる汎用性の高さを重視して設計されました。
1957年には北陸本線で世界初となる交流60Hzの営業運転を実現していて、その延長線上にED75形の完成があったと言えそうです。
制御方式の工夫と番台ごとの進化
技術的な見どころとしてはシリコン整流器と磁気増幅器を組み合わせた低圧タップ制御を採用した点が挙げられます。
この方式は無電弧・低電圧タップ切換とも呼ばれていて、電気的な粘着力の問題を解決する工夫だったようです。
0番台から始まり300番台、500番台、700番台、1000番台と用途に応じて細かく区分されていて北海道向けの試作機や九州の60Hz対応機、東北の日本海側向けに耐塩害対策を施した700番台など、地域ごとの事情に合わせて改良が重ねられてきました。
1963年から1976年までの間に302両が製造されたというのはなかなかの規模ですよね。
全国での活躍と引退までの歩み
ED75形が実際にどんな路線や列車で活躍してきたのか、そして最終的にどう引退を迎えたのかを時系列で見ていきます。
東北から九州まで広がった運用範囲
ED75形は東北本線や常磐線を中心に寝台特急や急行列車、高速貨物列車まで幅広く牽引してきました。
北海道向けの試作機や九州地区専用の300番台も製造されていて、事実上の標準型として全国に展開していたことがわかります。
1980年代以降はEF81形の運用拡大や客車列車の削減、電車化・気動車化の流れを受けて徐々に活躍の場を狭めていったんですね。
2025年、形式消滅という節目
ここが個人的にいちばん印象に残ったポイントなんですがED75形は2025年9月13日付けで最後の車両が除籍され、形式そのものが消滅しています。
2025年8月には仙台車両センターで「ありがとうED75!カウントダウンお別れ会」というイベントも開催されていて、最後まで多くのファンに惜しまれながらの引退だったようです。
ちなみに引退直前の2025年7月に投稿されたファンブログでは「来年の7月5日には1両も現存していないのかもしれません」という予感めいた言葉が綴られていてまさにその通りになってしまったのが少し切ないですね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 登場年 | 1963年(昭和38年) |
| 製造両数 | 302両 |
| 主な用途 | 交流電化区間の旅客・貨物列車牽引 |
| 除籍年月日 | 2025年9月13日 |
| 通称 | ナナゴ |

ファンとして向き合ったED75の日
ここは少し個人的な視点も交えてED75の日をどう楽しめばいいかを考えてみます。
正直なところ、私自身が撮り鉄というわけではないんですが、鉄道関連の記念日を調べる仕事をしていると、こういう語呂合わせの記念日にはついつい愛着が湧いてしまいます。
ざっくりした感じで言うと、鉄道ファンの記念日文化って形式番号や運転開始日にちなんだものが多くて、ED75の日もそのひとつなんだろうなと思います。
7月5日が近づくと、SNSで撮影会の予定を投稿するファンの姿もちらほら見かけましたし、こういう草の根的な盛り上がりが続いていくのは素敵だなと感じています。
とはいえ、2025年に形式消滅を迎えてしまったので今後のED75の日は現役車両を撮るというより、保存機を訪ねたり過去の写真を振り返ったりする日に変わっていくのかもしれません。
小樽市総合博物館や鉄道博物館には静態保存機が展示されているので実物を見たい方はそちらを訪れるのもいいですね。
この記事のまとめ
最後に今回わかったポイントを整理しておきます。
- ED75の日は7月5日にED75の形式番号を当てはめた語呂合わせの記念日
- 日本記念日協会への正式登録は確認できておらず、ファン発祥の通称的な記念日と考えられる
- ED75形電気機関車は1963年に常磐線の交流電化に合わせて誕生した
- 制御方式の工夫や地域ごとの番台区分など、技術的にも見どころが多い形式
- 2025年9月13日付けで最後の車両が除籍され、形式そのものが消滅した

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