毎年5月7日は「EF57の日」として鉄道ファンを中心に語り継がれる特別な日です。
この記事を読めばEF57の日の由来から、この電気機関車が持つ波乱万丈な歴史までまるごと分かります。
「なんで5月7日なの?」と気になった方、その疑問にもしっかりお答えしますね。
EF57の日とは何か
「5と7」をそのまま日付に
EF57の日は電気機関車の形式番号「EF57」の5と7をそのまま5月7日に当てはめたことで生まれた記念日です。
いわゆる「語呂合わせ型」の記念日で公的な制定機関による正式な祝日ではありません。
JR東日本のオンラインショップ(JRE MALL)のSNSアカウントでも、「5月7日は#EF57の日」として紹介されているほか、鉄道ファンのブログや模型愛好家のコミュニティでも毎年この日に合わせてEF57の話題が盛り上がります。
自分の感覚で言うとこういう語呂合わせで生まれた記念日ってわりと好きなんですよね。
形式番号をそのまま日付にするだけで、特定の車両への愛着がちゃんと伝わってくる。なんか、いいなと思います。
EF57形電気機関車の誕生
戦前の東海道本線を走るために生まれた
EF57形電気機関車は1940年(昭和15年)に鉄道省が製造した旅客列車牽引用の直流電気機関車です。
当時、東京〜大阪間の旅客需要が急増していた東海道本線では、列車の増発が急務でした。
その対応としてそれまで運用されていたEF56形の出力を大幅に強化する形で登場したのがEF57です。
面白いのは最初の1号機はもともと「EF56形の13号機」として製造される予定だったという話。
ところが、新しく開発された強力な主電動機「MT38」を搭載することになり、定格出力が1,350kWから1,650kWへと大幅アップ。
それだけのスペック向上があれば新形式にするのは当然ですよね。それが「EF57」という形式の始まりでした。
全部で15両 製造期間は戦中にまたがる
1940年の1号機に始まり、1943年(昭和18年)までに計15両が製造されました。
製造を担ったのは日立製作所と川崎車輛の2社です。
太平洋戦争が激化する時代に製造されたにもかかわらず、良質な材料と丁寧な工作によって仕上げられ、当時の優秀機として完成されたと記録されています。
戦時下のものだからといって質を落とさなかった、というのは意外と知られていない事実かもしれません。
見た目の特徴と「あの姿」の理由
前に突き出たパンタグラフと長いデッキ
EF57を語るうえで絶対に外せないのが前面から飛び出したパンタグラフと長いデッキ構造です。
この「厳つい」とも「精悍」とも表現されるスタイルは、最初から狙ってデザインされたものではありません。
2号機以降はパンタグラフ2基を車体両端に寄せる設計に変更されましたが、この段階ではまだそれほど前方に突き出ていたわけではなかったんです。
KATO EF57
— 【ま模エ】まーくん模型工廠︎︎︎︎【二休者】 (@maamodelnn51) January 31, 2026
無事入線しました pic.twitter.com/VcFekjYXFA
パンタグラフが飛び出した本当の理由
あのトレードマークともいえる「前突き出しパンタグラフ」が生まれたのは、1949年(昭和24年)の東海道本線静岡地区電化がきっかけです。
静岡県内には蒸気機関車が走っていた時代に建てられた跨線橋やトンネルが多く残っていました。
電化に伴ってEF57を走らせようとしたところ、これらの構造物の高さ制限にパンタグラフが引っかかることが発覚。
構造物を全部作り直すより、当時製造済みの15両全車のパンタグラフを改造する方が現実的という判断から、パンタグラフを前方に450mm移動させ、高さを100mm下げる改造が行われました。
要するに「あのカッコよさ」は機能の必要性から生まれたもので、見た目のためではないんです。
それを知ってから改めてEF57を見るとまた印象が変わってきます。
ちょっと格好良さが増す感じ、伝わりますかね。
EF57が駆け抜けた路線と歩み
東海道本線から東北本線へ
製造当初は全機が沼津機関区に配置され、東海道本線の特急「つばめ」や「はと」といった最上位の優等列車を引く花形機関車として活躍しました。
その後、1952年(昭和27年)以降に後継のEF58形が大改良を受けて大量増備されるようになると出力の面でEF57は優等列車の牽引機の座をEF58形に譲ることになります。
1956年(昭和31年)の東海道本線全線電化を前にEF57は高崎・上越線へと活躍の場を移します。
さらに1960〜61年にかけては東北本線の宇都宮機関区に転属し、上野〜黒磯間の旅客列車牽引に従事。
急行「津軽」や「八甲田」なども引いたとされています。
最後の運用と引退
1975年(昭和50年)の山陽新幹線博多開業で余剰となったEF58形が宇都宮に転入してくると、EF57の廃車が進み始めます。
1977年(昭和52年)の正月臨時列車牽引を最後にほぼ運用を終了。
1978年(昭和53年)9月までに全機が廃車となりました。
最終運用は昭和52年1月28日、日光線への団体列車牽引(13号機)だったという記録もあります。
現在も会える唯一の保存機
宇都宮駅東公園に静態保存
全15両のうち廃車後に解体を免れたのは7号機のみです。
宇都宮駅東公園のEF57 7を訪問。柵に囲まれていて状態は良好。 pic.twitter.com/QCqnsl02
— シュウ (@syunikki) December 29, 2012
7号機は昭和17年(1942年)9月30日に日立製作所で製造され、廃車になるまでの36年間で約346万キロを走行したという記録が残っています。
これは地球を87周した距離に相当するそうです。
現役を退いた後は昭和55年(1980年)8月から、栃木県宇都宮市の宇都宮駅東公園にて屋根付きの施設で静態保存されています。
「電気機関車EF577号機保存会」によって春と秋に年2回の一般公開が行われていて、間近でその勇姿を見ることができます。
自分はまだ実際に見に行ったことがないんです、保存状態がとても良くて「今にも動きそう」という声もあるほどみたいです。
いつか行ってみたいと思っています。
まとめ
- 5月7日は「EF57の日」はEF57の5と7をそのまま5月7日に当てはめた語呂合わせ由来の記念日で、鉄道ファンを中心に親しまれています
- 誕生は1940年で東海道本線の旅客列車増発を目的に鉄道省が製造した直流電気機関車で、1943年までに計15両が完成
- あの「飛び出しパンタ」は改造の産物
1949年の東海道本線電化の際、沿線構造物との干渉を避けるためパンタグラフを前方に移設したことで生まれたスタイル - 東海道→上越→東北と活躍の場を移し、1978年までに全車引退
- 唯一の保存機は宇都宮駅東公園の7号機。年2回の一般公開で現在も見学可能
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