この記事では6月2日が「EF62の日」と呼ばれる由来と国鉄EF62形電気機関車の歴史や特徴について詳しくお伝えします。
「今日は何の日?」
と気になって調べてきた方にも、鉄道が好きな方にも読んでよかったと思ってもらえる内容になっているはずです。
EF62の日とは何か
「EF62の日」は6(ろく)2(に)=6月2日という語呂合わせから来ている記念日です。
6月2日という日付に、EF62形電気機関車の形式番号をそのまま当てはめたものですね。
公的な記念日として日本記念日協会などに登録されているわけではありませんが、鉄道ファンのあいだでは「今日はEF62の日!」と話題になるくらい、親しみを持って語られています。
6月2日はほかにも「横浜港開港記念日」「本能寺の変・裏切りの日」「ローズの日」など、語呂合わせや歴史的な出来事に基づく記念日が多い日付です。
その中でも鉄道ファンにとってはEF62の話が熱く盛り上がりやすい日でしょう。
EF62形電気機関車とは
誕生の背景 碓氷峠という「壁」
EF62形が生まれた理由を理解するにはまず碓氷峠の存在を知る必要があります。
信越本線の横川〜軽井沢間(群馬・長野県境)にあるこの区間は、最大勾配66.7パーミルという、日本の幹線鉄道では並外れた急坂が続く場所でした。
ざっくり言うと1000メートル進むごとに66.7メートルも高低差があるということです。
これがいかに急かというと通常の鉄道は勾配が10パーミル前後のことが多いので、その約6〜7倍の急坂というわけです。
この難所を越えるために明治時代からラックレールに機関車の歯車を噛み合わせる「アプト式」が使われていました。
でも1950〜60年代の高度経済成長期になると、輸送量が爆発的に増え、アプト式の限界が見えてきます。
そこで粘着運転(通常のレールと車輪の摩擦力だけで走る方式)への転換が決まったのです。
1962年 試作1号機の誕生
こうした背景のもと1962年(昭和37年)に試作機であるEF62の1号機が完成しました。製造したのは川崎車輛・川崎電機製造です。
形式名の「62」はこの製造年である1962年に由来していると言われています。つまり「6月2日=EF62の日」という語呂合わせは、偶然とはいえなかなか面白い一致ですよね。
その後、1963年から1969年(昭和44年)にかけて量産車が次々と製造され、最終的に54両が世に出ました。
EF62形の技術的な特徴
碓氷峠を越えるための設計
EF62形は信越本線の高崎〜長野間(上野まで含む)を直通運転できる本務機として開発されました。
碓氷峠区間ではEF63形(専用補機)と組み合わせて運転するため、引張力や速度特性をEF63と揃えた設計になっています。
これ、意外と重要なポイントで。
片方だけ強く力をかけると連結器や車両にダメージが出るんです。なので「同じ力・同じ速度で動ける」という協調性が求められたという感じです。
他に類を見ない3軸台車
EF62形のもう一つの特徴が3軸ボギー台車(DT124形)を採用したCo-Co軸配置という構造です。
1960年代以降の国鉄機関車の中ではこれを採用したのはEF62形だけ。
なぜかというと、信越本線の路盤(線路の土台)が比較的弱かったため、軸重を16トンに抑える必要があり、この台車が軽量化に最も適していたからです。
重さも徹底的に絞られていて、試作機の1号機は92トン、量産機は96トンに収まっています。
屋根部分にはFRP(繊維強化プラスチック)をほぼ全域に採用するというかなり大胆な手法も使われており、これは当時の鉄道車両としては革新的な取り組みでした。
電動カム軸制御器の先駆け
あまり知られていないかもしれませんが、EF62形は国鉄機関車として初めて電動カム軸制御器を本格採用した形式です。
このしくみはその後のEF64やEF65にも引き継がれ、国鉄直流電気機関車の標準技術になりました。
EF62形は技術的な「先駆者」でもあるんです。
EF62形とEF63形 碓氷峠の名コンビ
「本務機」と「補機」の役割分担
EF62形とEF63形はよくセットで語られますが役割はまったく異なります。
EF62形は本務機として横川より前後の区間(高崎や長野方面)まで直通で列車を引っ張る機関車でした。いっぽうEF63形は補機(碓氷峠専用)として、横川〜軽井沢間でだけ後ろから押す役割を担いました。
EF63形は「峠のシェルパ」とも呼ばれ、電磁吸着ブレーキや過速度検知装置など、碓氷峠の急坂を安全に降りるための特殊装備を山ほど積んでいます。
EF62形も発電ブレーキを装備していましたがEF63ほどの重装備ではなく、あくまで「一般線区でも走れる機関車」として設計されていました。
変則三重連という運転形態
碓氷峠を列車が越えるときの編成は前方にEF62(本務機)、後方(横川寄り)にEF63を2両という、いわゆる変則三重連が基本でした。
下り列車(横川→軽井沢、勾配を登る)では、EF63が列車の最後尾から後押しするかたちになります。
EF62+列車+EF63重連という編成で旅客列車なら360トン、貨物なら400トンまで牽引できたといいます。
これでアプト時代と比べて運転時間も大幅に短縮され、登坂に必要だった時間は客車で17分(下り)・24分(上り)にまで縮まりました。
アプト式時代は42分かかっていたのでいかに劇的な改善だったかわかりますね。
EF62形のその後 転用、引退、保存
碓氷峠貨物廃止で「余り者」に
1984年(昭和59年)2月のダイヤ改正で碓氷峠越えの貨物列車が廃止されました。これによってEF62形の多くが余剰となり、東海道・山陽本線での荷物列車牽引に転用されることになります。
東海道・山陽本線は平坦区間が主で、もともと山岳路線用に設計されたEF62形には定格速度が39km/hと低いというハンデがありました。
荷物列車自体も1986年(昭和61年)に廃止されてしまい、下関に転属したグループはほぼ全車がJR発足前に廃車されてしまいます。
JR東日本へ 最後の6両
国鉄分割民営化のタイミングでJR東日本に引き継がれたのはわずか6両(EF6241・43・46・49・53・54)だけでした。
夜行急行「能登」の牽引などに使われ、碓氷峠廃止まで活躍を続けます。
1997年(平成9年)の横川〜軽井沢間廃止にあたっては、「さよなら碓氷峠号」や「スーパーエクスプレスレインボー」といった記念列車を牽引。感動的なラストランを飾りました。
最終的に1999年(平成11年)1月4日付で54号機が廃車となり、EF62形は形式消滅しています。
保存機
EF62形は現在、群馬県安中市にある碓氷峠鉄道文化むらで保存されています。
1号機(茶色のぶどう色2号塗装・屋外保存)と54号機(屋内保存)の2両が展示されており、実際にその姿を見ることができます。
往年の峠越えに思いを馳せながら見るとまた違った感慨があるはずですよ。
都市伝説では無い方の、EF62。
— かがやくごったん (@e7_sg_gotsu) December 31, 2025
碓氷峠鉄道文化むらに保存されている54号機。 pic.twitter.com/BQZsvKa9CC
まとめ
- 6月2日は「EF62の日」
形式番号62を6月2日に当てはめた語呂合わせが由来 - EF62形は1962年に試作機が誕生、1963〜1969年にかけて量産され計54両が製造された
- 碓氷峠(66.7パーミル)の粘着運転化にあわせて設計された本務機で、補機EF63と協調して峠を越えた
- 3軸台車、FRP屋根、電動カム軸制御器など技術的に先進的な機関車だった
- 1984年の貨物廃止後に余剰化、1999年に形式消滅
- 現在は碓氷峠鉄道文化むら(群馬県安中市)で1号機・54号機を保存展示中
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