EF63の日とは?由来や歴史を解説【6月3日】

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この記事を読めば6月3日が鉄道ファンにとって「EF63を語る日」になった理由と、この機関車の知られざる歴史がまるごとわかります。

毎年6月3日になるとSNSでは鉄道ファンたちが「ロクサン」への愛着をあふれさせる投稿をする。そんな光景、なかなかほほえましいと思いませんか?

とはいえ、EF63という機関車の歴史そのものは日本の鉄道史に刻まれた本物のドラマ。この記事では語呂合わせの背景から機関車の正体まで、しっかり掘り下げていきます。

目次

「EF63の日」ってどういう日?

6月3日が「EF63の日」と言われる理由は形式番号の「63(ろくさん)」を「6(ろく)→6月・3(さん)→3日」とそのまま当てはめた語呂合わせに由来します。

公式な記念日ではない点には注意が必要ですが鉄道ファン界隈ではこういった語呂合わせ由来の記念日が自然と根付くことはよくあることです。

実際、6月3日はすでに「測量の日」(国土地理院)や「ローソンの日」(創業語呂合わせ)などがある日ですが、鉄道ファンにとってはEF63を思い出す特別な日として認識されていて、毎年この日になるとSNSでロクサン愛好者の投稿がにぎわいます。

そもそもEF63とはどんな機関車?

EF63は群馬県・横川駅と長野県・軽井沢駅のあいだ「碓氷峠区間(横軽)」だけのために造られた、世にも特殊な補助電気機関車です。

「峠のシェルパ」という愛称、あるいは形式番号から「ロクサン」と呼ばれ、鉄道ファンに深く愛された存在です。運転整備重量は108トンと国鉄の新性能直流電気機関車のなかで最大の重さを誇っていました。

EF63誕生の背景 碓氷峠という「難所」

EF63が生まれた理由を知るにはまず碓氷峠という場所の特殊性を理解する必要があります。

1000mで67m上がる「超急勾配」

信越本線の碓氷峠区間は最大で66.7パーミル(1000m進むごとに約66.7m上がる)という急勾配を持っていました。角度にすると約3.8度。

数字だけ見るとなんでもなさそうですが、車輪とレールの接触面積が極めて小さい鉄道にとって、この勾配はほとんど「壁に近い坂」と言っても過言ではないんです。

ですから明治期の開業(1893年)以来、この区間ではレールの間に歯車状の「ラック」を設けて車輪を噛み合わせて走る「アプト式」を採用していました。

日本初のアプト式鉄道として、鉄道史的にも非常に重要な場所です。

アプト式から「粘着運転」への転換

経済の高度成長期に入ると、国鉄は主要幹線の輸送力増強を急ぎます。

碓氷峠のアプト式は安全ではあったものの、速度が遅く輸送量も限られていて。そこで、ラックを使わず車輪の摩擦力だけで走る「粘着運転」方式の新線への切り替えを決定しました。

ところが粘着運転への切り替えは簡単ではありません。

最急勾配66.7パーミルを車輪の摩擦力だけで登り降りするためには、従来の機関車では到底対応できなかったので、まったく新しい特殊機関車の開発が必要になりました。

そうして生まれたのがEF63形です。

EF63の登場と「ロクサン」の歩み

1962年 試作機が生まれた年

EF63の先行試作機(1号機)は1962年5月に東京芝浦電気(現・東芝)で製造されました。

EF62形1号機とともに各種試験運転に投入され、その試験結果をもとに量産機の設計が整えられていきます。

試作機は量産機と内部機器配置などが異なっていて、中間台車の速度検知用遊輪が分岐器通過時に浮き上がるなどの不具合もあり、1963年にかけて量産機と仕様を統一する大規模な改造が施されました。

1963年7月15日。営業運転スタートの日

1963年7月15日、横川〜軽井沢間の粘着運転新線が開通し、EF63は本格的な営業運転を開始します。

同年9月30日にアプト式が廃止となり、翌10月1日には全面的に粘着運転へ切り替え完了。碓氷峠の歴史が大きく変わった瞬間でした。

1974年までに23両が製造され、1975年の事故廃車2両の代替として1976年にさらに2両が追加製造。最終的に全25両が碓氷峠専用機として活躍しました。

碓氷峠区間だけを生きた「孤高」の機関車

EF63の特筆すべきところはこの機関車が文字通り碓氷峠以外で使われることがなかった点です。

他の機関車形式は転用されることも多いのですが、EF63は碓氷峠区間に特化しすぎた特殊装備を持っていたために他線区への転用が不可能でした。

電磁吸着ブレーキ、過速度検知装置、自連・密連両用の双頭連結器、協調運転装置……数え上げるとキリがないほど碓氷峠専用の装備が山積みでそれが逆に「碓氷峠の象徴」としての存在感を高めていたのだなと感じます。

「峠のシェルパ」と呼ばれた理由

全列車に連結される「頼れる存在」

EF63は横川〜軽井沢を通過するすべての列車に例外なく横川方へ連結されました。

客車も電車も貨車も気動車も、この区間を通る限りはEF63(常に2両1組)なしに走ることができません。まさに「峠の番人」でした。

シェルパとはヒマラヤ登山のガイド・支援者のことですが、どんな列車も確実に峠を越えさせるという姿が、山のシェルパとぴったり重なったわけです。

電車との「協調運転」という技術の凄さ

EF63には169系・189系・489系といった電車と協調して制御する機能も装備されていました。

この「協調運転」によって最大12両編成の列車が碓氷峠を通過できるようになり、それまで最大8両だった輸送量が一気に拡大されたんです。

要するに、EF63は「機関車として電車を押す」だけでなく「電車の制御システムと連動して一体の列車として動く」という、当時の最先端技術を備えていたわけです。

1997年 「さようならロクサン」の日

長野新幹線開業が引き金に

1997年10月1日の長野新幹線(現・北陸新幹線)開業に伴い、横川〜軽井沢間の在来線区間は前日の9月30日限りで廃止となりました。

EF63は瞬時に用途を喪失し、翌1998年に全車廃形式となります。

この廃止を前に、1997年の2〜6月にかけてEF6318・19・24・25の4両が初期の「ぶどう色2号」(茶色)に塗り替えられ、往年の姿を復元するというはなむけが送られました。

最終列車の花道

最後の営業列車「あさま37号」の補機を務めたのは、EF633(青)とEF6319(茶)の2色コンビ。

最終日当日の朝に急遽組まれた組み合わせで青と茶色のEF63が並ぶ姿はその場にいた人々の目に深く焼き付いたことでしょう。

9月30日の23:55に最後の機関車回送列車が横川駅に到着し、碓氷線104年の歴史が幕を閉じました。

EF63に会いに行ける場所

碓氷峠鉄道文化むら

群馬県安中市の碓氷峠鉄道文化むらではEF6311・12・24・25の4両が動態保存。

しかも日本でここだけ、本物のEF63を実際に運転できる体験プログラムが用意されています。

重量108トンのリアル電気機関車をあなた自身の手で動かせるというのは、思った以上にすごい体験だと思います。

運転回数に応じて「機関士見習」「補助機関士」「本務機関士」の腕章がもらえるシステムも、なんかいいですよね。

軽井沢駅・横川駅前でも保存機を見られる

軽井沢駅構内(しなの鉄道)にはEF632が保存されていて、横川駅前では最終列車を牽引したEF633の動輪が保存展示されています。

まとめ

  • 「EF63の日」は6月3日。形式番号「63」の語呂合わせで鉄道ファンのあいだに定着した、非公式の記念日
  • EF63は1963年〜1997年まで群馬・横川〜長野・軽井沢間の碓氷峠専用の補助電気機関車として活躍
  • 最大66.7パーミルの急勾配を乗り越えるため、電磁吸着ブレーキや過速度検知装置など碓氷峠専用の特殊装備が満載
  • 「峠のシェルパ」「ロクサン」の愛称で親しまれ、横川〜軽井沢間を通過するすべての列車に連結されていた
  • 試作機は1962年製造、営業運転開始は1963年7月15日
  • 1997年9月30日に碓氷峠区間廃止とともに現役引退、翌年に全車廃形式
  • 現在は碓氷峠鉄道文化むらに7両が保存されており、4両が動態保存で実際に運転体験が可能

6月3日にはぜひ「ロクサン」のことを思い出してみてください。

碓氷峠という特別な場所を、35年以上にわたって守り続けたこの機関車の姿。今も群馬の地で息づいています。

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