この記事を読めば1880年6月12日にMLBで史上初の完全試合が達成された背景や投手、試合の詳細がすべてわかります。
「完全試合って聞いたことあるけど、そもそも最初に達成したのは誰なの?」
って思ったことはないでしょうか。
実は6月12日は野球の歴史において特別な記念日なんです。
完全試合とは何か?
そもそも「完全試合」って何なのか簡単に押さえておきましょう。
定義と達成条件
完全試合(パーフェクトゲーム)とは投手が相手チームの打者を一人も出塁させず、9イニング以上を投げ切って勝利する記録のことです。
安打はもちろん、四球・死球・失策によっても走者を出してはいけない、という超厳格なルールがあります。
要するに「27人全員をアウトにして勝つ」。
それだけのことなんですがこれがとんでもなく難しい。MLBの長い歴史の中で、公式に認定された完全試合はわずか24回しかありません。
ノーヒットノーランとの違い
ちなみに完全試合はノーヒットノーランよりもさらに上位の記録です。
ノーヒットノーランは「安打を許さなければよい」ので、四球などで走者を出しても成立しますが、完全試合は走者を一人も出せません。
つまり完全試合はノーヒットノーランの完全上位版ということになります。
6月12日がMLBにとって特別な日である理由
1880年6月12日、メジャーリーグ史上初の完全試合が達成されました。
それが今日6月12日を野球の歴史的記念日として位置づけている理由です。
試合の概要
試合が行われたのはマサチューセッツ州ウスター(Worcester)にあるウスター農業博覧会場。ナショナルリーグのウスター・ルビーレッグスが、クリーブランド・ブルースと対戦しました。
スコアは1対0。
唯一の得点はクリーブランドの二塁手フレッド・ダンラップが送球を弾いてしまったエラーによるもので、厳密には「相手のミスで入った1点」でした。
観客数は約700人。試合時間はわずか1時間30分という、今では考えられないようなコンパクトな試合だったんです。
達成した投手・リー・リッチモンド
この偉業を成し遂げたのがジョン・リー・リッチモンド(J.Lee Richmond)、当時わずか23歳の左腕投手です。
1857年5月5日、オハイオ州シェフィールド生まれ。驚くことに、彼はプロ野球選手と大学生を掛け持ちしていました。
ブラウン大学(Brown University)に在籍しながらウスターのチームで投げていたリッチモンドは完全試合の前日に卒業式の祝賀行事に出席し、夜通し楽しんだあと翌朝は大学のクラス対抗野球試合にも参加しています。
その後わずかな仮眠を取り、11時30分の電車に乗ってウスターへ向かい、歴史的な偉業を達成しました。…いや、正直それで完全試合できるの?ってちょっと信じられない話ですよね。
なんかすごすぎる。
試合の中で最大のピンチ
27人全員を抑えたと聞くと「余裕だったの?」と思うかもしれないですが、実はけっこうギリギリの場面もありました。
5回、クリーブランドのビル・フィリップスが単打性の打球を放ちましたが、右翼手ロン・ナイトが素早くボールを処理し、一塁に送球してアウトにした場面。
このアウトがなければ完全試合は幻に終わっていた可能性があります。
リッチモンドという人物の素顔
ここが個人的にすごく印象深かった部分なんですがリッチモンドってただの野球選手ではなかったんです。
二刀流どころか三足のわらじ
彼は1880年シーズンに32勝32敗、防御率2.15、590.2イニング登板という驚異的なスタッツを残しています。
当時の野球はとにかく投手の登板数が多く、83試合中66試合で先発し、さらに8試合でリリーフ登板もこなしました。
現代では絶対に考えられない酷使っぷりですが当時はそれが普通だったとのこと。
医師・教育者へ転身
その後リッチモンドは1883年にニューヨーク市立大学で医学博士号を取得し、医師として活動したのち、教育者に転身。
母校オハイオ州のトレド大学で教鞭を執り、最終的には学生部長(Dean of Men)まで上り詰めています。
プロ野球で歴史に名を刻み、医師として地域に貢献し、大学で人を育てる。
…そういう人生もあるんだなと思ってなんか少しじんわりしました。
「完全試合」という言葉すら存在しなかった
実はこれ、あまり知られていない意外な真実なんですが、1880年当時、「完全試合(パーフェクトゲーム)」という概念そのものが存在しませんでした。
ですから試合直後の報道でも「パーフェクトゲーム達成!」という大々的な扱いにはならず、地元紙『ウスター・イブニング・ガゼット』が「記録に残る最高の試合」と報じた程度でした。
後の時代になってようやくその偉大さが正式に認められることになります。
初の完全試合から始まったMLBの歴史
6月12日を境に完全試合の歴史は動き始めます。
わずか5日後に第2号
驚くべきことにリッチモンドの完全試合からたった5日後の6月17日、プロビデンス・グレイズのモンテ・ワードが第2号完全試合を達成しました。
ワードは当時20歳、最年少での達成記録でもありました。
しかも、最初の3つの完全試合(1880年ウスター、1880年プロビデンス、1904年ボストン)はすべてニューイングランド地方で達成されているという事実も面白いところですね。
次の完全試合まで24年間の空白
第2号のあと、次の完全試合が生まれるまでには実に24年もの月日がかかります。
1904年5月5日、サイ・ヤング(Cy Young)がボストンでアメリカン・リーグ初の完全試合を達成するまで、この記録は更新されませんでした。
そういう意味で1880年6月12日がいかに「先駆けすぎた偉業」だったかがわかります。

現代への連鎖
2012年シーズンには1年間で3回の完全試合が達成されるなど、「完全試合は連鎖する」なんてことも言われているみたいです。
現時点でMLB通算24回、日本プロ野球では16回の完全試合が公式記録として認定されています。
まとめ 6月12日と完全試合の歴史
- 1880年6月12日、リー・リッチモンド(ウスター・ルビーレッグス)がクリーブランド・ブルースを相手に、MLB史上初の完全試合を達成
- リッチモンドは当時23歳のブラウン大学生で卒業式翌日に偉業を成し遂げた
- 試合は1対0、観客約700人、所要時間わずか1時間30分という記録
- 当時「完全試合」という概念は存在しておらず、後世になって正式に歴史的偉業として認定された
- 5日後の6月17日にはモンテ・ワードが第2号を達成し、その後24年間は誰も達成できなかった
- MLB公式では現在まで計24回のみ認定されており、野球史上最も希少な記録のひとつとされている
6月12日って野球ファンでなくても「ちょっとすごい日だな」と感じてもらえる日なんじゃないかと思います。
140年以上前に一人の大学生が達成した奇跡の試合が、今も野球の教科書に刻まれているわけですから。
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