この記事を読めば「ごいしの日」がなぜ5月14日なのか誰が制定したのか、その背景にある碁石文化の深い歴史まで、すっきり理解できます。
「5月14日ってなんの日?」って調べたとき、ごいしの日という言葉に出会った方は多いはず。
でも、なぜ碁石に記念日があるの?と思いませんか?
実はその裏には日本のある地方が守り続けてきた、とても希少な伝統工芸の話が関わっていて個人的にはかなり胸が熱くなる背景だったりします。
ごいしの日とは?
5月14日は「ごいしの日」として一般社団法人・日本記念日協会によって2017年(平成29年)に正式に認定・登録された記念日です。
語呂合わせによる由来
日付の由来はシンプル。
「ご(5)い(1)し(4)」という読み方が「碁石(ごいし)」に対応している語呂合わせです。
5月14日をそのまま数字で読むと「ごいし」になる、というわけですね。
記念日あるあるといえばそうなんですが、これがなかなかキレイに一致していて個人的に感心しました。
誰が制定したの?
制定したのは宮崎県日向市に拠点を置くミツイシ株式会社(旧・黒木碁石店)です。
ミツイシは日本で唯一のはまぐり碁石の産地である日向市においてはまぐり碁石の製造・販売を手がける会社で、1917年(大正6年)に創業者・黒木宗次郎によって設立されました。
ごいしの日が制定された2017年はちょうどミツイシの創業100周年にあたる年だったんです。
記念の年に記念日を制定する。なんかそういう節目感が好きだなと思いました。
制定された3つの理由
この記念日には語呂合わせ以外にも複数の背景があります。単なる企業PRではなく、地域文化の保存という切実な目的がそこにはあるんです。
①ミツイシ創業100周年を記念
2017年は黒木碁石店(現ミツイシ)の設立から、ちょうど100年目にあたる節目の年でした。
創業者・黒木宗次郎が「碁石を使うのは人であり、人は石と対話をする。石は天然の素材であると同時に、人の手によって作られる必要がある」という理念のもとで始めたはまぐり碁石の製造はその後も受け継がれてきました。
②日向市と熊野市のパートナーシップ協定
ごいしの日の制定には地域間連携の話も絡んでいます。
宮崎県日向市(白い碁石=はまぐり碁石の産地)と、三重県熊野市(黒い碁石=那智黒碁石の産地)が、2016年10月にパートナーシップ協定を締結したことが大きなきっかけのひとつ。
白と黒の碁石、それぞれの産地がタッグを組んだという話はなんというか碁盤のように対をなす美しさがありますね。
③碁石・囲碁文化の継承という目的
この記念日の本質的な目的は碁石と囲碁文化の普及・発展、そして技術の継承にあります。
後述しますがはまぐり碁石は現在、職人の数が極めて少なく絶滅危惧状態にある工芸品。
そのため、記念日という形で広く知ってもらう機会を作ることが文化継承の第一歩になっているんです。
はまぐり碁石の歴史
ごいしの日を深く理解するにははまぐり碁石がどのように生まれ、日向市がなぜ唯一の産地となったかを知っておくと面白いです。
原料は「チョウセンハマグリ」の半化石
日向市のはまぐり碁石の原料はチョウセンハマグリの貝殻で、しかも現生のものではなく、地層の中に埋まった「半化石」と呼ばれる状態のものです。
硬度が高くキメも細かいことから、最高品質の白碁石として長く知られてきました。
日向産のハマグリが碁石原料として注目されたきっかけは1800年代後半、越中富山の薬売りが日向の浜に珍しい貝が打ち上げられていることを大阪の業者に伝えたことだといわれています。
その後、大阪の碁石業者の番頭・森元次郎が岩脇村平岩(現・日向市)で半化石を採取し、船で大阪に送るようになります。
日向初の碁石工場を作った人物
地元・日向で碁石製造を始めたのは原田清吉という人物です。
森元次郎のもとで半化石採取に従事していた彼は大阪で数年間碁石製造を学んだのち、日向市財光寺に日向初の碁石工場を1908年頃に設立しました。
大阪の碁石職人・小川栄次郎との共同技術開発が後の日向はまぐり碁石の礎となっています。
ところが面白いのはそれまでは輸送面でのハンディもあり、市場ではほとんど注目されていなかったという点。
日向産の碁石が全国市場で認められるようになるのは大正時代以降のことなんです。思ったよりも最近の話で、ちょっと驚いた記憶があります。
大阪の生産消滅で「唯一の産地」に
かつては大阪でも農家の副業としてはまぐり碁石が製造されていました。
しかし徐々に大阪での生産が途絶え、日向市が日本で唯一の産地となりました。
原料となるハマグリは採りすぎによって国内での供給が難しくなっており、現在では産地の持続可能性そのものが課題になっています。
那智黒碁石とは?黒石の産地・熊野市
白いはまぐり碁石の産地・日向市と対になる形でごいしの日に関わっているのが三重県熊野市の那智黒碁石です。
遣唐使の土産品だったかもしれない石
那智黒石が文献に初めて登場するのは江戸時代の1839年(天保10年)に刊行された『紀伊続風土記』ですが、碁石原料としての歴史はさらに古く、遣唐使(619〜894年)が中国への贈り物にした「棋子」が那智黒石ではないかとも言われています。
あくまで憶測が入る話ですが、もしそうなら1000年以上の歴史を持つ素材ということになります。
黒色の秘密は炭素含有量
那智黒石が美しい黒色を持つのは多量の炭素を含んだ水性粘板岩(堆積岩)が噴出溶岩と接触してできた黒色硅質頁岩という独特の地質にあります。
他の産地では那智黒石ほど細工しやすく黒い岩質はなかなか見られないというのが、この石が今も珍重される理由のひとつです。
熊野市は明治に採掘が解禁
那智黒石は藩政の時代に一時採取が禁止されていましたが明治中期に禁止令が解かれて以降、硯や文鎮、碁石などに利用され始め、那智参詣の土産物として普及していきました。
碁石の原料として出荷されたのが商品展開の最初だったとされており、まず碁石ありき、という産業の歴史が面白いですね。
ごいしの日に関連するイベント
5月14日のごいしの日には産地・日向市のミツイシが毎年さまざまな取り組みを行っています。
記念初年(2017年)の特別企画
ごいしの日が認定された2017年5月14日にはミツイシが経営する「はまぐり碁石の里」(日向市平岩)で、ハマグリ料理の特別価格提供が行われました。
ハマグリ料理専門店「キッチンハマグリ」でのメニューや碁石キーホルダーなどが514円で提供されたほか、囲碁3点セットが5,140円の割引価格になりました。
さらに公式サイトでは、通常100万円以上する最高級碁石セットを514,000円という破格価格で1セット限定販売するという大胆な企画も実施。
514にこだわった価格設定が記念日らしくて印象的でした。

囲碁体験・文化普及イベント
ごいしの日には碁石の製作体験や囲碁教室といったイベントが開催されることもあるようです。
囲碁そのものに親しんでもらう機会を設けることで、碁石文化の裾野を広げるという、記念日本来の目的に沿った活動といえます。
まとめ
- 5月14日「ごいしの日」は「ご(5)い(1)し(4)」の語呂合わせが由来
- ミツイシ株式会社(宮崎県日向市)が制定し、2017年に日本記念日協会が認定
- 制定の背景にはミツイシ創業100周年の節目と、日向市・熊野市のパートナーシップ協定締結がある
- 日向市は日本唯一のはまぐり碁石産地でその歴史は明治時代にさかのぼる
- 那智黒碁石(三重県熊野市)と合わせて白黒一対の碁石文化を守る取り組みが続いている
- 目的は碁石・囲碁文化の発展・普及と技術の継承
記念日の裏にここまで濃い地域産業の歴史が詰まっているとは思っていなかった、というのが正直な感想です。
はまぐり碁石という工芸品が今もかろうじて続いていることの貴重さを、ごいしの日という入口から知ってもらえたら嬉しいですね。

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