この記事を読めば8月13日が「函館夜景の日」と呼ばれる理由や、その裏にある本当の歴史がわかります。
「なんとなく語呂合わせらしい」
というところまでは知っていても、誰が何のために作った記念日なのか意外と説明できない人が多いんじゃないでしょうか。
実はこの記念日、思っていた以上にドラマチックな始まり方をしていて調べてみるとちょっと感動してしまいました。
函館夜景の日とは何の日なのか
まずはこの記念日そのものの概要から整理していきますね。
8月13日に制定された記念日の概要
函館夜景の日は函館の夜景の美しさをもっと多くの人に知ってもらおうという目的で作られた記念日です。
1991年(平成3年)に函館夜景の日実行委員会という組織によって制定されました。
この実行委員会は函館青年会議所や函館観光協会などが中心になっていて、当時の理事長だった福西秀和氏がまとめ役だったと紹介されています。
ただのイベント告知の日というより、市民の地元愛を確認する日、という色合いが強い記念日だなと感じました。
函館山からの夜景が世界三大夜景に数えられる理由
函館山から見る夜景は「100万ドルの夜景」として親しまれていて、日本三大夜景だけでなく世界三大夜景のひとつにも数えられています。
函館湾と津軽海峡というふたつの海に挟まれた陸繋砂州(トンボロ)という珍しい地形の上に街が広がっているので、両側の海岸線が光の弧を描くように浮かび上がるんですよね。
この形の美しさがあるからこそ、記念日を作ってアピールしようという発想が生まれたのかもしれません。
函館夜景の日の由来 やけいの語呂合わせ
ここでは8月13日という日付そのものの由来を深掘りしていきます。
8(や)と13(トランプのK)で「やけい」に
日付の由来はいわゆる語呂合わせで、8を「や」、13をトランプの絵札の「K(キング=けい)」に見立てて「やけい」と読ませています。
夜景という言葉をそのまま数字に変換したという感じですね。
正直、最初にこの語呂合わせを聞いたとき、ちょっと無理があるような気もしました。
ただ、当時からその意見はあったようで発案者自身が「地元の友人からは、この語呂合わせはちょっと無理がないか?とからかわれる」と振り返っている記録が残っています。
なぜ語呂合わせがそのまま定着したのか
無理があると言われつつも定着した背景には8月13日というタイミングの良さがあったんだと思います。
お盆で帰省する市民も観光客も多い時期なので函館を全国にアピールする日としてちょうど良かった、というのが発案者の着想だったそうです。
語呂の強引さより、日付の実用性のほうが決め手になったのかもしれませんね。
函館夜景の日誕生の歴史 高校生の投書がきっかけ
ここが一番、他の記念日紹介ではあまり詳しく触れられていない部分だと思うのでじっくり書いていきます。
1991年函館青年会議所が実行委員会を設立
多くのサイトでは「函館出身の大学生の投書がきっかけ」と紹介されていますが、実際に本人が名乗って公開している記事を確認したところ、投書をした時点では大学生ではなく高校3年生、当時18歳だったことがわかりました。
細かい年齢の食い違いは時間が経つ中で伝聞が少しずつ変化した結果なのかなという気もしています。

きっかけを作ったのは18歳の高校生だった
投書をしたのは、東京の大学への進学が決まっていた函館育ちの高校生でした。
地元に何かを残していきたいという思いから北海道新聞に手紙を送ったのがすべての始まりだったそうです。
ふるさとを離れる前に、自分のアイデアを形にして残したいという気持ちだったんだろうなと想像すると、なんだか胸に来るものがあります。
この投書がきっかけとなり、この記念日が語られ続けているというのはけっこうすごいことだなと思いました。
函館夜景の日の目的と市民への呼びかけ
続いては、この記念日が具体的に何を市民に提案していたのかを見ていきます。
8時13分にカーテンを開けようという提案
発案者の投書には「8月13日の8時13分(ヤケイの日のヤケイの時刻)にカーテンを開けよう」という具体的な呼びかけが含まれていました。
日付だけでなく時刻までこだわっていたというのは、あまり知られていない細かい部分だと思います。
ちょっとした遊び心のようで、個人的にはすごく好きな発想です。
派手な演出より生活の光を大切にする発想
過度なライトアップや花火を打ち上げなくてもいい、というのがこの提案の面白いところです。
夜景は特別なイベントで作るものではなく、市民一人ひとりの部屋の明かりという「生活の光」そのものだ、という考え方なんですね。
函館市もこの理念に沿って、ふるさと創生事業の交付金を使い歴史的建造物のライトアップや街路灯の強化を進めたという記録があります。
つまり、大がかりな仕掛けより、日常の光を集めて夜景にしていくという方向性が最初からずっと一貫していたわけです。
函館夜景が100万ドルの夜景と呼ばれる背景
ここでは函館夜景を語るうえで欠かせない有名なフレーズの背景を確認します。
元々は神戸の夜景を指す言葉だった
「100万ドルの夜景」という言葉はもともと1953年(昭和28年)に神戸の夜景を指して生まれた表現だったとされています。
電力会社の幹部が六甲山から見た神戸の夜景を、電気代のスケール感になぞらえて名付けたという説が有力なようです。
函館夜景で使われるようになった経緯については、神戸にいた米軍関係者の説と函館にいた外国人船員の説があると夜景評論家が指摘していて、正直どちらが正しいのか確定した情報はまだないみたいです。
あくまで仮説の域なので、この部分は断定できないというのが実情ですね。
商標権トラブルとラッキーピエロの関わり
意外な話として1998年(平成10年)ごろに福島県の宿泊事業者がこのフレーズを商標登録していて、函館市に買い取りを要求するトラブルが起きたことがあります。
その後、この商標権を函館の名物ハンバーガーショップであるラッキーピエロの経営者が縁をたどって購入し、問題が解消したというのはちょっと驚きのエピソードでした。
地元の食文化と夜景ブランドが思わぬところでつながっていたんですね。
函館夜景の日に絡む動き
インバウンド増加とオーバーツーリズム問題
新型コロナウイルス感染症の収束にともなって訪日外国人旅行客が回復し、2024年(令和6年)ごろから函館山の展望台に登山客が集中する、わゆるオーバーツーリズムの問題が発生していると報告されています。
函館大学の調査でも函館朝市を訪れた訪日外国人旅行客のうち88パーセントが函館山の夜景を訪れる、または訪れる予定だと回答していて、夜景そのものが観光の目的地になっていることがうかがえます。
8月13日以外にも夜景を楽しむ工夫
函館の夜景は函館山からの表夜景だけでなく、横津岳山麓側から見る裏夜景という視点もあります。
城岱牧場からの眺めは代表的な裏夜景スポットとして紹介されていて、函館山とはまったく違う角度から市街地を俯瞰できるようです。
8月13日はあくまでこの魅力を再確認するきっかけの日であって、夜景そのものは一年中楽しめるものだという点も忘れずにいたいですね。
まとめ
函館夜景の日について由来と歴史をあらためて整理してみます。
- 函館夜景の日は8(や)と13(トランプのK)で「やけい」と読む語呂合わせから8月13日に制定された
- 1991年、函館青年会議所などによる実行委員会が正式に記念日として発足させた
- きっかけを作ったのは、当時18歳だった函館出身の高校3年生の投書だった
- 8月13日の8時13分にカーテンを開けようという、生活の光を大切にする呼びかけが原点にある
- 函館夜景は100万ドルの夜景と呼ばれるが、この呼称の起源には神戸由来説など複数の説がある
こうして調べてみると函館夜景の日はただの語呂合わせイベントではなく、ひとりの若者の思いから始まった記念日だったんだなと実感できました。
8月13日の夜にはぜひ函館の光景を思い出しながら、少しだけ夜景に目を向けてみてください。

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