ひかわ銅剣の日とは?由来や歴史を解説【7月12日】

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7月12日は「ひかわ銅剣の日」と呼ばれる記念日で1984年に島根県斐川町(現・出雲市)の荒神谷遺跡から弥生時代の銅剣が358本も出土したことを記念している日なんです。

この記事を読めば記念日が生まれた経緯や発見当時の状況、そしてなぜこの発見が日本考古学史に残る大事件と言われているのか、そのあたりがすっきり分かると思います。

「ひかわ銅剣の日って聞いたことあるけど、実際どういう意味なんだろう」

って気になっている方、けっこう多いんじゃないでしょうか。

私も最初にこの記念日を知ったとき、正直「銅剣がそんなに大量に見つかるなんてあるんだ」と驚いたのを覚えています。

目次

ひかわ銅剣の日の基本情報

まずはこの記念日がいつ、どこでどんな理由で制定されたのか、基本のところから整理していきますね。

制定の経緯と日付の意味

「ひかわ銅剣の日」は島根県斐川町、つまり現在の出雲市が制定した記念日で日本記念日協会にも認定・登録されています。

日付そのものが由来になっていて1984年(昭和59年)7月12日に荒神谷遺跡から弥生時代の銅剣が大量に発見された、まさにその日を記念しているんですね。

ちなみに記念日として正式に制定されたのは2000年7月とされていて、発見から16年ほど経ってから記念日という形になったようです。

実は記念日の名前自体も一般公募で決められたらしく、「ひかわ銅剣の日」というシンプルながらも土地の名前を残した命名だったみたいです。

発見場所である荒神谷遺跡について

発見の舞台となった荒神谷遺跡は出雲国風土記にも記載のある神名火山(仏経山)の北東約3キロに位置していて、遺跡の南側に三宝荒神が祀られていることから「荒神谷」と名づけられたそうです。

発掘のきっかけがなんともドラマチックで、1983年に「出雲ロマン街道」という広域農道の建設に伴う事前調査で、調査員が田んぼのあぜ道で古墳時代の須恵器の破片を見つけたことから本格的な発掘が始まったんです。

もしこの農道建設がなかったら358本もの銅剣は今でも土の中に眠っていたかもしれないなと思うと、ちょっと不思議な巡り合わせを感じますよね。

発見された銅剣358本の衝撃

ここでは実際に何が見つかったのかその規模や価値について詳しく見ていきます。

全国最多という数字の重み

1984年に発見された銅剣は全国で358本、これは同一地点からの出土数としては日本で最多かつ最大規模のものだったんです。

それまでの全国での銅剣総出土数をこの一か所だけで凌駕してしまったというのが本当にすごい話で、青銅器研究の常識を覆すレベルの発見だったと言われています。

翌1985年には同じ遺跡からさらに銅鐸6個と銅矛16本も発見されていて、荒神谷遺跡はひとつの場所からとにかく大量の青銅器が出てきた稀有な例になっています。

国宝指定までの流れ

出土した青銅器はその後の調査や研究を経て、1998年6月に「島根県荒神谷遺跡出土品」として全て国宝に指定されました。

発見から国宝指定まで14年ほどかかっていて、それだけ慎重な検証が積み重ねられたということなんだろうなと思います。

国宝指定された青銅器は現在、島根県立古代出雲歴史博物館などで見ることができるようになっているみたいです。

発見された全ての銅剣・銅鐸・銅矛が国宝に指定されるというのは考古学の世界でもかなり珍しいケースだと言えるでしょう。

出雲王権説と古代史への影響

この発見が単なる出土品の話にとどまらず、日本古代史そのものの見方を変えたという点にも触れておきたいです。

神話だった出雲が実在の証拠へ

荒神谷遺跡の発見以前、出雲というのは古事記や日本書紀に登場する神話の舞台という印象が強かったんですが、

この大量の青銅器の出土によって「出雲王権」という実在の政治的・宗教的な勢力があったのではという説に説得力が生まれたようです。

武器として実際に使われた痕跡は薄く、宗教的な儀式や権力の象徴として計画的に埋納されたと考えられていて、当時の社会構造や信仰のあり方を考えるうえで貴重な手がかりになっているんです。

加茂岩倉遺跡との繋がり

荒神谷遺跡から少し離れた場所にある加茂岩倉遺跡でも銅鐸が多数発見されていて、両遺跡の銅鐸には共通する刻印が確認されているそうです。

これは荒神谷と加茂岩倉、二つの遺跡が文化的、あるいは政治的に繋がっていた可能性を示す材料になっていて、出雲地域全体がひとつの大きな勢力圏だったのかもしれないという見方も出ているようです。

ただ、この点については研究者の間でもまだ議論が続いている部分だと思うので、確定した結論というよりは有力な仮説として捉えておくのが良さそうです。

記念日として今も続く意義

発見から40年以上経った今、この記念日がどんな形で受け継がれているのかも気になるところですよね。

荒神谷博物館での取り組み

荒神谷遺跡の周辺には荒神谷史跡公園や荒神谷博物館が整備されていて、7月12日を中心に特別展を開催しているようです。

1991年には皇太子徳仁親王殿下(現在の天皇陛下)が遺跡を訪問されたという記録もあって、それだけ国内的にも注目度の高い遺跡だったことがうかがえます。

出雲市はこうした史跡整備や博物館展示を通じて、当時の発見の意義を今の世代にも伝え続けているんですね。

個人的に感じたこと

記念日の由来を調べていて一番印象深かったのは農道建設という何気ない公共事業のきっかけから、日本古代史を揺るがすほどの発見に繋がったという点です。

普段何気なく歩いている土地の下にまだ発見されていない歴史が眠っているのかもしれないと思うと、なんだかロマンを感じませんか。

あくまで個人的な感想ですが、記念日というのは単に過去を振り返るだけじゃなく、今の私たちが土地の歴史に目を向けるきっかけになるものなんだろうなと思っています。

まとめ

ひかわ銅剣の日について由来から現在の取り組みまでを振り返ってきました。

  • 7月12日は1984年に荒神谷遺跡で銅剣358本が発見された日を記念する日
  • 島根県斐川町(現・出雲市)が制定し、日本記念日協会に認定登録されている
  • 出土した銅剣、銅鐸、銅矛は1998年に全て国宝に指定された
  • 発見は「出雲王権」の実在を示す物証として古代史研究に大きな影響を与えた
  • 現在も荒神谷博物館などでこの日にちなんだ特別展が開催されている

もし出雲地方に旅行の予定があるなら、荒神谷史跡公園や博物館を訪れて実際の出土品を見てみるのも良い体験になるかもしれません。

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