インドネシア独立宣言の日とは?由来や歴史を解説【8月17日】

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毎年8月17日、インドネシアでは国中が紅白の旗で彩られて、独立記念日を祝うムードに包まれます。

このタイミングでニュースなどを目にして「そもそもインドネシア独立宣言の日って何なんだろう」と気になった方、けっこう多いんじゃないでしょうか。

この記事を読めば8月17日がどうしてインドネシアの独立記念日になったのか、その由来や当日の出来事、そして現地でどんなふうに祝われているのかまでまとめて理解できると思います。

ちょっと歴史の話が続く部分もありますができるだけかみ砕いて説明していきますね。

目次

インドネシア独立宣言の日の基本情報

まずはこの記念日がいつ、何を記念しているものなのか基本的なところから押さえていきましょう。

8月17日は何を祝う日なのか

インドネシア独立宣言の日は1945年8月17日にインドネシアがオランダからの独立を宣言したことを記念する日です。

インドネシア語では「Hari Ulang Tahun Kemerdekaan Republik Indonesia」、略して「HUT RI」または単に「Hari Kemerdekaan」と呼ばれていて、現地の人たちのあいだでは「Tujuhbelasan(トゥジュブラサン)」、つまり「17日のもの」という愛称でも親しまれているそうです。

国の祝日として制定されたのは1946年6月18日の政令によってで、独立宣言そのものから1年近く経ってからのことなんですね。

なぜ8月17日という日付になったのか

独立宣言が行われたのは1945年8月17日午前10時、場所はジャカルタ中心部のプガンサアン・ティムール通り56番地、スカルノの自宅前でした。

この日付、実は日本の降伏からわずか2日後というタイミングなんです。

1945年8月15日に日本がポツダム宣言を受諾したことを受けて、独立を求める青年活動家たちが一気に動き出したという背景があります。

個人的にはこの「2日後」というスピード感がかなり印象的だなと感じました。準備期間がほとんどなかったなかで、よくぞ実現できたなという気もします。

インドネシア独立までの歴史的背景

独立宣言に至るまでには長いオランダの植民地支配と、その後の日本による占領という二段階の歴史がありました。

約300年に及んだオランダの植民地支配

インドネシアは17世紀以来、オランダの支配下に置かれていました。

オランダ東インド会社の時代から数えると、実質的には数百年単位でヨーロッパの影響下に置かれ続けていたことになりますね。

独立運動自体は20世紀初頭から徐々に高まっていて、1908年5月の「民族覚醒の日」がその出発点として位置づけられることが多いようです。

ここから約40年近くかけてようやく独立という形に結実したと考えると、なかなか長い道のりだったんだなと思います。

日本軍政下でのインドネシアと敗戦の影響

1942年、太平洋戦争のなかでインドネシアは日本軍の占領下に入りました。

この日本統治期間はわずか3年ほどでしたが、独立運動の観点からするとけっこう重要な意味を持っていたと言われています。

というのも、日本軍が民族主義者たちに一定の自治や軍事訓練の機会を与えていたことが結果的に独立に向けた土台づくりにつながったという見方があるからです。

ただ、この点については評価が分かれる部分でもあるので、あくまで一つの見方として捉えておいたほうがいいかもしれません。

1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾して降伏したことでインドネシアの独立運動は一気に加速していきました。

独立宣言前夜のドラマ、レンガスデンクロック事件

独立宣言の直前には実はかなり緊迫したやり取りがあったんです。ここはあまり知られていない部分かもしれません。

青年活動家たちがスカルノを拉致した理由

1945年8月16日未明、独立を求める青年活動家のグループが、スカルノとハッタをジャカルタ郊外のレンガスデンクロックという町に連れ出しました。

いわゆる「レンガスデンクロック事件」です。

当時生後9か月だった長男グントゥールと第一夫人ファトマワティも一緒だったという記録もあります。

青年たちの狙いは日本軍の意向を待たずに、すぐにでも武装蜂起して独立を宣言してほしいというものでした。

まだ日本軍がインドネシア国内に武装したまま駐留している状況で、オランダが再び介入してくるかもしれないという不安もあったんでしょうね。

一夜で仕上げられた独立宣言文

スカルノとハッタ、それにアフマド・スバルジョは青年グループを説得して、8月17日の正午までに独立を宣言する準備を整えることで合意し、ジャカルタへ戻りました。

同日23時ごろ、3人は日本海軍の前田精少将の公邸に集まり、すでに草案があった憲法前文の独立宣言に関する部分をもとに宣言文を起草・採択したとされています。

つまり、宣言文そのものはたった一晩で完成させられたということになります。

正直、これほど重要な文書がこんな短時間でまとめられたというのはけっこう驚きの内容だと思います。

独立宣言当日、何が起きたのか

いよいよ本題の8月17日当日です

。その日の朝、実際にどんなことが起きたのかを見ていきましょう。

スカルノが読み上げた62語の宣言文

1945年8月17日午前10時ごろ、スカルノらインドネシアの民族主義者たちは連合国の了解を得ることなく、スカルノの私邸に集まった約1000人の立会いのもとで独立宣言を発表しました。

宣言文はごく短いもので、わずか62語程度だったと言われています。

内容を訳すと

「我らインドネシア民族はここにインドネシアの独立を宣言する。権力の移譲その他については、できるだけ速やかに、かつ慎重な方法によって実行されるものとする」

というものです。

文書には「ジャカルタ、05年8月17日」という日付が記されていますが、これは日本の皇紀(2605年)を使った表記で、当時の日本軍政下で準備された宣言文であることの名残だと考えられています。

宣言直後に何が決まったのか

独立宣言と同じ日にスカルノの妻ファトマワティが縫ったとされる紅白の旗「サン・サカ・メラープティ」が掲げられました。

そして翌18日にはスカルノが初代大統領に、ハッタが副大統領に選出されています。

この日はインドネシア共和国という国家そのものが実質的にスタートした日でもあったわけですね。

ただ、独立を宣言したからといってすぐに国際的に認められたわけではなく、ここからが本当の意味での戦いの始まりだったんです。

独立宣言後、正式な独立承認までの道のり

宣言してから実際にオランダが独立を認めるまでなんと4年もかかっています。ここは意外と知られていない部分かもしれません。

オランダとの4年間にわたる独立戦争

独立を宣言したものの、旧宗主国のオランダはこれを認めず、すぐに軍事的な攻勢を仕掛けてきました。

この後に続いた武力と外交両面での抵抗運動は「インドネシア国民革命」と呼ばれています。

この戦いは1949年12月27日、オランダが正式にインドネシアの主権を承認するまで、実に4年以上続いたんです。

私が思うには独立を「宣言した日」と「実際に認められた日」がこれだけ離れているというのは、日本人の感覚だとちょっとピンとこない部分もあるかもしれませんね。

だからこそインドネシアの人たちにとって、8月17日という宣言の日そのものに特別な重みがあるんだろうなと感じます。

オランダが独立を正式に認めたのはいつか

オランダが道義的な意味で1945年8月17日を「インドネシアの本当の誕生日」だと認めたのは、実は2005年になってからのことでした。

当時のオランダ外相ベン・ボットが、独立60周年の式典でこの見解を表明したとされています。

法的な独立承認は1949年でしたが実質的な独立の起点としては1945年8月17日を認めるという、なんとも複雑な経緯をたどっているんですね。

この60年という時間差については正直なところ植民地支配の清算がいかに難しい問題だったかを物語っているようにも思います。

独立記念日の祝い方と伝統行事

歴史の話が長くなりましたが現代のインドネシアでは8月17日をどう祝っているのか、こちらも見ていきましょう。

街を彩る紅白の飾りと国旗掲揚

独立記念日が近づくとインドネシア国内の街並みは紅白の旗やテープでいっせいに飾られます。

国旗「メラープティ」の赤は勇気と情熱を、白は真実や神聖さを象徴していて、この配色は13世紀から16世紀にかけてジャワ島を治めたマジャパヒト王国の旗印に由来するとも言われています。

各家庭や公共施設で国旗掲揚が行われて街全体が独立記念日一色になる様子は、現地で見るとかなり圧巻だそうです。

パンジャットピナンなど独特な競技イベント

独立記念日の名物といえば、なんといっても「パンジャットピナン(Panjat Pinang)」でしょう。

油を塗った高さ9メートルほどのビンロウヤシの棒に、自転車や電化製品などの景品を吊るして、大勢の参加者がよじ登って奪い合うという競技です。

滑って何度も落ちながらチャレンジする様子はかなり盛り上がるみたいで、地域によっては鳥かごに入れられた鶏が景品としてぶら下がっていることもあるとか。

この行事はオランダ植民地時代に娯楽として持ち込まれたのが起源とされていて皮肉な話ですが、かつての支配者が伝えた遊びが今では独立を祝う象徴的なイベントになっているというのは、なかなか考えさせられるところだと思います。

ほかにも綱引きや袋に入って跳びはねながら競争する「バラップ・カルン(サックレース)」、参加者全員の団結が求められる木靴競争など、地域コミュニティ単位でさまざまな運動会が開催されます。

木靴競争は一人だけ頑張っても勝てない仕組みになっていて国民の連帯感を育む狙いがあるとされているそうです。

まとめ

インドネシア独立宣言の日について由来や歴史的な背景を中心に整理してきました。最後にポイントをまとめておきますね。

  • 1945年8月17日午前10時、スカルノとハッタがジャカルタの自宅前で独立宣言を読み上げた
  • 日本の降伏からわずか2日後というタイミングで、宣言文自体は前夜のうちに一気に起草された
  • 宣言前夜にはレンガスデンクロック事件という緊迫したやり取りがあった
  • オランダが正式に独立を承認したのは宣言から4年後の1949年12月
  • 現在は毎年8月17日が祝日となっていて、パンジャットピナンなど独特な行事で祝われている

歴史の教科書だけを見ていると、8月17日という日付や独立宣言の事実だけがさらっと書かれていることが多いですが、こうして背景をたどってみると、たった一日の出来事の裏にかなり緊迫したドラマがあったことが分かりますね。

8月17日はこうした背景を思い出しながらニュースを見てみると、また違った見方ができるかもしれません。

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