2002年5月31日はFIFAワールドカップがアジアで初めて開幕した歴史的な日です。
この記事を読めばなぜ5月31日に開幕したのか、どんな経緯で日韓共催が実現したのか、当日の開会式から名勝負まで、まるごと理解できます。
「なんで日本と韓国が一緒に開催したの?」
「開幕当日ってどんな雰囲気だったの?」
と気になっている方、けっこう多いんじゃないかと思います。
実はこの大会、実現するまでのプロセスがかなりドラマチックでスポーツの舞台裏としても読み応えのあるストーリーが詰まっているんです。
5月31日は何の日?
この日付が持つ意味はひとつではありません。
2002年5月31日、韓国・ソウルのワールドカップスタジアムで第17回FIFAワールドカップが開幕しました。
アジア大陸で初めてワールドカップが開催された日であり、ワールドカップ史上初の2カ国共同開催が正式にスタートした瞬間でもあったんです。
さらに遡るとこの「5月31日」にはもうひとつ重要な意味があります。1996年5月31日、スイス・チューリッヒのFIFA本部で理事会が開かれ、2002年大会を日本と韓国の共同開催とする決定が下されました。
奇しくも、共催決定の日と開幕の日が同じ5月31日なんですよね。
個人的にはちょっと運命的な一致だなと感じています。
共催実現までの経緯
なぜ「日本単独」でも「韓国単独」でもなく、共催という形になったのかをたどります。
日本の誘致活動は1988年から始まった
日本サッカー協会が初のアジア開催に向けてワールドカップ誘致を計画し始めたのは1988年のことです。
当初はアジアで最初の開催地として日本が最有力候補と見られていて、誘致確実という楽観的な見方も国内では強かったようです。
ところが、1993年にアメリカW杯アジア最終予選の結果が流れを変えます。
日本がその予選で敗退したタイミングで韓国内に「ワールドカップに一度も出場したことのない日本に開催資格があるのか」という機運が高まり、韓国も誘致に名乗りを上げたんです。

鄭夢準会長と招致競争の激化
韓国財閥「現代」創業家出身の鄭夢準(チョン・モンジュン)が韓国サッカー協会会長に就任し、その後FIFA副会長にも上り詰めて、強力な誘致活動を展開します。
政治力と財力を背景にした韓国の攻勢は相当なもので、日韓の関係悪化を懸念する両国の政界からも「共同開催にすべき」という声が出てきました。
こうした状況のなかFIFA当時のアヴェランジェ会長が共催を提案し、1996年の理事会で正式決定されます。
日本側はもし拒否すれば開催権が韓国に移る、という選択肢しかない状況だったので事実上受け入れざるを得なかったとも言われています。
韓国の金融危機という試練
共催決定の翌年、1997年に韓国はアジア通貨危機のあおりを受けて深刻な金融危機に見舞われます。
当時は会場数の削減論まで出たんですが最終的に韓国国内の10会場すべてを新設して開幕を迎えました。
この判断は経済的にかなり大胆だったと思いますし、国としての覚悟を感じる部分でもあります。
2002年5月31日 開幕当日の様子
歴史的な開幕日に何が起きたのかを振り返ります。
ソウルで行われた開会式
開幕式はソウル・ワールドカップスタジアム(収容約64,677人)で開催されました。
テーマは「From the East(東から)」で、韓国の伝統文化を取り入れた壮大なセレモニーが繰り広げられ、数千人のパフォーマーが流れるような衣装をまとって太鼓を打ち鳴らしながら世界への歓迎を表現しました。
式典では韓日両国の国旗が一体化するシンボリックな演出も行われ、FIFAのゼップ・ブラッター会長(当時)の挨拶に続いて、小泉純一郎首相と韓国の金大中大統領が共同で大会の開幕を宣言しました。
「Oullim(オゥリム=韓国語で調和の意)」を三大テーマのひとつとしていた開会式は、緊張関係もあった日韓両国が協力し合う姿を世界に発信する場でもありましたね。
セネガルvsフランス。開幕戦の衝撃
開幕式の後、日本時間午後8時32分にキックオフされた開幕戦はセネガル対フランス。
フランスは前回1998年フランス大会の優勝国であり、世界ランキング1位の大本命でした。
それに対してセネガルはワールドカップ初出場、世界ランキングは42位という完全なアンダードッグ。
ところが30分、パップ・ブバ・ディオプが左足で押し込んで先制。
そのままセネガルが1-0で前回王者フランスを撃破するという、とんでもない番狂わせが起きたんです。
開幕戦で前回優勝国が負けたのは1990年イタリア大会でアルゼンチンがカメルーンに敗れた以来のこと。「波乱の大会」という称号は、まさにこの瞬間から始まりました。
日本・韓国代表の活躍
開催国として臨んだ両チームの戦いもこの大会を語る上で欠かせません。
日本代表、初のグループ突破
フィリップ・トルシエ監督率いる日本代表は2度目のワールドカップ出場でグループステージを首位通過という快挙を成し遂げます。
ロシア、チュニジアを連破し、ベルギーとは引き分け。
「初の勝ち点、初勝利、初のグループ突破」と日本にとって三重の歴史を刻んだ大会でした。
決勝トーナメント1回戦では雨の宮城スタジアムでトルコに0-1で敗れてしまいましたが、それでも日本中のサッカー熱を一気に引き上げた大会になったことは間違いないでしょう。
韓国代表、アジア史上初のベスト4
それ以上に世界を驚かせたのが韓国代表の快進撃でした。
ヒディンク監督のもとイタリア、スペインという強豪国を次々と撃破し、準決勝でドイツに敗れるものの、アジア勢として史上初のベスト4を達成します。
3位決定戦でもトルコに敗れて4位に終わりましたが、それでも当時の衝撃は計り知れないものがありましたね。
一方で韓国代表の一部判定や審判問題については、当時から海外ファンの間で「史上最大の盗難」などとも言われていて、今でも議論が続いていることは事実です。

この大会が残したもの
ワールドカップ史上初めてアジアで開催されたこの大会はその後のサッカー界にどんな影響を与えたのでしょうか。
最大のインパクトは「アジアでもワールドカップが開催できる」という証明をしたことでしょう。
それまでのワールドカップは欧州と南米を中心に回っていましたが、2002年はそのパラダイムを変えました。日韓両国が合計20都市の会場で試合を開催し、観客動員数もきわめて高い水準を記録しています。
日本国内ではこの大会を機にサッカーが「見るスポーツ」として定着したという声もあります。
ジーコ監督の招聘など、その後の日本代表への取り組みにも影響を与えたと考えられていて、2002年以降の日本代表の継続的なワールドカップ出場につながる流れを作ったとも言えそうです。
ちなみに決勝戦は日本・横浜の横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)で行われ、ブラジルがドイツを2-0で下して優勝しました。
まとめ
- 2002年5月31日は日韓共催FIFAワールドカップが韓国・ソウルで開幕した日
- 1996年5月31日にFIFAが共催決定。偶然にも同じ日付
- 日本の誘致活動は1988年、韓国の参戦は1993年の日本の予選敗退が契機
- 開幕戦はセネガルが前回王者フランスを1-0で撃破という歴史的番狂わせ
- 日本代表は初のグループ突破、韓国代表はアジア史上初のベスト4を達成
- ワールドカップ史上初の2カ国共催・アジア初開催として、サッカーの歴史に刻まれた大会
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