この記事を読めば8月23日が常磐線全通の日と言われる理由と、その背景にある明治期の鉄道史がわかります。
ちょっとマニアックなテーマですが鉄道好きの方はもちろん、茨城や福島、宮城にゆかりのある方にも
「へえ、そうだったんだ」
と思ってもらえる内容にまとめてみました。
常磐線全通の日とは何か
まずはこの日に何が起きたのか基本のところを押さえていきますね。
8月23日に何が起きたのか
1898年(明治31年)8月23日、日本鉄道によって田端から岩沼までの区間がつながりました。
これによって東京側と宮城側をつなぐ長い路線がひとつの形として完成したわけです。
同じ日に、磐城線の久ノ浜から小高までの区間も開業していて、広野駅や木戸駅、富岡駅、長塚駅(現在の双葉駅)、浪江駅もこのタイミングで生まれています。
個人的にはひとつの日にこれだけの駅がまとめて開業したのはけっこう驚きでした。
全通の意味を整理
「全通」というのは区間ごとに分かれて工事されていた路線が、ようやく端から端までひと続きになる日のことです。
田端と岩沼という現在の常磐線でいえば東京側の起点付近と宮城側の終点付近が結ばれたのが、まさにこの8月23日だったんですね。
ただ、ここで注意したいのはこの時点では「常磐線」という名前はまだ存在していなかったという点です。
当時は土浦線や海岸線、磐城線といった名称で呼ばれるいくつかの路線の集合体でした。
全通した日はあくまで路線がつながった日であって常磐線という名前が誕生した日ではないというのは、ちょっと意外に感じる方もいるかもしれません。
常磐線全通までの歴史をたどる
田端から岩沼まで結ばれるまでにどんな工事の積み重ねがあったのかを見ていきます。
明治期の路線開業の流れ
常磐線のルーツは1889年(明治22年)1月16日に水戸鉄道が開業させた小山から水戸までの区間にあります。
ここはいまの水戸線にあたる部分ですね。
その後、日本鉄道が水戸鉄道を買収して、1895年(明治28年)に友部から土浦、翌1896年(明治29年)に田端から土浦までを開業させ、土浦線として東京方面への接続を実現しました。
そこから北へ向かって水戸以北の磐城線や、東京側の隅田川線なども段階的に開業していって、1898年8月23日の田端~岩沼間全通でようやくひと続きの路線が完成したという流れになります。
田端~岩沼間全通の背景
なぜ起点が田端だったのかというとこれは貨物輸送を重視していたためだと言われています。
当時すでにあった東北本線や1903年に開業予定だった山手線との貨物列車の直通を意識して、南千住から田端へ一直線に線路を敷いたそうです。
ただ旅客列車は上野駅発着が基本だったので田端駅でスイッチバックする必要があって、これがなかなか手間だったみたいですね。
全通当初はこの不便さが残っていたというのはあまり知られていない部分かもしれません。
なぜこの日に全通したのか(由来)
このセクションでは常磐線がそもそも何のために作られた路線なのかを掘っていきます。
常磐炭田と鉄道の関係
常磐線の海岸線部分はもともと常磐炭田で採れる石炭を運ぶための路線だったという背景があります。
福島県から茨城県にかけて広がっていた炭田の石炭を、東京方面へ効率よく運ぶ手段として鉄道が必要とされていたわけです。
田端~岩沼間の全通も単に旅客のためというより、石炭輸送の実用性を優先した結果というのが実際のところだったのかなと思います。
あくまで自分の見立てですが、明治期の鉄道整備は産業インフラとしての役割がかなり大きかったのではないでしょうか。
東北本線のバイパスとしての役割
全通後は東北本線に対するバイパス路線としての役割も担うようになりました。
常磐線経由だと勾配が少なくて距離も短くなるので、仙台以北へ直通する旅客列車が多く運転されるようになったんです。
これは石炭輸送だけでなく旅客の便を考えても常磐線が有利だったことを示していて、全通という出来事が単なる区間接続の話にとどまらない広がりを持っていたことがわかりますね。
常磐線という名前がついたのはいつか
ここでは全通からどのように現在の「常磐線」という名称と姿にたどり着いたのかを説明します。
国有化と命名の経緯
1906年(明治39年)11月1日に日本鉄道が国有化されて、1909年(明治42年)10月12日、国有鉄道の線路名称が制定された際に、日暮里から岩沼までの区間が正式に「常磐線」と名付けられました。
田端から隅田川までの区間は隅田川線という別の名前になっていて、これが1911年(明治44年)5月5日に常磐線へ編入されています。
つまり全通からおよそ11年もあとになってようやく今の名前がついたことになります。この時間差は正直あまり紹介されていない部分だと思います。
現在のルートが完成した1905年
全通と名称決定の間、1905年(明治38年)4月1日には日暮里から三河島までの区間が新たに開業しました。
これによって、上野駅と直結する現在のルートが完成して、田端駅でのスイッチバックも解消されたんです。
つまり全通の日、名称が決まった日、現在のルートが完成した日はそれぞれ別々の出来事だということですね。
ここを混同してしまう記事も見かけますが正確に整理すると1898年の全通、1905年のルート完成、1909年の命名という、三段階に分けて理解するのが実態に近いと感じます。
常磐線全通の日は記念日として認定されているのか
この日が公式な記念日として扱われているのかどうかを確認していきます。
日本記念日協会との関係
正直なところ常磐線全通の日が日本記念日協会などによって正式に登録されている記念日かどうかは、今回の調査でははっきり確認できませんでした。
歳時記や「今日は何の日」系のメディアで、8月23日の出来事のひとつとして紹介されているケースが見られる程度です。
なのでこれは鉄道の歴史における重要な日付として語り継がれているものであって、企業や団体が制定した記念日とは少し性質が違うのかもしれません。
断定はできませんがあくまで歴史的な出来事の記録として認識するのが自然かなと思います。
歴史愛好家に語り継がれる背景
とはいえ、鉄道ファンや地域史に関心のある方の間では、田端~岩沼間全通という出来事はしっかり語り継がれているようです。
特に福島県浜通り地域では双葉駅(旧長塚駅)や富岡駅、浪江駅といった駅がこの日に開業していて、地域の交通の始まりとして意識されている面もあるんじゃないでしょうか。
記念日として制定されているかどうかとは別に、地域の歴史を知る上では大事な日付だと思います。
常磐線全通が今に伝えること
最後にこの歴史が現在の常磐線にどうつながっているのかを見ていきます。
震災復興との重なり
常磐線は2011年の東日本大震災で大きな被害を受けて一部区間の不通が長く続きました。
最終的に富岡から浪江までの区間が復旧して全線再開したのは2020年3月14日のことです。
明治期に石炭輸送の路線として全通した歴史と震災からの復興で全線再開した歴史が、同じ路線の上で重なっているというのは、なかなか印象深いなと感じます。
100年以上の時を経てこの路線がまた「つながる」ことの意味を持ったというのは、ただの偶然にしても意義深いものだと思います。
常磐線に息づく歴史
現在の常磐線は日暮里を起点、岩沼を終点として全80駅ほどを結んでいます。
通勤路線としての顔もあれば特急ひたちやときわが走る長距離路線としての顔もあって、多彩な役割を持つ路線に育っていますよね。
1898年8月23日の全通がその後の日本鉄道国有化や名称制定、電化、複々線化、震災復興といったいくつもの歴史の土台になっていると考えるとけっこう感慨深いものがあります。
まとめ
常磐線全通の日についてのポイントを整理しておきます。
- 1898年(明治31年)8月23日に日本鉄道の田端~岩沼間が全通した
- 同じ日に磐城線の久ノ浜~小高間も開業して、広野駅など複数の駅が誕生した
- この時点では「常磐線」という名称はまだ存在していなかった
- 1905年4月1日の日暮里~三河島間開業で現在のルートが完成した
- 1906年に国有化、1909年10月12日に「常磐線」と正式に命名された
- 公式な記念日として登録されているかは確認できず、歴史的な出来事として語られている面が大きい
- 明治期の石炭輸送路線としての歴史と2020年の震災からの全線再開が同じ路線の上で重なっている

コメント