この記事を読めば5月21日がなぜ「リンドバーグ翼の日」なのか、その由来から飛行の詳細、日本での受け取られ方まで、ひととおりわかります。
「翼よ、あれがパリの灯だ」
という言葉、一度は耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
でも実はその言葉にまつわる「知られていない事実」があるんですよね。
そのあたりも含めてたっぷりと紐解いていきます。
リンドバーグ翼の日とは
5月21日は「リンドバーグ翼の日」として知られる記念日です。
この日の基本情報
1927年(昭和2年)5月21日、アメリカ人飛行家チャールズ・オーガスタス・リンドバーグがパリに到着し、世界初の大西洋単独無着陸横断飛行を成し遂げました。
その歴史的な偉業を称えて毎年5月21日が「リンドバーグ翼の日」として記念されるようになっています。
なお、日本でいつ・どの団体によってこの記念日が制定されたのかについては、現状では明確な記録が残されていないとのことです。
一般的な「記念日登録」とは少し異なり、偉業の記憶として自然に広まったものとも考えられています。
そのあたりはちょっと不思議な気もしますがそれだけリンドバーグの飛行が世界中にとって印象的な出来事だったということなんでしょうね。
偉業の背景――なぜ大西洋横断に挑んだのか
この飛行には、単純なロマンだけではない、現実的な「動機」がありました。
オルティーグ賞という懸賞金
1919年、ニューヨークのホテルオーナーであるレイモンド・オルティーグが、ニューヨーク〜パリ間の無着陸飛行を最初に達成した者に2万5000ドルを贈るという懸賞を設けました。
当時の2万5000ドルは現代の価値に換算すると相当な金額で、多くの飛行家がこの賞を目指しました。
リンドバーグはセントルイスの事業家たちの資金援助を受け、特別に設計・製造された飛行機「スピリット・オブ・セントルイス」号で挑戦に臨むことになります。
当時の航空技術の限界
スピリット・オブ・セントルイス号は、ライアン航空会社が製造した改造機で450ガロン(約1,700リットル)もの燃料タンクを5か所に搭載していました。
コックピットはきわめて狭く、リンドバーグは足を完全に伸ばすことさえできない状態での飛行を余儀なくされています。
しかも正面には窓がなく、前方の視界はペリスコープ(潜望鏡のような器具)に頼っていたというのだから、案外というか思ったより過酷な環境だったんですよね。
33時間30分の飛行 何があったのか
1927年5月20日午前7時52分、リンドバーグはニューヨークのルーズベルト飛行場(ロングアイランド)を離陸しました。当時25歳。
燃料を満載した機体の重量は5,135ポンド(約2,330キロ)にも達し、滑走路の電線をわずか20フィート(約6メートル)しかクリアできなかったと記録されています。
過酷な気象と睡魔との戦い
飛行中はアイスランドの手前から霧や雪、氷の問題が発生し、睡魔との戦いが続きました。
リンドバーグは出発前夜から一睡もしておらず、パリ到着時点で55時間以上起き続けていたというのだから驚きます。
それでも彼はグレートサークル(大圏航路)という当時としては革新的なナビゲーション手法を使い、ニューファンドランド・アイルランド経由の最短ルートでパリを目指しました。
到着と熱狂
5月21日、現地時間の午後10時22分(日本時間では翌22日の早朝)、スピリット・オブ・セントルイス号はパリ郊外のル・ブルジェ空港に着陸します。
飛行距離は3,610マイル(約5,810キロ)、所要時間は33時間30分。空港には約10万人もの群衆が押しかけ、興奮した市民たちによって機体から引きずり出されるようにして迎えられたといいます。
「翼よ、あれがパリの灯だ」の真実
日本では有名なこの言葉。でも実はリンドバーグ本人が実際に口にした言葉ではないんです。
日本語訳者がつけたタイトルだった
この言葉の出どころは1953年にリンドバーグ自身が書いた自叙伝『The Spirit of St.Louis』の日本語訳版です。
翻訳者の佐藤亮一氏がつけた邦題が「翼よ!あれがパリの灯だ」であり、それがいつしかリンドバーグの「名言」として広まってしまったとされています。
実際にリンドバーグが着陸後に最初に発した言葉については、「誰か英語が話せる人はいませんか?」と尋ねたという説が記録に残っています。
本人は着陸しても本当にパリに来られたのか半信半疑で英語話者に「ここはパリですか?」と確認したともいわれています。
なんというか…そのエピソードの方が、人間らしくてむしろ好きだなと思いました。
リンドバーグという人物
チャールズ・リンドバーグは1902年2月4日、アメリカ・ミシガン州デトロイトに生まれました。
父はスウェーデン系移民で連邦下院議員、本人はウィスコンシン大学機械工学科を中退後に飛行学校に入学し、郵便飛行士として経験を積んでいきます。
そして25歳という若さで史上最も有名な単独飛行に成功した後、ハーモン・トロフィーと名誉勲章の両方を受賞した数少ない人物となりました。
1974年8月26日に71歳で亡くなっています。
まとめ
- 5月21日は「リンドバーグ翼の日」
1927年のこの日にリンドバーグがパリへの大西洋単独無着陸横断飛行を達成したことにちなむ記念日 - 飛行時間は33時間30分、距離は約5,810キロ
スピリット・オブ・セントルイス号で一人、海を渡りきった - 55時間不眠・霧・氷・睡魔との戦い
当時の航空技術の限界の中での偉業だった - 「翼よ、あれがパリの灯だ」はリンドバーグ本人の言葉ではない
日本語訳者がつけた邦題が広まったもの - 記念日の制定者・制定時期は不明
どの団体が定めたかの正式な記録は確認されていない

コメント