この記事を読めば「ラッキーゾーンの日」の正確な意味と由来、甲子園での設置から撤去までの歴史、そして現代の野球場との意外なつながりまでまるごとわかります。
「ラッキーゾーン」という言葉、野球ファンなら聞いたことがあるかもしれません。
でも、なぜ作られて、なぜなくなったのかちゃんと知っている人は案外少ないんじゃないでしょうか。
5月26日という日付にまつわる、けっこう深い歴史があるんです。
ラッキーゾーンの日とは?
「ラッキーゾーンの日」は毎年5月26日に設けられた記念日で1947年(昭和22年)5月26日に阪神甲子園球場へ日本初のラッキーゾーンが設置されたことに由来しています。
注意しておきたいのがこの記念日は日本記念日協会に正式登録されているわけではなく、業界や野球ファンの間で慣習的に語られてきた記念日だという点です。
公的な「国民の祝日」とは性質が全く異なります。
ラッキーゾーンとは何か
「和製英語」だった
ラッキーゾーンとは野球場でホームランを出やすくするために、本来の外野フェンスの内側(フィールド側)に仮設の柵を設置し、その柵と外野フェンスの間のエリアのことを指します。
この柵の内側に打球が落ちた場合はホームランと判定されるので、実質的にフィールドが狭くなる仕組みです。
実はこれ和製英語です。
英語圏に同等の単語は存在せず、日本独自の表現として野球界に定着しました。
設置当初、甲子園のラッキーゾーンの柵には「LUCKY ZONE」と書かれたパネルが貼り付けられていたそうです。なんかちょっとポップな感じがして当時の雰囲気が伝わりますよね😄
ブルペンも置かれていた
ラッキーゾーンの内部にはウォーミングアップ用の投球ブルペンが設置されることが多く、ただの空きスペースではなく試合運営上も活用されていました。
なぜ1947年に設置されたのか
戦後の甲子園は「ホームランの出ない球場」だった
甲子園球場の原点は1924年の開場。
もともと外野が非常に広く設計されていて戦前のデータでは1試合あたりの本塁打数が後楽園球場の10分の1以下という水準でした。両翼78mだった後楽園と比べると、その差は歴然。
1946年に戦後のリーグ戦が再開されると柵越えホームランが野球観戦の醍醐味として注目されはじめました。プロ野球人気を高めたい。
そんな思いから、球場を管理していた阪神電気鉄道が動いたわけです。
設置直前と直後の本塁打数
効果は想像以上でした。
設置前(1947年シーズン序盤の36試合)では柵越えホームランが1本も出なかったのに、設置後の77試合では60本を記録しました。
この数字は正直すごいと思います。
当時の選手も観客も、同じ球場でまるで別の競技を見ているような感覚だったんじゃないかと想像します。
具体的な距離でいうと両翼は340フィート(約103.6m)から280フィート(約85.4m)に短縮されました。
甲子園ラッキーゾーンの44年の歴史
設置直後から記念的な試合の舞台に
1947年5月26日の設置初日、阪神vs南海の試合が行われましたが皮肉にもその日は両チームとも1本もホームランが出なかったそうです。
先発の若林忠志投手が完封勝利を収め、1対0の結末でした。なんか。初日から「ラッキー」にはなれなかった、という話が面白いですよね。
1976年には大規模なグラウンド改装が行われ、ラッキーゾーンも拡張工事が実施されました。
設置当初から何度も手が加えられながら、44年間にわたって甲子園名物のひとつとして存在し続けました。
他球場へも波及
甲子園への設置が第1号となり、その後は鳴海球場・阪急西宮球場・明治神宮野球場・西京極球場・平和台野球場など、当時のプロ野球の規定に合わせる形で複数の球場に同様のゾーンが設置されていきます。
用語としての普及も早く、設置からわずか3年後の1950年版『少年朝日年鑑』にはすでに「ラッキー・ゾーン」として掲載されていたんです。
1991年に撤去された理由
時代が変わった
44年間親しまれてきたラッキーゾーンは1991年12月5日に撤去されました。
主な理由は複数あります。
- 選手の体格向上と道具の進化
食生活の変化やトレーニングの発達で選手が大型化。バットやボールの品質改良も加わり、ホームランが以前より打ちやすくなった - 野球の国際化による規格の見直し
1980年代以降に東京ドームをはじめ国際規格を満たす球場が各地に建設されはじめ、基準の統一が求められるようになった - 高野連からの撤去要請
高校野球で金属バットが導入されたことで本塁打が増加し、高野連が撤去を提案した - 安全面の問題
1977年の外野フェンス衝突事故以降、フェンスにラバー保護が義務化されたが、仮柵扱いのラッキーゾーンには適用されないまま放置されていた
ところが撤去翌年の1992年春の選抜大会で松井秀喜(星稜高)が2打席連続ホームランを記録しています。
ラッキーゾーンなしでも十分に打てる時代になっていたんだという象徴的な場面でしたね。
現在の甲子園の広さ
撤去後、甲子園球場の規格は両翼95.0m・中堅118.0m・左右中間118.0mとなっています。
ラッキーゾーンがあった最終年(1991年)の両翼91.0mと比べると4m広くなった計算です。
「ラッキーゾーン」の現代版。今も生きている考え方
形を変えて各球場に登場
ラッキーゾーンは甲子園からは消えましたがその発想自体は現代の球場に受け継がれています。
- 2013年
楽天生命パーク宮城に「Eウィング」設置 - 2015年
福岡PayPayドームに「ホームランテラス」設置 - 2019年
ZOZOマリンスタジアムに「ホームランラグーン」設置 - 2026年
バンテリンドームナゴヤに「ホームランウイング」設置予定
名称こそ変わっていますが、「ホームランを増やして試合を盛り上げる」という目的は1947年のラッキーゾーンとまったく同じ。
77年以上経った今も、その精神が生き続けているわけです。
甲子園への復活論も根強い
実は甲子園への復活案は今でも定期的に議論されています。2024年には選手の佐藤輝明選手や大山悠輔選手が球団に設置を直訴したものの、いずれも却下されています。
賛否は球団OBの間でも割れていて岡田彰布氏は反対、金本知憲氏は賛成、掛布雅之氏は2024年に復活案を提言するなど、今なお熱い議論が続いている話題です。
まとめ
- 5月26日「ラッキーゾーンの日」は、1947年に阪神甲子園球場へ日本初のラッキーゾーンが設置された日に由来する
- ただし日本記念日協会への正式登録はなく、非公式の記念日
- ラッキーゾーンは「和製英語」で、外野フェンスの内側に仮設の柵を設けてホームランを出やすくしたエリアのこと
- 設置後の甲子園ではたった77試合で60本ものホームランが生まれるほど効果があった
- 1991年12月5日に撤去。理由は選手・道具の進化、国際基準への対応、高野連からの要請など
- 現代では「ホームランテラス」「ホームランラグーン」などの名称でラッキーゾーンの考え方は各球場に受け継がれている

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