みたらしだんごの日とは?由来や歴史を解説【毎月3、4、5日】

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この記事を読めば「みたらしだんごの日」がいつ誰が、なぜ制定したのか、そして「みたらしだんご」そのものが持つ深い歴史と意味がまるごとわかります。

「3日ってみたらしだんごの日なんだ〜」

と思ったそこのあなた、ちょっと待って。

この記念日、実は3日だけじゃないんです。

しかも、その由来をたどると鎌倉時代の天皇エピソードや、江戸時代の経済事情まで関わってきてかなり面白い。

串に刺さった団子ひとつにこれほどの歴史が詰まってるとは思いませんでしたよね。

目次

みたらしだんごの日はいつ?

毎月3日、4日、5日が記念日

「みたらしだんごの日」は毎月3日だけではありません。

毎月3日、4日、5日が「みたらしだんごの日」として制定されています。

日付の由来はシンプルな語呂合わせで、「み(3)たらし(4)だんご(5)」と読むことから来ています。

なので3日、4日、5日の3日間すべてが該当する少しお得感のある月でもあります。

誰が制定したの?

この記念日を制定したのは山崎製パン株式会社です。

みたらしだんごをスーパーやコンビニなどで広く販売している同社が、「手軽なおやつとしてもっと親しんでもらいたい」という目的で制定しました。

そして記念日、一般社団法人・日本記念日協会によって正式に認定・登録されています。

企業発信ではあるけれど、ちゃんと公的な認定機関にも認められているので信頼性は高いですよね。

みたらしだんごの名前の由来

「御手洗」という漢字

「みたらし」を漢字で書くと、「御手洗」となります。

読んで字のごとく、「手を洗う(清める)」場所という意味ですね。

その発祥は京都市左京区にある下鴨神社(正式名称:賀茂御祖神社)の境内にある「御手洗池(みたらしのいけ)」にあります。

この池は夏の土用になると底から清水が湧き出ることで知られていて、その湧き水の泡がみたらしだんご誕生のきっかけになったとされています。

後醍醐天皇の逸話

言い伝えによれば鎌倉時代の後醍醐天皇(在位1318〜1339年)が下鴨神社に立ち寄り、境内の御手洗池で水をすくおうとしたところ、まず大きな泡がひとつ浮き、やや間をおいてさらに4つの泡が浮かび上がったそうです。

この泡の様子を団子に見立てて作ったのが、みたらしだんごの始まりとされています。

一番上に1個、少し間をあけて4個というあの独特の刺し方にはそんな物語が隠れていたんですね。

みたらしだんごの歴史

神様へのお供え物が原点

もともとのみたらしだんごは下鴨神社で行われる葵祭や御手洗祭(みたらし祭)のときに、氏子の家庭が神前へ供えるために作ったのが始まりです。

約1400年の起源をもつとされる葵祭の時代から、この習慣は続いていたとされます。

その後、境内の店でお供え物と同じ団子が売られるようになり、参拝客に名物として根付いていきました。

平安時代から鎌倉時代にかけての長い時間をかけて神事から「食べ物」へと移っていった流れです。

串の団子が5個だった理由

本来のみたらしだんごは1串に5個の団子が刺さっていました。

その形には「人間の五体(頭・両手・両足)を表している」という説が有力で、上の1個が頭、下の4個が胴体と四肢を意味しています。

団子を食べることで身代わりとなり、無病息災と五体満足を祈願するという、一種のおまじないのような役割があったんです。

下鴨神社の老舗「加茂みたらし茶屋」(創業1922年)では今も由緒正しく1串に団子が5つ刺さっています。

発祥の地に今なおその形が受け継がれているって、なんか感慨深いですよね。

なぜ今は4個になったのか 江戸時代の経済事情

ここ、個人的にいちばん「へえ〜!」と思った話なんですけど。

今スーパーやコンビニで売られているみたらしだんごって、1串に4個のものがほとんどですよね。

なぜ5個から1個減ったかというと、その理由は江戸時代の「四文銭」の登場にあります。

江戸時代、串団子は1本5文(当時の貨幣単位)で5個刺しが主流でした。

ところが1768年(明和5年)頃から「四文銭」という硬貨が流通し始め、一枚で4文分の支払いができる便利な貨幣が広まります。

するとどうなったか。

混雑したお店で四文銭1枚だけ払い、5文分の団子を食べて逃げる不正客が増えたわけです。

困り果てた団子屋の親父さんたちは損してまで売れないと判断し、団子を1個減らして1本4文にしたという話です。

なんというか、江戸時代の人もちゃっかりしていましたよね。

経済的な理由で団子が1個減り、その習慣が現代まで続いているとは。

4個のみたらしだんごを見るたびに江戸の喧騒がちょっとだけ想像できる気がします。

みたらしだんごのタレの歴史

甘辛タレはいつから?

いまでこそ「砂糖と醤油の甘辛タレ」がみたらしだんごのアイデンティティですが、実は最初からこの味だったわけではありません。

室町時代から江戸時代初期にかけては、醤油主体の素朴な塩味が中心でした。

砂糖が庶民に手の届く存在ではなかった時代ですから、当然といえば当然ですよね。

その後、江戸時代中期以降に砂糖の生産が盛んになると、醤油に砂糖を合わせた甘辛の味わいが確立されていきました。

さらに、下鴨神社の名店「加茂みたらし茶屋」が大正時代に醤油と黒砂糖を使ったタレを考案し、それが広く喜ばれて今のスタイルが定着したとされています。

御手洗祭との深いつながり

毎年夏に行われる神事

みたらしだんごの名前の元となった御手洗祭(みたらし祭)は今も下鴨神社で毎年夏の土用の丑の日前後に開催されています。

別名「足つけ神事」とも呼ばれ、御手洗池に足を浸しながらロウソクを献灯し、無病息災を祈願する行事です。

2025年は7月18日〜27日に行われ、2026年も同様の時期に予定されています。

約1400年以上前から続く神事の舞台に今も立てるわけで、みたらしだんごを食べるとき、この池のことを少し思い浮かべると、なんだか味が変わる気がしませんか?

まとめ

  • みたらしだんごの日は毎月3日・4日・5日。「み(3)たらし(4)だんご(5)」の語呂合わせから山崎製パンが制定し、日本記念日協会に認定された記念日です
  • 名前の由来は京都・下鴨神社の「御手洗池」。後醍醐天皇が池の水泡を見て団子に見立てたという伝承が有名です
  • 串に団子が5個刺さっているのは人間の五体(頭・両手・両足)を表し、無病息災を祈る意味があるから
  • 4個になったのは江戸時代の四文銭の登場が原因。不正防止のため団子屋が1個減らしたのが現代に続いている
  • みたらしだんごの甘辛タレが確立したのは大正時代ごろで、加茂みたらし茶屋のタレがその礎になったとされています

5月3日にみたらしだんごをひとつ食べながら

「そういえばこれ、鎌倉時代から続く話なんだよな」

と思えたらちょっと贅沢な気分になれるかもしれません。

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