この記事を読めば「モリシの日」がいつ、誰によってなぜ生まれた記念日なのかが丸ごとわかります。
「6月14日ってなんか特別な日だったっけ?」
と思って調べている方も、セレッソ大阪が好きでもっと深く知りたい方もここを読めばスッキリするはずです。
実はこの記念日、ただのサッカー記念日じゃなくてサポーターの愛と草の根の熱量が生み出した、ちょっと珍しい誕生秘話があるんです。
モリシの日って何の日?
6月14日が「モリシの日」として知られるようになった理由はひとりのサッカー選手のゴールシーンにあります。
記念日の基本情報
「モリシの日」は2002年6月14日に行われた日韓ワールドカップ・チュニジア戦で、森島寛晃選手が先制ゴールを決めたことを記念して制定された日です。
制定したのは大阪市で活動する「セレッソ大阪サポーター『モリシの日』の会」で、2014年に一般社団法人・日本記念日協会に正式認定・登録されました。
「モリシ」という呼び名は森島選手の愛称。セレッソ大阪のファンなら誰もが口にするあの名前です。
意外と知らない方も多いんですが、「ミスターセレッソ」とも呼ばれていたほど、チームにとって象徴的な存在だった選手なんですよね。
記念日認定の流れ
まずサポーターが自発的に毎年6月14日を「モリシの日」として祝い始めたのが2003年のこと。
その草の根の動きが長年積み重なり、サポーター有志が森島本人の承諾を得た上で日本記念日協会に申請。2014年にようやく公式な記念日として認定されました。
公式が先ではなくファンの熱量が先だったというのが、個人的にはすごく印象深かったです。こういう形で生まれる記念日って、けっこう珍しいんじゃないかなと思います。
2002年W杯チュニジア戦 伝説の一戦
モリシの日を語るうえであの試合の話は絶対に欠かせません。
試合の背景と舞台
2002年の日韓共催FIFAワールドカップ。
グループH・最終戦として、日本代表はチュニジア代表と6月14日に対戦しました。会場は大阪の長居スタジアム(現・ヤンマースタジアム長居)、つまりセレッソ大阪のホームスタジアムです。
この偶然が後に「モリシの日」という記念日を生む一因になったんでしょう。ホームで戦う森島選手、ホームで見守るセレッソサポーター。
なんか、そういう感じ。運命っぽくてちょっとゾクッとしますよね。
後半3分の歴史的ゴール
試合は後半3分、その瞬間が来ます。
中田英寿から縦パスが入り、相手ディフェンダーがクリアしたボールが中央へこぼれる。ファーサイドで待っていた森島選手が鋭く反応し、右足を強振してゴール左隅へ豪快に叩き込んだのです。
先制点。スタジアムが沸いた瞬間でした。
その後、75分には中田英寿がヘディングで追加点を決め、試合は日本2対0チュニジアで終了。日本代表はグループH首位で自国開催のワールドカップ初の決勝トーナメント進出を決めました。

長居という舞台の意味
長居スタジアムは約5万人収容の大型スタジアムで、日韓W杯前に全面改築されていました。
セレッソ大阪のホームでありながら日本代表の歴史的な試合が行われた場所でもある。
セレッソサポーターにとって、自分たちのホームが歴史の舞台になったという感動は格別だったはずです。
森島寛晃とはどんな選手だったのか
「モリシ」という愛称で呼ばれた森島寛晃さん。そのプロフィールを改めて整理してみると、いかに特別な選手だったかがわかります。
選手としての経歴
1972年4月30日生まれ、広島県出身。東海大学第一高校(現・東海大静岡翔洋高校)卒業後、1991年にヤンマーディーゼルサッカー部へプロ契約で入団しました。
そのチームが1993年にセレッソ大阪へと改称・改組され、そのまま選手として活躍を続けます。
ポジションはMF(ミッドフィルダー)。身長168cmとそれほど大きくないですが決定力と献身性が光るプレースタイルで、Jリーグ通算318試合94得点という数字を残しています。
Jリーグ開幕連続得点記録(7試合連続)も保持していたほどで、得点センスは本物でした。
日本代表としての活躍
1995年から2002年にかけて日本代表に選出され、国際Aマッチ64試合12得点という実績を持ちます。
FIFAワールドカップは1998年フランス大会と2002年日韓大会に出場し、2002年大会では3試合に出場して1得点。その1得点こそが、まさに「モリシの日」の先制ゴールです。
「日本で一番腰の低いJリーガー」とも呼ばれていたらしく、選手として技術だけでなく人柄でも愛された存在だったんだなと感じます。
現役引退後の歩み
2008年12月に現役を引退した後はセレッソ大阪のアンバサダーやサッカースクールコーチ、エリートクラス監督・総監督・ダイレクターを歴任。
2018年12月には株式会社セレッソ大阪の代表取締役社長に就任し、2025年4月からは代表取締役会長を務めています。
選手から経営トップへ。
セレッソをずっと支え続けてきた人物です。
サポーターが生んだ記念日 その熱量の話
「モリシの日」が特別なのは記念日の成り立ちそのものにあると思っています。
草の根から始まったお祝い
翌年の2003年以降、サポーターたちは毎年6月14日になると自分たちで「モリシの日」として祝い始めました。
クラブ公認でもなく、国や自治体が決めたものでもなく、ただの一ファングループが「この日を残したい」という気持ちだけで動いたわけです。
それが11年続いてついに日本記念日協会への申請につながった。個人的な意見ですけど、これって相当な熱量だと思うんですよね。
普通は「まあいっかな」ってなりそうじゃないですか?
本人公認で正式記念日へ
大事なのはサポーターが勝手に動いたのではなく、森島本人の承諾を得た上で記念日申請が行われた点です。本人も認める形で生まれた記念日。
それが2014年に正式認定されました。
セレッソ大阪も毎年6月14日には公式SNSで「本日は#モリシの日」と投稿するなど、クラブ全体でこの日を大切にしてきています。
まとめ
- 「モリシの日」は6月14日、セレッソ大阪サポーター有志が制定し、2014年に日本記念日協会が認定した記念日
- 由来は2002年日韓W杯・チュニジア戦で森島寛晃選手が後半3分に先制ゴールを決めたこと
- その試合は日本代表の初の決勝トーナメント進出を決めた歴史的一戦で、セレッソ大阪のホーム・長居スタジアムで行われた
- 記念日の出発点はサポーターの草の根の活動(2003年〜)で森島本人の承諾を経て公式化された
- 森島寛晃さんはセレッソ大阪の代表取締役会長として活躍
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