七福神の日とは?由来や歴史を解説【7月29日】

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この記事を読めば7月29日が「七福神の日」と呼ばれる理由や、七福神そのものの歴史、さらにご利益の詳しい内容まで一気にわかります。

「なんとなく聞いたことはあるけど、実はよく知らない」

というモヤモヤ、この記事で解消できると思います。

じつは七福神ってただの縁起物の飾りじゃなくて、日本人の暮らしに根付いた歴史の積み重ねなんですよね。

読み終わったころにはきっと誰かに話したくなる小ネタが増えているはずです。

目次

七福神の日の由来と制定の背景

まず、7月29日がなぜ「七福神の日」なのかその語呂合わせと制定した企業の話をまとめます。

語呂合わせから生まれた記念日

7月29日が七福神の日になったのは「しち(7)ふ(2)く(9)」という語呂合わせが由来です。

数字を読み替えるだけで「七福」になるなんて、けっこうシンプルで覚えやすいなと思いました。

この手の語呂合わせ記念日、日本には本当にたくさんありますが、七福神という縁起の良い言葉と結びついているのが面白いところですね。

制定したのは老舗せんべい店

この記念日を制定したのは群馬県前橋市に本社を置き、東京・銀座に本店を構える老舗せんべい店「幸煎餅」です。

1896年(明治29年)創業という、なかなかの歴史を持つ会社なんですよ。目的は、看板商品である「七福神あられ」「七福神せんべい」「銀座七福神」をもっと多くの人に味わってもらうことだそうです。

1977年発売以来のロングセラー商品で、弁財天や福禄寿といった七福神のキャラクターにあわせて7つの味が楽しめる仕組みになっているみたいです。

ちなみにこの記念日は一般社団法人日本記念日協会にもきちんと認定・登録されている公式な記念日なんです。

七福神とは何者なのか

ここでは七福神を構成する7柱の神様がそれぞれどんな存在なのか由来を含めて解説します。

七福神を構成する7柱の神様

七福神は幸福と財産をもたらす神として古くから信仰されている7柱の神様の総称です。

具体的には恵比寿(えびす)、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、弁財天(べんざいてん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)、布袋(ほてい)の7柱です。

それぞれのご利益をざっくり整理するとこんな感じです。

  • 恵比寿:商売繁盛や五穀豊穣、大漁豊作のご利益があるとされます
  • 大黒天:食物や財福、五穀豊穣にまつわる神様です
  • 毘沙門天:福徳増進や武運向上、疫病退散にご利益があると言われています
  • 弁財天:音楽や弁才、知恵、芸術や恋愛運にもご利益があるとされます
  • 福禄寿:長寿や富、幸福をもたらすとされています
  • 寿老人:長寿延命や健康、家庭円満のご利益があるとされ、南極老人という異名も持っています
  • 布袋:笑門来福や子宝、健康にご利益があるとされる神様です

正直、寿老人と福禄寿って似たような役割で混同しやすいなと個人的には思いました。

どちらも長寿系の神様というのがちょっと面白いポイントかもしれません。

出身地で見る七福神の意外な多国籍ぶり

意外と知られていないんですが七福神は全員が日本古来の神様というわけではないんです。

恵比寿だけが日本由来の神様で、大黒天・毘沙門天・弁財天はインド由来、福禄寿・寿老人・布袋は中国由来とされています。

仏教やヒンドゥー教、道教のルーツを持つ神様が一堂に集まっているというのは、なかなか国際色豊かな組み合わせですよね。

日本人ってこういう異なる文化の良いところを取り込んで一つの信仰にまとめてしまう発想が得意なのかもしれないなと勝手に思っています。

七福神信仰はいつから始まったのか

七福神信仰がどんな時代を経て今の形になったのか、歴史の流れを追っていきます。

平安から室町時代にかけての原型

七福神信仰の原型、一説では平安時代ごろにはすでに形ができ上がっていたとされています。

ただこれは「一説」なので、確定的な事実というより諸説あるうちの一つと考えた方がよさそうです。

少なくとも室町初期の1420年(応永27年)には京都で七福神の風流行列が行われた記録が残っていて、1469年から1487年の文明年間には七福神を装った盗賊が出没し、それを福神の来訪として歓待したという逸話も伝わっているそうです。

盗賊を福の神として歓迎してしまうあたり、当時の人たちの信仰の深さがうかがえてなんだか興味深いなと感じました。

三神から七神へ広がった経緯

鎌倉時代には日本古来の守り神である恵比寿の信仰に、中国を経てインドから伝わった大黒天と弁財天の信仰が加わったとされています。

室町時代にかけてこの三神の信仰が庶民の間で深まると、そこに毘沙門天、布袋尊、福禄寿、寿老人の四神が加わって、現在の七福神の形になったと一般的に理解されているようです。

つまり最初は3人組だったのが時代を経て7人組に拡大していったということですね。

人気アイドルグループが後から追加メンバーを加えていくような話に近いのかも、というのは私の勝手なイメージですけど。

江戸時代に庶民へ広まった理由

江戸時代初期には徳川家康の相談役だった天海僧正が江戸市中の統治政策の一環として七福神詣でや初夢の宝船といった七福神信仰を広めたとされています。

これによって商人を中心に庶民の間へ急速に広がっていったそうです。

さらに8代将軍吉宗の頃になると世の中が太平になり、庶民にも観光や神仏詣でを兼ねた行楽の気分が広がったことで、江戸八百八町のあちこちに七福神めぐりの名所ができたと言われています。

江戸末期には商売繁盛や無病息災を願う七福神詣でが各地で盛んになり、正月の松の内に巡拝して一年の福徳を願う「七福神めぐり」という今の形につながったんですね。

七福神めぐりと七難即滅七福即生の教え

ここでは七福神信仰の核となる教えと実際に行われている巡拝文化について紹介します。

七難即滅七福即生とは

七福神信仰には仏教経典に基づく「七難即滅、七福即生」という考え方があります。

これは七福神を参拝すると七つの災難が除かれて、七つの幸福が授かるという教えです。

室町時代の頃から七福神を祀っている寺社を巡拝するとこのご利益が得られると信じられ、当時の庶民の間で「七福神巡り」として信仰が広がっていったとされています。

現代でも続く七福神めぐり文化

東京都内では谷中七福神めぐりが特に有名なコースとして知られています。

正月には各地の七福神めぐりで賑わう光景が今でも見られますが、これは江戸時代から続く風習が現代まで受け継がれているという証拠なんですよね。

個人的にはこういう何百年も途切れずに続いている文化ってすごく貴重だなと感じます。

せんべい屋さんが語呂合わせで作った記念日と、何百年も前からの信仰文化がひとつのテーマでつながっているというのも、考えてみるとちょっと不思議な巡り合わせだなと思いました。

まとめ

  • 七福神の日は7月29日で「しち(7)ふ(2)く(9)」の語呂合わせが由来
  • 老舗せんべい店「幸煎餅」が制定し、日本記念日協会に登録されている公式記念日
  • 七福神は恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋の7柱
  • 出身は日本、インド、中国と国際色豊かな構成になっている
  • 平安時代ごろに原型が生まれ、江戸時代に庶民へ広く浸透した
  • 「七難即滅、七福即生」の教えに基づく七福神めぐりが今も各地で続いている

7月29日が来たら、ぜひこの記事の内容を思い出してみてくださいね。七福神せんべいをお供に今年の福を願ってみるのもよさそうです。

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