この記事を読めばしまくとぅばの日がいつどうやって生まれたのか、その由来や歴史的な背景まで丸ごと理解できます。
沖縄旅行で方言に興味を持った方、ルーツを調べている方、学校や仕事で沖縄文化について調べる必要が出てきた方って、意外と多いんじゃないでしょうか。
しまくとぅばって聞いたことはあるけど実際どんな日なのか、なぜ9月18日なのか、ちゃんと説明できる人は少ないと思うんですよね。
この記事では条例の中身から歴史的な経緯までできるだけ正確な情報だけをまとめていきます。
しまくとぅばの日は9月18日に制定された記念日
ここではしまくとぅばの日がどんな日なのか、基本的な部分をまとめます。
沖縄県の条例によって定められた記念日
しまくとぅばの日は沖縄の島々で受け継がれてきた言葉「しまくとぅば」の普及と継承を目的に、沖縄県が定めた記念日です。
根拠になっているのは2006年(平成18年)3月31日に公布された「しまくとぅばの日に関する条例」(平成18年沖縄県条例第35号)で、この条例の第2条にはっきりと「しまくとぅばの日は、9月18日とする」と明記されています。
条文の第1条を見ると、
「県内各地域において世代を越えて受け継がれてきたしまくとぅばは、本県文化の基層であり」
という一文があって、ただの方言としてではなく沖縄文化そのものの土台として位置づけられているのがわかります。
しかも第3条では県がこの日を中心にしまくとぅばの普及促進のための事業を行うこと、市町村や関係団体にも協力を求めることまで定められているんですね。
地域の言葉を対象にした条例が制定されたのは日本国内で初めての試みだったとされています。
都道府県レベルで特定の地域言語を守るための記念日を法的に位置づけた例は、それまでなかったということですね。
この点は個人的にもかなり画期的だなと感じました。
「しまくとぅば」という言葉の意味
しまくとぅばとは漢字に直すと「島言葉」となる言葉です。
学術的には琉球諸語や琉球方言と呼ばれることもあり、沖縄本島だけでなく宮古、八重山、与那国など、沖縄県内の各島々で話されてきた言葉全体を指す呼び方として使われています。
沖縄県の公式資料でもしまくとぅばは「地域の伝統行事等で使用される大切な言葉」であるとともに、組踊や琉球舞踊、沖縄芝居といった沖縄の伝統文化を支える基盤であり、県民のアイデンティティの拠り所だと説明されています。
方言というよりも沖縄という土地そのものの記憶が詰まった言葉なんだと思います。
9月18日という日付の由来は語呂合わせ
ここを読むとなぜ数ある日付の中から9月18日が選ばれたのか、その理由がわかります。
「く・とぅ・ば」の数字の語呂合わせ
9月18日という日付には実はちょっとした仕掛けがあります。
9を「く」、10を「とぅ」、8を「ば」と読み、つなげると「くとぅば」=「言葉」になるという語呂合わせなんです。
沖縄の言葉では数字の10を「トゥー」と発音するため、この語呂合わせが成り立つわけですね。
数字だけ見ると918という並びからは記念日をイメージしにくいですが、こうして分解してみると「言葉」という意味がちゃんと隠れている、なかなか粋な仕組みだなと思います。
しまくとぅばの日という名前そのものが日付を聞いただけで「言葉」を連想させる工夫になっているのが個人的には印象深かったです。
覚えやすさを意識した記念日設計
子どもから大人まで覚えやすいようにという狙いも込められているとされています。
単に語呂合わせが面白いというだけでなく、この記念日を通じて言葉そのものへの意識を高めてもらう、という制定側の意図が透けて見えますよね。
実際、この日を中心に県内各地でしまくとぅばに親しむイベントやシンポジウムが開催されるようになったという経緯もあります。
しまくとぅばが衰退した歴史的な背景
ここではなぜわざわざ条例まで作って言葉を守る必要があったのか、その歴史的な理由を掘り下げます。
明治以降の標準語励行運動と方言札
しまくとぅばが衰退していった背景には明治時代以降の標準語普及政策があります。
明治政府が琉球処分を経て沖縄県を設置した後、学校教育の場でしまくとぅばの使用を禁じる動きが強まりました。
方言を話した児童生徒には罰として板でできた「方言札」を首から下げさせるという措置が取られ、次に方言を話した誰かが現れるまでその札を外せない、という厳しい仕組みだったとされています。
この標準語励行運動は昭和の中期頃まで続いたと言われていて、沖縄における言葉の衰退は本土の方言以上に急速に進んでしまったようです。
太平洋戦争中にはしまくとぅばを話す人が旧日本軍からスパイではないかと疑われることもあったとされ、戦後の祖国復帰運動の中でも標準語の使用がさらに推進されていったという経緯があります。
戦後から現在にかけての世代間の断絶
戦後もしばらくは強力な標準語励行運動が実施され続けたことで、高齢層以外の日常会話は次第にウチナーヤマトグチ、つまり標準語の影響を強く受けた話し方が主流になっていきました。
この流れの中でしまくとぅばを日常的に使う機会そのものが世代を追うごとに減っていったわけです。
沖縄県が実施した「しまくとぅば県民意識調査」(平成25年度)では、県民がしまくとぅばに親しみを持っている一方で、実際に日常でしまくとぅばを主に使っている人は全体でわずか10パーセントにとどまっていたという結果が出ています。
しかも若い世代になるほどしまくとぅばを使えない傾向が顕著だったと報告されていて、この数値が消滅の危機を裏付ける形になったんですね。
ここまではっきり数字で示されると条例制定の切迫感が伝わってくる気がします。
ユネスコが認定した消滅の危機
ここを読むとしまくとぅばが国際的にどう評価されているかがわかります。
5つの言語が消滅危機言語に指定
2009年2月、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が発表した「世界の消滅危機言語地図」の第3版において、日本国内の8つの言語が消滅の危機にある言語として掲載されました。
そのうち沖縄県に関わるものとして国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語の5つの言語がそれぞれ個別に消滅危機言語として指定されています。
一つの県からこれだけ多くの言語が同時に危機言語として名指しされるケースは、世界的に見ても珍しいのではないかと思います。
あくまで自分の見立てですがこの国際機関からの指定が、沖縄県の条例制定後の取り組みをより本格化させる後押しになった側面もありそうです。
沖縄県の継続的な普及推進計画
条例制定だけで終わらせず、沖縄県は平成25年度に「しまくとぅば普及推進計画」を策定し、前期、中期、後期に分けて具体的な行動計画を実行してきました。
令和5年3月には第2期計画として令和5年度から令和13年度までの9年間にわたる新しい計画も策定されています。
保存、普及、継承という3つの基本方針のもとで施策を継続的に展開しているというのが現状です。
毎年実施されている県民意識調査の結果を見ながら計画を見直していく体制が整っているのは、単発のイベントで終わらせない姿勢の表れだと感じます。
しまくとぅばの日に行われている取り組み
ここでは実際にこの日を中心にどんな活動が行われているのかを紹介します。
しまくとぅば県民大会などのイベント
しまくとぅばの日を中心に沖縄県内では「しまくとぅば語やびら大会」をはじめとする県民大会や、しまくとぅばに親しむイベント、今後のあり方を考えるシンポジウムなどが毎年開催されています。
沖縄県文化協会が主催する語やびら大会は2025年で第30回を数えており、長年にわたって継続されてきた取り組みだということがわかります。

日常生活の中でできる小さな実践
こうした大規模なイベントだけでなく日常の中でしまくとぅばに触れる方法もいろいろあります。
挨拶をしまくとぅばで交わしてみる、家族や子どもと一緒に歌や絵本を通じて親しむ、地域の講座やスピーチ大会に参加してみるといった実践が挙げられます。
「はいさい」「はいたい」「めんそーれー」といった言葉は、旅行で沖縄を訪れた方なら耳にしたことがあるかもしれませんね。
小さな積み重ねが言葉の継承につながっていくというのはまさにこの条例が目指してきた方向性そのものだと思います。
学校教育や地域活動を通じた再評価の動きも県内外で広がりつつあるようです。
まとめ
しまくとぅばの日について由来と歴史を中心に整理してきました。
要点を振り返っておきます。
- しまくとぅばの日は2006年3月31日制定の沖縄県条例により9月18日と定められた記念日
- 日付の由来は9を「く」10を「とぅ」8を「ば」と読む「くとぅば」の語呂合わせ
- 明治以降の標準語励行運動や方言札の存在が、しまくとぅば衰退の歴史的背景にある
- 2009年にユネスコが国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語の5言語を消滅危機言語に指定
- 沖縄県は普及推進計画を継続的に策定し、県民大会などのイベントを毎年実施している
こうして歴史を辿ってみるとしまくとぅばの日はただの記念日というより、長い年月をかけて失われかけてきた言葉を取り戻そうとする、沖縄県の意志表示のような日なんだなと改めて感じました。
9月18日を迎えるたびに、この言葉の重みを思い出してみるのもいいかもしれません。


コメント