演説の日とは?由来や歴史を解説【6月27日】

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この記事を読めば6月27日「演説の日」の由来や歴史、「演説」という言葉の成り立ちまで、まるごとわかります。

「演説」って選挙のときに街で聞くあのスピーチのこと…くらいにしか思っていなかった人、多いんじゃないでしょうか。

実は、その「演説」という言葉そのものが日本に存在していなかった時代があるんです。ちょっと驚きませんか?

目次

演説の日とは

6月27日は「演説の日」として制定されています。

この記念日の成り立ちはシンプルで、1874年(明治7年)の6月27日に、福澤諭吉が慶應義塾の三田演説館において日本で初めての演説会を開いたことに由来しています。

今でいう「スピーチ」の文化を、日本に根付かせようとした歴史的な一日なんです。

ちなみに、特定の団体が制定した記念日というよりも歴史的な出来事そのものをもとに広く知られるようになった記念日です。

「演説」という言葉の由来

もともとは仏教用語だった

「演説」という言葉、実は福澤諭吉が完全にゼロから作った造語ではないんです。これ、意外と知られていない話で、けっこう面白いポイントだと思います。

もともと「演説」はサンスクリット語の「ニルデーシャ(निर्देश)」の訳語として使われていた仏教用語で、「教えを演べ説くこと」「法(真理)を人々にわかりやすく解き明かすこと」、要するにお坊さんの説法に近い意味を持っていました。

現在使われている「演説=人前で意見を述べること」という意味とはちょっとニュアンスが違うので、福澤諭吉はその言葉に新しい息吹を吹き込んだと言うほうが正確かもしれません。

福澤諭吉が「speech」に当てた言葉

英語の「speech(スピーチ)」を「演説」、「debate(ディベート)」を「討論」と翻訳したのが福澤諭吉です。元々仏教の世界にあった言葉を借りて、西洋由来の概念を日本語に落とし込んだわけです。

当時の日本には、大勢の人前に立って自分の意見を口頭で述べるという習慣がほぼありませんでした。

意見を伝えるときは書面にまとめて見せるのが一般的だったので、「口で言う」という行為自体が、そもそも文化として存在しなかった。

ですから、訳語を作るというより、概念ごと日本に輸入したと言ってもいいくらいの話なんですよね。

日本初の演説会、その内容

1874年6月27日に何が起きたのか

1874年(明治7年)6月27日、慶應義塾の三田演説館で、日本で初めての本格的な演説会が開催されました。

演説を行ったのは福澤諭吉本人と、その門下生たちです。

この日、福澤は「日本が欧米と対等の立場に立つためには演説の力を身につけることが必要だ」と説きました。

つまり、演説の技術を磨くことは単なる「話し方の練習」ではなく、日本という国の将来を左右する問題として位置づけていたんです。かなり壮大なビジョンですよね。

最初は仲間内の練習会からスタート

実は1874年の演説会は最初から一般公開ではなかった…というのが面白い背景です。

慶應義塾が三田に移転したのは明治4年で、その2年後の明治6年(1873年)ごろから、まず塾内の仲間同士で演説の練習を始めていたそうです。

そして翌年の明治7年に「三田演説会」として組織化され、6月27日に一般向けの演説会として公開されたのが、今日の「演説の日」の由来になっています。

三田演説館という場所

日本初の演説会堂

翌年の1875年(明治8年)5月1日、福澤諭吉が私財を投じて建てたのが「三田演説館」です。

アメリカ・ニューヨーク副領事だった富田鉄之助から送られてきた米国の会堂図面をもとに、日本の大工が設計・建築した、いわゆる擬洋風建築です。

外観はなまこ壁と瓦葺きという和風の造りなのに、内部は洋風の演説ホール仕様になっているというのが、なんとも明治らしくて個人的にとても印象深いです。

重要文化財に指定されている

三田演説館は1923年(大正12年)の関東大震災で損傷し、翌年現在の場所へ移築。そして1967年(昭和42年)に国の重要文化財に指定されました。

福澤諭吉自身は晩年にこの建物について「後500年、一種の古跡として見物する人もあるだろう」と記していたそうです。

予言、見事に当たってますよね…。

2025年には開館150周年も迎えていて今もなお演説会が定期開催されています。

演説の日が持つ意味

言論文化と民主主義の出発点

「演説の日」はただの「話し方の記念日」ではなく、日本における言論の自由と民主主義の原点でもあると言われています。

ちょうど同じ1874年、土佐の板垣退助らが明治政府に「民撰議院設立建白書」を提出しています。

演説の文化が広まるとともに、自由民権運動も活発になっていった時代背景を考えると福澤の行動がいかに時代の流れと呼応していたかがわかります。

独立自尊の精神との関係

福澤諭吉が演説を重視したのは、彼の哲学「独立自尊」と深く結びついているからです。

独立自尊とは「自分で考え、自分で判断し、自分の責任において行動できる」こと。演説はその精神を養う、最も実践的な方法だと福澤は捉えていたんです。

自分の意見を持つだけでなく、それを人前で言葉にして伝えられる力。それを国民全体に広めることが、近代日本の発展につながると信じていたわけです。

意外と現代のプレゼン文化とか情報発信の重要性にも通じる話で、150年以上前の話なのにまったく古びていないなと感じます。

まとめ

  • 演説の日は6月27日で1874年(明治7年)に福澤諭吉が慶應義塾の三田演説館で日本初の演説会を行ったことが由来
  • 「演説」という言葉は、もともと仏教用語として存在していたものを、福澤諭吉が英語の「speech」の訳語として転用したもの
  • 日本初の演説会で福澤が説いたテーマは「日本が欧米と対等に立つためには演説の力が必要」
  • 演説の会堂・三田演説館は1875年完成、現在も国の重要文化財として慶應義塾三田キャンパスに現存
  • 演説の日は「言葉の力で社会を変える」という、日本の言論文化・民主主義の出発点を象徴する記念日
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