この記事を読めば「考古学出発の日」の意味や由来、モース博士の功績がまるごとわかります。
6月18日が「考古学出発の日」だって、知っていましたか?
学校の教科書にも出てくる大森貝塚。
その発見がきっかけで日本の考古学が始まったんですが実はその裏に、ひとりのアメリカ人科学者の偶然の発見がありました。
「縄文時代」という言葉の誕生にも関わっていて、意外と奥が深いんです。
考古学出発の日とは
6月18日は「考古学出発の日」として記念されています。
この記念日の背景には明治時代の日本に大きな足跡を残したアメリカ人科学者の物語があります。
記念日の基本情報
1877年(明治10年)6月18日、アメリカの動物学者エドワード・シルベスター・モース博士が日本(横浜)に到着した日を記念して設けられた日です。
モース博士はこの来日をきっかけに大森貝塚を発見・発掘し、それが日本で初めての科学的な遺跡発掘調査となりました。だから「考古学の出発点」と呼ばれているわけですね。
ちなみに、「考古学出発の日」は大森貝塚を発見した日でも発掘した日でもなく、モース博士が来日した日に設定されているのがポイントです。
なんでそこなんだろう?と最初は疑問に思ったんですが、要するに「日本の考古学の歴史はモース博士の来日から始まった」という意味合いを込めているんでしょうね。
6月18日はモース博士の誕生日でもある
これ、案外知られていないことだと思うんですけど…実は6月18日はモース博士自身の誕生日でもあります。1838年6月18日生まれで、来日したのはちょうど39歳の誕生日の日。
誕生日に自分が最も来たかった国の土を踏んだというのはなかなかドラマティックだと感じます。
モース博士とはどんな人物?
日本の近代考古学の扉を開いた人物ですがもともと考古学者ではなかったというのが、この話のおもしろいところです。
動物学者として来日した
エドワード・シルベスター・モース(1838〜1925年)はアメリカ・メイン州出身の動物学者です。
来日の目的は考古学ではなく、腕足動物(貝の一種)の研究のため。日本は腕足類が豊富なので、その採集・研究を目指してやってきたんです。
ところが来日後、東京大学(当時は「帝国大学」の前身)から招聘を受け、なんと初代動物学教授に就任。
もともとの研究テーマとは別に、日本の学術・教育の発展にまで大きく関わることになりました。
そのまま日本に3年間滞在し、3度にわたって来日することになります。
進化論を日本に伝えた人でもある
考古学の功績ばかりが取り上げられがちですがモース博士は日本で最初に進化論を紹介した人物でもあります。
ダーウィンの『種の起源』が発表された後の時代に来日し、東京大学の授業で進化論を教えた。当時の日本には本当に衝撃的だったと思います。
大森貝塚の発見と発掘
「汽車の窓から偶然見つけた」という有名なエピソード。でも実は、細かい日付については複数の説があって、ちょっとした謎が残っているんです。
車窓からの偶然の発見
モース博士が横浜に着いたのが1877年6月18日。その翌日から翌々日(6月19〜20日とも言われています)、横浜から東京・新橋へ向かう汽車の車窓から、線路沿いの崖に貝殻が大量に堆積している場所を発見しました。
これが後に「大森貝塚」と呼ばれる遺跡です。
現在の東京都品川区と大田区にまたがる場所で、縄文時代後期から晩期(約4,400〜2,300年前)のものと確認されました。
動物学者として貝を探していたから、普通の旅行者には気づかないような「崖に堆積した貝殻」が目に飛び込んできたのかもしれません。
そういう意味では専門的な眼がなければこの発見はなかったとも言えますよね。
本格発掘は同年9〜10月
発見から数ヶ月後の1877年9〜10月、モース博士は助手たちとともに本格的な発掘を開始します。発掘によって出てきたものは驚くほど多彩でした。
出土したのは縄文時代後期の土器や土偶、石斧、石鏃(矢じり)、骨角器だけじゃなく、サルやシカ、犬、クジラの骨、さらには人骨片まで含まれていました。
このうち土器214点、土版6点、骨角器23点、石器9点を含む合計261点の遺物が確認され、165点が後に国の重要文化財に指定されています。
「食人の風習」論争という衝撃の発表
実はここで、ちょっとセンセーショナルな話もあります。
人骨が砕かれた状態で出土したことから、モース博士は「縄文時代の日本人に食人の風習があったのではないか」と発表したんです。
当時の日本の知識人層はかなり驚いたはず。
ただ、この説は完全には結論が出ていません。
骨の砕かれ方が食人によるものかどうかの解釈には今も議論があります。
モース博士が科学者として「見たものをそのまま報告した」姿勢は当時としては先進的でした。
「縄文時代」という言葉が生まれたきっかけ
これ、個人的にはいちばん驚いたポイントかもしれません。
「cord marked pottery」が「縄文土器」になった
大森貝塚から出土した土器の表面には縄のようなもので意図的につけられた独特の紋様がありました。
モース博士はこれを「cord marked pottery(縄目模様の土器)」と名付けて論文を執筆します。
この論文が翻訳される際、東京帝国大学教授の白井光太郎が「縄紋土器(のちの縄文土器)」と和訳したことで、そこから「縄文時代」という言葉が生まれたんです。
つまり、「縄文」という概念そのものが大森貝塚の発掘から始まっているということ。考古学出発の日が持つ意味の大きさが、ここにはっきり表れていると感じます。
日本初の発掘報告書
モース博士は発掘の結果を「Shell Mounds of Omori(大森の貝塚)」としてまとめ、発表しました。当時としては極めて優れた報告書として高い評価を受け、これが日本初の学術的発掘報告書です。
それまでの日本には「考古学」という概念自体がなかったわけでこの報告書が日本の学術史に与えたインパクトは相当なものだったと思います。
大森貝塚は今もある?
「歴史の話」として終わりじゃなくて、現在も実際に訪れることができます。
国の史跡に指定されている
1955年(昭和30年)3月24日、大森貝塚は国の史跡に指定されました。現在は「大森貝塚遺跡庭園」として整備されていて、JR大森駅から徒歩5分ほどで行けます。
庭園内には縄文土器や地層をイメージした回廊があり、発掘当時の様子を体感できる作りになっています。
東京大学の線路沿い(品川区大井)には「大森貝塚」の碑も立っていて、発掘された遺物は現在も東京大学総合研究博物館に保存・収蔵されています。
歴史の授業で習ったあの場所に、実際に行ける。そう思うとなかなかテンション上がりますよね。
まとめ
- 考古学出発の日は6月18日。アメリカの動物学者エドワード・S・モース博士が1877年(明治10年)に横浜に到着した日を記念して設けられた
- モース博士は来日翌日(6月19〜20日ごろ)、汽車の車窓から大森貝塚を発見。同年9〜10月に日本初の科学的発掘調査を実施
- 発掘では土器や石器、人骨など261点が出土し、165点が国の重要文化財に指定
- モース博士が命名した「cord marked pottery」が翻訳されて「縄文土器」という言葉が誕生し、「縄文時代」の概念が生まれた
- 6月18日はモース博士自身の誕生日(1838年生まれ)でもある
- 大森貝塚は現在も国の史跡として品川区に残り、遺跡庭園として一般公開されている

コメント